なぜ、「○○よ」と呼びかけるのか(14)
「言霊」と「言挙げ」(3)
考察を進めていきましょう。
ここでの考察の目的は、「述語優勢」的で「非政治」的な傾向が強い日本の社会的な風土に、「主語優勢」的な欧米社会で生まれた近代的な「政治」システムが浸透していく一つの可能性を、万葉集に登場する「言霊」と「言挙げ」という二つの概念の関係を明らかにすることによって、探求することです。
次の様な順番で、考察を進めていきます。
1. 「主語」と「述語」の基本的な働きをおさらいします。
2. 「主語優勢」的な言語や文化や社会と、「述語優勢」的な言語や文化や社会が帯びる基本的な特質をおさらいします。
3. 万葉集のテキストを精査することにより、「言霊」=「述語優勢」、「言挙げ」=「主語優勢」という私たちの推定の妥当性を検証します。
4. 最後に、万葉集における「言霊」と「言挙げ」の関係を精査することにより、「述語優勢」的な文化と「主語優勢」的な文化との関係、ひいては「非政治」と「政治」との関係の一つの可能性を明らかにしていきます。
さて、前回、下のような図と表を示しました。

論理的な命題における、「主語」と「述語」の関係は、生物の進化の系統図を用いるとわかりやすくなります。
たとえば「ネコ」は生物学上、次の様に分類されるそうです。
以前、西田幾多郎の難解な思想をとても単純化して説明した際にも述べましたが、
「イエネコは、ヨーロッパヤマネコです」(イエネコ⊂ヨーロッパヤマネコ)
というような論理的な命題を作ると、「主語」が「述語」よりも特殊性の強いモノやコトを指し示す名辞(概念)であるのに対し、「述語」は「主語」を包摂する「主語」よりも一般性・普遍性の強い概念です。
というように命題式を繋いでいくと、下にいくほど、一般性・普遍性が拡大された述語によって主語が包摂されているのがわかります。この論理操作を極限まで繰り返して、最後に、もうこれ以上は他のなにものによっても包摂されない述語にまでおりていくと、そこには極限まで一般性・普遍性を拡大させた、もう他の何者にも包摂されない「窮極の一般者」に行き当たるはずだと、西田幾多郎は考えました。そしてこの「窮極の一般者」とは「絶対無」に他ならず、絶対無が自己を限定することによって、個別のモノやコトやそれに関する判断が生じるのだと西田幾多郎は考えました。
西田幾多郎のこの考えが決して単なる形而上学的な絵空事でないことは、生物進化や宇宙の誕生のプロセスを逆にたどっていけば明らかになります。
現在地球上に多種多様な形態に分岐している生物は、祖先をたどればアメーバーのような地球上で最初に誕生した始原の単細胞の生物に遡ることができ、さらには無機物から有機物が生じた瞬間にまで遡り、さらにはそもそも地球や地球を含む宇宙そのものが誕生したビッグバンのような出来事にまで遡ることができるでしょう。
無から有が生じるビッグバンのような宇宙の始原に遡り、そこを起点にして、宇宙や生命が分岐して現在に至るそのプロセスを考えれば「絶対無が自己を限定してモノやコトが生じる」という西田幾多郎の思想は、宇宙史や生命史そのものを反映した言葉であることがわかるでしょう。
「絶対無」が自己を限定してネコに至る。その間に「イエネコは、ヨーロッパヤマネコです」「ヨーロッパヤマネコは、ネコ属です」という判断が生じているのであれば、「僕は人間だ」とか、「花は美しい」とか、「AはBである」という、日常でもごく一般に見られるあらゆる命題式は、実は、その中に宇宙や生命が生成されていく歴史的プロセスや時間的構造そのものを含んでいることになります。つまり、すべての命題式は、宇宙や生命の歴史の一部を切り取って語ったものだといっても過言ではないのです。
とすれば、科学や哲学のような学術的な言語や、詩や小説のような文学、聖書やコーランや仏典のような宗教書に限らず、日常的な営みの中で用いられる人間のあらゆる言語は、宇宙史、生命史の一部をきりとって語ったものであり、「述語」が、宇宙や生命が分岐していく前の始原に向かって普遍性を目指して遡ろうとする性質があるのに対して、「主語」は、特殊化や分節化が進行した現在の世界(現実の世界)のコトやモノを言い表そうとする性質をもったものだと言うことが出来ます。
このような「主語」や「述語」がもつ本質的な働きを念頭に入れた上で、では「主語優勢」的な言語や文化や社会は、また「述語優勢」的な言語や文化や社会は、それぞれどのような特質を帯びていると考えることができるでしょうか?
(つづく)
ここでの考察の目的は、「述語優勢」的で「非政治」的な傾向が強い日本の社会的な風土に、「主語優勢」的な欧米社会で生まれた近代的な「政治」システムが浸透していく一つの可能性を、万葉集に登場する「言霊」と「言挙げ」という二つの概念の関係を明らかにすることによって、探求することです。
次の様な順番で、考察を進めていきます。
1. 「主語」と「述語」の基本的な働きをおさらいします。
2. 「主語優勢」的な言語や文化や社会と、「述語優勢」的な言語や文化や社会が帯びる基本的な特質をおさらいします。
3. 万葉集のテキストを精査することにより、「言霊」=「述語優勢」、「言挙げ」=「主語優勢」という私たちの推定の妥当性を検証します。
4. 最後に、万葉集における「言霊」と「言挙げ」の関係を精査することにより、「述語優勢」的な文化と「主語優勢」的な文化との関係、ひいては「非政治」と「政治」との関係の一つの可能性を明らかにしていきます。
さて、前回、下のような図と表を示しました。

言語的特質 | 機能 | 語りの内容 | 志向性 | 社会的特質 | |
言霊 | 「述語優勢」的 | 包摂作用 | 過去からの伝承 | 周辺・辺縁(隈・熊・神)を志向 | 「非政治」的 |
言挙げ | 「主語優勢」的 | 分節作用 | 現在の個人的願望 | 中心を志向 | 「政治」的 |
論理的な命題における、「主語」と「述語」の関係は、生物の進化の系統図を用いるとわかりやすくなります。
たとえば「ネコ」は生物学上、次の様に分類されるそうです。
亜種 : イエネコ F. s. catus
種 : ヨーロッパヤマネコ F. silvestrisまたは F. catus
属 : ネコ属 Felis
科 : ネコ科 Felidae
亜目 : ネコ型亜目 Feliformia
目 : 食肉目 Carnivora
綱 : 哺乳綱 Mammalia
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
門 : 脊索動物門 Chordata
界 : 動物界 Animalia
以前、西田幾多郎の難解な思想をとても単純化して説明した際にも述べましたが、
「イエネコは、ヨーロッパヤマネコです」(イエネコ⊂ヨーロッパヤマネコ)
というような論理的な命題を作ると、「主語」が「述語」よりも特殊性の強いモノやコトを指し示す名辞(概念)であるのに対し、「述語」は「主語」を包摂する「主語」よりも一般性・普遍性の強い概念です。
「イエネコは、ヨーロッパヤマネコです」(イエネコ⊂ヨーロッパヤマネコ)
「ヨーロッパヤマネコは、ネコ属です」(ヨーロッパヤマネコ⊂ネコ属)
「ネコ属は、ネコ科です」(ネコ属⊂ネコ科)
というように命題式を繋いでいくと、下にいくほど、一般性・普遍性が拡大された述語によって主語が包摂されているのがわかります。この論理操作を極限まで繰り返して、最後に、もうこれ以上は他のなにものによっても包摂されない述語にまでおりていくと、そこには極限まで一般性・普遍性を拡大させた、もう他の何者にも包摂されない「窮極の一般者」に行き当たるはずだと、西田幾多郎は考えました。そしてこの「窮極の一般者」とは「絶対無」に他ならず、絶対無が自己を限定することによって、個別のモノやコトやそれに関する判断が生じるのだと西田幾多郎は考えました。
「イエネコは、ヨーロッパヤマネコです」(イエネコ⊂ヨーロッパヤマネコ)
「ヨーロッパヤマネコは、ネコ属です」(ヨーロッパヤマネコ⊂ネコ属)
「ネコ属は、ネコ科です」(ネコ属⊂ネコ科)
(中略)
「イエネコは、絶対無です」(イエネコ⊂絶対無/ 色即是空、空即是色)
西田幾多郎のこの考えが決して単なる形而上学的な絵空事でないことは、生物進化や宇宙の誕生のプロセスを逆にたどっていけば明らかになります。
現在地球上に多種多様な形態に分岐している生物は、祖先をたどればアメーバーのような地球上で最初に誕生した始原の単細胞の生物に遡ることができ、さらには無機物から有機物が生じた瞬間にまで遡り、さらにはそもそも地球や地球を含む宇宙そのものが誕生したビッグバンのような出来事にまで遡ることができるでしょう。
無から有が生じるビッグバンのような宇宙の始原に遡り、そこを起点にして、宇宙や生命が分岐して現在に至るそのプロセスを考えれば「絶対無が自己を限定してモノやコトが生じる」という西田幾多郎の思想は、宇宙史や生命史そのものを反映した言葉であることがわかるでしょう。
「絶対無」が自己を限定してネコに至る。その間に「イエネコは、ヨーロッパヤマネコです」「ヨーロッパヤマネコは、ネコ属です」という判断が生じているのであれば、「僕は人間だ」とか、「花は美しい」とか、「AはBである」という、日常でもごく一般に見られるあらゆる命題式は、実は、その中に宇宙や生命が生成されていく歴史的プロセスや時間的構造そのものを含んでいることになります。つまり、すべての命題式は、宇宙や生命の歴史の一部を切り取って語ったものだといっても過言ではないのです。
とすれば、科学や哲学のような学術的な言語や、詩や小説のような文学、聖書やコーランや仏典のような宗教書に限らず、日常的な営みの中で用いられる人間のあらゆる言語は、宇宙史、生命史の一部をきりとって語ったものであり、「述語」が、宇宙や生命が分岐していく前の始原に向かって普遍性を目指して遡ろうとする性質があるのに対して、「主語」は、特殊化や分節化が進行した現在の世界(現実の世界)のコトやモノを言い表そうとする性質をもったものだと言うことが出来ます。
このような「主語」や「述語」がもつ本質的な働きを念頭に入れた上で、では「主語優勢」的な言語や文化や社会は、また「述語優勢」的な言語や文化や社会は、それぞれどのような特質を帯びていると考えることができるでしょうか?
(つづく)
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