なぜ、「○○よ」と呼びかけるのか(21)

「言霊」と「言挙げ」(10)
引き続き本論からそれますが、ネット上の各所で公開されている「大祓詞」の現代語訳は、誤訳だらけのようです。

解釈上の気になる点をまとめておきたいと思います。

アマテラスが高皇産靈尊(タカミムスビ)と神皇産霊尊(カミムスビ)が主催した高天原での神々の会議
高天原に神留まり坐す 皇親神漏岐神漏美の命以て 八百万神等を神集へに集へ給ひ 神議りに議り給ひて 「我皇御孫命は 豊葦原瑞穂国を 安国と平けく知食せ」と 事依さし奉りき 

經津主神(フツヌシ)と武甕槌神(タケミカヅチ)による露払いと瓊瓊杵尊(ニニギ)の派遣
此く依さし奉りし国内に 荒振神等をば 神問はしに問はし給ひ 神掃へに掃へ給ひて 言問ひし磐根木根 立草の片葉をも事止めて 天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別に千別て 天降し依さし奉りき 

豊葦原瑞穂国の統治
此く依さし奉りし四方の国中と 大倭日高見の国を安国と定め奉りて 下津磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭日の御蔭と隠り坐して 安国と平けく知食さむ

国民の増加と罪の発生
国内に成り出む天の益人等が 過ち犯しけむ種種の罪事は 天津罪 国津罪 許許太久の罪出む 

罪の解除の方法
此く出ば天津宮事以ちて 天津金木を本打ち切り末打ち断ちて 千座の置座に置足はして 天津菅麻を本刈り断ち末刈り切りて 八針に取裂きて 天津祝詞の太祝詞事を宣れ

此く宣らば 天津神は天の磐戸を押披きて 天の八重雲を伊頭の千別に千別て聞食さむ 国津神は高山の末低山の末に登り坐て 高山の伊褒理低山の伊褒理を掻き別けて聞食さむ 此く聞食してば罪と言ふ罪は有らじと 

天津神が祝詞をお聞き下さることによって罪が消滅することの比喩
科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧夕の御霧を朝風夕風の吹き掃ふ事の如く 大津辺に居る大船を舳解き放ち艪解き放ちて大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を焼鎌の利鎌以て打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を 

国津神が祝詞をお聞き下さることによって罪が消滅することの比喩
高山の末低山の末より佐久那太理に落ち多岐つ 早川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神 大海原に持出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百曾に坐す速開都比売と言ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 息吹戸に坐す息吹戸主と言ふ神 根国底国に息吹放ちてむ 此く息吹放ちてば 根国底国に坐す速佐須良比売と言ふ神 持ち佐須良比失ひてむ 此く佐須良比失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を 

結語
天津神国津神八百万の神等共に聞食せと白す


冒頭の文。

高天原に神留まり坐す 皇親神漏岐神漏美の命以て 八百万神等を神集へに集へ給ひ 神議りに議り給ひて 「我皇御孫命は 豊葦原瑞穂国を 安国と平けく知食せ」と 事依さし奉りき


・上の文はしばしば、「高天原にいらっしゃる、天皇が親しくされているイザナギ・イザナミの命が・・・」と訳されているのを散見しますが誤訳です。

・日本書紀や古事記の記述に照らせば、天孫降臨に先立って高天原で会議を召集したのはイザナギやイザナミではありません。

・「高天原に神留まり坐す」という連体修飾句は、「神漏岐神漏美の命」ではなく、「皇(すめら)」にかかっていると読むべきです。

・「高天原に神留まり坐す皇」とは、「天照坐皇大御神」(あまてらしますすめおおみかみ)を指すと理解すべきです。「大祓詞」に、タカミムスビやカミムスビやニニギが登場して、アマテラスが登場しないのは不自然です。

・「高天原に神留まり坐す皇親神漏岐神漏美の命を以て」は、よく「高天原に神留まり坐す/皇親神漏岐神漏美の命を以て」と区切って読むことがありますが、「高天原に神留まり坐す皇/親神漏岐神漏美の命を以て」と区切るべきです。

・これは、「高天原にましますアマテラスが、親戚であるタカミムスビやカミムスビを通して」という意味であると思います。八百万の神たちを会議に招集した主体は、タカミムスビやカミムスビではなく、「高天原に神留まり坐す皇」(アマテラス)であり、「親神漏岐神漏美の命以て」(アマテラスの親戚であるタカミムスビやカミムスビを通して」の意味あると解釈すべきです。

・日本書紀では、会議を招集したのはタカミムスビであるとされていますが、古事記には、アマテラスとタカミムスビが共に会議を招集したと書かれています。アマテラスとタカミムスビは、ニニギの祖母と祖父とあたり親類同士です。「親神漏岐神漏美」の「親」は、単に「親しくしている」という意味ではなく親戚の意味と捉えるのが自然です。

・「八百万神等を神集へに集へ給ひ 神議りに議り給ひて」の「給ひ」はアマテラスに対する尊敬を示した尊敬の補助動詞であると読めば、「我皇御孫命は 豊葦原瑞穂国を 安国と平けく知食せ」というセリフもすっきりと意味が通ります。このセリフはアマテラスが語っている言葉です。アマテラスが「私の孫は」と言っているのです。

・「事依さし奉りき」の「奉り」は、ニニギに対する尊敬を表す謙譲の補助動詞です。この委任の主体もタカミムスビやカミムスビではなく、アマテラスです。

・従って、冒頭文は、次の様に現代語訳すべきです。

高天原に神としてまします皇(=皇大神=アマテラス)は、親戚である高皇産靈尊(タカミムスビ)と神皇産霊尊(カミムスビ)を通して、八百万の神々を召集され、話し合いを起こされて、「私の孫は、豊葦原瑞穂国を 平和に統治せよ」と、物事を委ね申し上げた。
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