日本語と日本社会(39)

「政治」と「非政治」(13)
私たちは、本稿の、そしておそらくはこのブログで展開してきたあらゆる思索の、クライマックスに到達しようとしている。

なぜならば、私が「非政治」という概念を用い始めたとき、当然のことながら、歴史的に「非政治」的な存在であった天皇のことが念頭にあったからである。

本稿や、本ブログを読んでこられた方ならば、私が繰り返し掲げてきた「非政治」という概念が、単に「政治ではない」とか「政治権力をもたない」という消極的な意味に留まらないことを理解されておられることだろう。

「非政治」は確かに、「政治権力をもたない」(void of political power)のだが、その空洞(void)には、政治的権力の代わりに、政治的権力以上の力が充溢している。

その力とは、内奥から私たちの魂をゆさぶり、根底から私たち一人一人の個の存在をあらしめ、歴史の最深部から私たちの魂に呼びかけるような、根源的な力である。

「非政治」は、「政治」のように主客を分離した上で、客体化された対象を支配しようなどとしないが、この列島上で生起するあらゆる出来事や物事を、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」がごとく、包摂しようとする。

あたかも甚大な自然災害の被災者の側に正座して座り、その嘆き悲しみの言葉に静かに耳を傾けるように、この列島上に生起するすべきの物事を「非政治」は包摂しようとする。

私たちは「非政治」とは何かを深く理解することなしに、天皇の本質を理解することはできないし、

同時に、天皇の本質を理解することなしに、「非政治」とは何かを深く理解することもできない。

日本国憲法第一条は、日本の本質に他ならない「非政治」の領域に関わる存在として天皇を規定しており、その故にこそ、私はこの条文をもつ日本国憲法は、一つの「奇跡」であり「天啓」であると呼び、この憲法に手を加えてはならないと主張するのである。

だから、日本国憲法第一条の解釈を通して天皇の本質を明らかにしていく今後数回の記事は、「政治」や「非政治」について縷々語ってきた本稿のクライマックスであり、本ブログで展開してきたに思索のクライマックスなのである。

(つづく)
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