日本語と日本社会(41)

「政治」と「非政治」(15)
国民が、「象徴」としての、つまり「非政治」的な存在としての天皇の地位を認めたのはいつなのかという問題に、 国民が主権を保持するようになったのはいつからなのかという問題が必然的に付随するわけだが、日本国憲法自身がこの問いに明確な答えを提示している。

日本国憲法前文は次の様に述べる。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。


国民主権は、人類普遍の原理として、日本国憲法に先行して存在しており、日本国憲法は日本国憲法に先行するこの原理に基づいているのだと、日本国憲法は述べている。

国民主権は、人類普遍の原理として、日本国憲法に先行して存在しているわけだから、日本国憲法の制定と施行によって生まれた概念ではなく、日本国憲法は、歴史を超えて普遍的に妥当する原理を、あとから追認しているに過ぎないことになる。

とするならば、これと同じ論理は、天皇の地位の承認についても当てはまらなくてはならない。

日本国憲法第一条後半: この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


この条文は、日本人が、「象徴」としての、「非政治」的な存在としての天皇の地位を長く認めてきた。日本国憲法に先行して存在する、日本の歴史を通じて普遍妥当的なこの事実を、あとから追認したものが日本国憲法であるということになる。

そうではないというのならば、次の様な矛盾をきたすことになるだろう。

「『象徴』としての天皇の地位を国民が承認したのは、日本国憲法の制定と施行によるのであり、日本国憲法の改正や新憲法の制定によって、天皇の地位を国民は自由に改廃しうる」というのであれば、これとまったく同様に、「『国民主権』は、日本国憲法の制定と施行によるのであり、日本国憲法の改正や新憲法の制定によって、『国民主権』を国民は自由に改廃できる」と言わなくてはならないことになってしまう。

しかし、「国民主権」は、日本国憲法に先行して存在する、「人類普遍の原理」なので、

「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」


と日本国憲法前文は述べている。

とするならば、これとまったく同様に、

日本国憲法第一条後半: この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


この条文は、日本国憲法に先行して存在する歴史的事実を追認したものなので、

「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」


と言わなくてはならない。

歴史を超えて天皇が日本の象徴であり、日本人がこの地位を認めてきた事実を、新憲法の制定や、日本国憲法の改正によって、改廃することはできないのである。

以上、あくまで論理の問題として、「象徴としての天皇の地位」と「国民主権」の相関性を明らかにしたが、この二つには論理を超えた、内的な相関性をもつ。

「象徴としての天皇の地位」と「国民主権」。

この二つは、「非政治の優位」という、日本国憲法に先行して存在する同一の原理の表側と裏側にすぎない。

「象徴としての天皇の地位」が「国民主権」を支え、「国民主権」が「象徴としての天皇の地位」を支えるという相補的な関係が存在する。

次にこのことを明らかにしたい。

(つづく)
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