日本語と日本社会(33)

「政治」と「非政治」(7)
国家体制が整えられ、「政治」の力が強化されていた白鳳時代に、「非政治」の中に退避しようとした役小角の行動は、律令政府からは、国家に対する反逆と捉えられ、役小角は律令によって罪人の流刑地の一つとして定められていた伊豆に流された。

役小角の伊豆への流刑も、日本人の精神史に重要な意味をもつ。

伊豆と熊野には深い関連性がある。

伊豆半島は、太平洋上の島嶼が海底の地殻運動によって日本列島とぶつかり接続してできた半島である。

熊野も伊豆も、太平洋の黒潮の流れに面している。

熊野も伊豆も、ナギの自生地をもつ。

熊野三山の一つ、熊野速玉大社のご神木はナギであるが、熱海の伊豆山神社のご神木もまたナギである。

ナギとは、海南島や台湾、日本の本州南岸、四国、九州、南西諸島など、東アジアの環太平洋地域に分布する樹木である。

ナギは、「黒潮文明圏」とも呼ぶべき、東アジアの環太平洋文明圏の一つの象徴である。

熊野信仰が,琉球の人々によって古来より積極的に受容された事実を鑑みても、熊野信仰と「黒潮文明」には密接な関係があると推察できる。

琉球、熊野、伊豆は、「黒潮文明圏」の一部である。

神武天皇の故地、九州の日向(宮崎県)をこの中に含めることもできるだろう。

熊野から上陸した神武天皇が建国の土地として選んだ大和の地は、環太平洋の「黒潮文明圏」と、中国や朝鮮から運ばれてくる「ユーラシア大陸文明」の境界付近に位置している。

日向から大和に至る神武天皇の旅路とは、「黒潮文明圏」から出発し、「ユーラシア大陸文明圏」に直面するための旅路でもあった。

神武天皇は、日向をあとにし、熊野を経由し、「黒潮文化圏」の出口付近の土地である大和に、建国の礎を築いた。

もどろうと思えば、いつでも「黒潮文化圏」に戻れる場所である。

熊野詣とは、京都のユーラシア大陸文明の影響の強い宮廷文化に慣らされた上皇や貴人たちが、「黒潮文明」という、日本人の故郷に回帰するための旅でもあった。

役小角は、「大峰奥駈道」という、「ユーラシア大陸文明」に基づく律令国家から、「黒潮文明」に回帰するための裏道を開いたのである。

その罪に問われて、伊豆という「黒潮文明圏」のただ中へと流された。

数百年後、京都という「政治」の中心地は空洞化し、「政治」の権力は辺縁へと拡散していき、上皇たちは役小角の後継者たちに先導されて足繁く熊野を訪れるようになり、役小角が流された伊豆は、源頼朝が旗揚げをし「非政治」の中から新しい「政治」権力が立ち上がる最初の土地となった。

役小角の伊豆への流刑と、源頼朝の旗揚げは、無関係な二つのできごとではなく、歴史の深部で深く結びあっている。



ところで、奈良の春日大社には、1000年以上前に植樹された人工のナギ樹林がある。

まるで「かつての『政治』の中心地、奈良もまた、黒潮文明圏の一部なのだ」と言いたげに、奈良公園の中でナギの葉がゆれている。
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