日本語と日本社会(22)
「言霊」と「言挙げ」(11)
ソクラテス「クリティアヌスとヘルモクラテスよ、この点については、私はあの国家とその成員を十分に賞賛できないということを自分でもよく知っている。」
(中略)
クリティアヌス「ソクラテスよ、それでは話を聞いてくれたまえ。これは非常に不思議な話だが、まったくもって真実の話なのだ。」
(出典: プラトン『ティマイオス』)
古代ギリシアの哲学者プラトンが書いた様々な対話篇では、登場人物たちが、上のように議論を進めていきます。
英語話者が互いに議論をするときにも、
「スティーブ、君の意見はかくかくしかじかだが、私はこう思う。」
「なるほど興味深い。しかし、デイビッド、私はかくかくしかじかだと考える。」
というように議論します。
しかし、なぜ日本人が、彼らと同じように、議論をする際に、相手を「○○よ」(例「みぬさよりかずよ」)と呼びかけると、周りに奇異な印象や不快感を与えたり、場合によっては、相手を怒らせてしまうのか。
WJFプロジェクトのコメント欄でしばしば発生する、この不思議な現象から端を発して考察を進めていますが、この個別の出来事をきっかけに、より普遍的な問題に関心を広げて考察していくために、タイトルを「なぜ○○よと呼びかけるのか」から、「日本語と日本社会」に切り替えたいと思います。
言霊と言挙げに関する考察もクライマックスにさしかかろうとしています。
これまで、「個物+根源」という全体的な視野でものごとを俯瞰する姿勢が「コト+タマ」ではないかと推定してきましたが、日本語で用いられる五十音も、「コト-タマ」的な構造をもっています。
日本語の音は、「あいうえお」の母音と「ん」を除いては、全て、「子音+母音」が一つに一体化したものとして成立しており、英語のように、子音だけの音はありません。
日本人は、子音だけの発音ができないので、milk(ミルク)という英単語をなかなか正確に発音できません。どうしても、「miluku」と読んでしまい、「l」という子音のあとに、「u」という母音を追加してしまうのです。
また、日本語の「か(ka)」という音は、「k」という子音と「a」という母音から成り立っていますが、英語話者は、これを「クァ」というように、子音と母音を分離して発音しますが、日本人はこれを一体化して「か」と発音します。
子音を「個物」、母音を「包摂者」と捉えると、英語という「主語優勢」=「コト-アゲ」的な言語が、子音(個物)だけの音をもつ一方で、「述語優勢」=「コト-タマ」的な日本語を構成する一つ一つの音が、「子音+母音」=「個物+根源」という「コト-タマ」的な構造をしているのも、決して偶然ではないように思われます。
「主語優勢」と「子音優勢」、「述語優勢」と「母音優勢」は、言葉や文化の深いところで関係しあっているのかもしれません。
このように、「個物+根源」とする俯瞰的・包括的な姿勢が「コト-タマ」であるのに対して、「コト-アゲ」とは「コト(事・言)」ばかりに偏向した関心を寄せる分析的な姿勢ではないかと推定し、この推定に基づいて、「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 事挙(ことあげ)せぬ国」という有名な文言が現れる、万葉集3253と3254の柿本人麻呂による長歌と返歌を分析していきます。
万葉集巻第十三 3253 (3250の異伝歌として、柿本人麿歌集より。遣唐使への餞別歌か)
葦原の 瑞穂の国は
神ながら 事挙(ことあげ)せぬ国
然れども 辞挙(ことあげ)ぞわがする
言幸く(ことさきく) ま幸く(まさきく)ませと
つつみなく 幸く(さきく)いまさば
荒磯波(ありそなみ) ありても見むと
百重波(ももえなみ) 千重波(ちへなみ)にしき
言上(ことあげ)す我は 言上(ことあげ)す我は
(葦原の瑞穂の国は、神の意のままに言挙げしない国だ。だが言挙げを私はする。ことばが祝福をもたらし、無事においでなさいと、さわりもなく無事でいらっしゃれば、荒磯の波のように後にも逢えようと。百重波や千重波のように、しきりに言挙げするよ、私は。言挙げするよ、私は。)
反歌
万葉集巻第十三 3254
磯城島の(しきしまの) 大和の国は
言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ
(磯城島の日本の国は、言葉の魂が人を助ける国であるよ。無事であってほしい。)
(現代語訳はすべて中西進による)
柿本人麻呂の和歌の分析を通して、「コトダマ」と「コトアゲ」の関係を明らかにすることにより、「主語優勢」的な外国の文化と「述語優勢」的な日本文化の関係、さらには、「政治」と「非政治」のあるべき関係へ考察を進めていきます。
- 関連記事
-
- 日本語と日本社会(24) (2017/07/06)
- 日本語と日本社会(23) (2017/07/04)
- 日本語と日本社会(22) (2017/07/02)
- なぜ、「○○よ」と呼びかけるのか(21) (2017/06/22)
- なぜ、「○○よ」と呼びかけるのか(20) (2017/06/21)