日本語と日本社会(34)

「政治」と「非政治」(8)
明治新政府は、明治18年(1885年)に内閣制を導入するまで、太政官制を復活させた。

明治維新は、日本の西洋化、近代化の試みであると同時に、中央集権的な古代の律令体制の復活でもあった。

新しい太政官制の整備と改革は、アメリカ合衆国憲法や、福沢諭吉が著した『西洋事情』を参照しながら起草され、明治元年(1868年)に発布された「政体書」という基本法に基づいて行われた。

三権分立の仕組みも、明治太政官制の中で採用された。日本の「構造改革」(アメリカ化)は、既にこのときに始まっている。

明治の太政官制が、古代の律令体制と異なるのは、太政官(政治)と神祇官(非政治)の二元体制は採用されず、「政治」一元的な体制が採用されたことである。

明治2年(1869年)からわずか二年間だけ「二官六省」と呼ばれる、太政官と神祇官の並列体制が復活するが、明治4年(1871年)には早くも神祇官は、神祇省へと格下げされて太政官の下部組織として組み込まれ、太政官と神祇官の古代的な並列体制は崩れてしまう。

あわせて、私たちが注目しなければならないのは、明治元年(1868年)に神仏分離令が、明治5年(1872年)には修験禁止令が出されたことである。

「政治」一元的な国家体制の樹立と並行して、神道と仏教の分離が行われ、役小角以来、「政治」と「非政治」との往還の経路を開いてきた修験道が禁止された。

古代の神祇信仰の確立は、「御肇国天皇」(ハツクニシラススメラミコト=初めて国を統治した天皇=実質的な初代天皇)と呼ばれた崇神天皇が、先行王朝である出雲の王、大国主の幸魂奇魂を奈良の三輪山に祀り、あわせて、皇居内に奉斎していた八咫鏡を、皇居の外(最終的には伊勢の地)に祀ることを決めたことによる。

日本書紀や古事記における「国譲り」神話とも呼応し合う、この三輪山祭祀の確立は、伊勢祭祀に先行して行われており、ここで重要なのは、神祇信仰が「政治」から独立した原理として、朝廷によって認識されていたことである。

日本書紀の崇神天皇条を読めば分かるように、崇神天皇は、国民の大半が死亡する疫病という、「政治」によってはコントロールの効かない事態に直面した結果、三輪山の祭祀を確立さざるをえない状況に追い込まれたわけだから、神祇信仰が「政治」から独立した「非政治」の原理であるのは当然と言えば当然のことである。

また、「国譲り」神話の本質も、大国主という旧「政治」権力者の魂を、「非政治」的な権威として祀る代わりに、皇御孫とその子孫が日本の「政治」を引き継ぐことにあるのだから、この日本的かつ平和的な政権交代の物語が成立するためにも、「非政治」が、「政治」の外部に、独立した確固たる原理として存在していることが前提条件として求められる。

その証拠に、「政治」と「非政治」という対等な二元構造をもたない、「政治」一元的な傾向の強い中国のような国では、政権交代は、「易姓革命」による王朝の交代という形を取らざるをえなかった。「非政治」という、「政治」から独立した原理がなければ、一つの「政治」が行き詰まった場合、別の「政治」によって置き換えられるしか方途がないからである。

ところが、明治新政府は、日本の伝統的な「政治」と「非政治」の二元構造を、新しい政治システムの中から排除してしまう。

従来、「政治」の手に負えない領域を扱う役割をになっていた神祇信仰は、「政治」から独立した「非政治」の原理たることをやめて、「政治」の中に、体制維持の手段として組み込まれてしまった。

これを「国家神道」と呼ぶ。

白鳳時代に、中国の政治システムである律令制が日本に導入されたときにすら、「政治」一元的な中国の政治体制は、日本的な二元構造を内部に抱えたものとして換骨奪胎されたが、明治維新においては、逆に、日本人自らの「非政治」の伝統であるべき神祇信仰を、日本人自らが「政治」一元的な体制を支える原理として改変してしまったのである。

かつては「政治」がどうすることもできなかった領域を扱っていた神祇信仰は、「政治」がどうすることもできない領域が縮小されていく近代化の中で、「政治」が何でもおこなうことを可能にするための手段にされてしまった。

そのような「政治」化した神道を取り出すために、明治新政府が、修験道を禁止したとき、彼らは、修験道が日本の歴史に果たした本質的な役割を深く認識していたであろう。そうでなければ、修験道を禁止などしたはずがない。

修験道が長い時間をかけて切り開いた「政治」から「非政治」に至る裏道、これが「政治」の中心の空洞化を招き、律令体制を有名無実化させ、京都というかつての「政治」の中心を「非政治」化させたことを彼らは知っていたし、「政治」と「非政治」を結ぶ往還の経路は、新しい「政治」一元的な体制を樹立する妨げになることも彼らは熟知していた。

だから、古代の太政官政府が役小角を追放したように、明治の太政官政府は修験道を禁止したのである。

「政治」と「非政治」の二元構造の否定と破壊。

これは日本の伝統からの深刻な逸脱であった。

伝統に背いた結果、後に、日本人は手痛いしっぺ返しを食らうことになる。

破滅への種は、明治体制の中に初めから胚胎されていたのである。
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