なぜ、「○○よ」と呼びかけるのか(12)
「言霊」と「言挙げ」(1)
神代より 言ひ伝て来(け)らく
そらみつ 倭の国は
皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国
言霊(ことたま)の 幸(さき)はふ国と
語り継ぎ 言ひ継がひけり
(後略)
(出典: 万葉集巻第五 894 雑歌、山上憶良による遣唐使への餞別の歌)
蜻蛉島(あきづしま)日本(やまと)の国は
神からと 言挙(ことあげ)せぬ国
然(しか)れども われは事上(ことあげ)す
(後略)
(出典: 万葉集巻第十三 3250 相聞歌、詠み人知らず)
葦原の 瑞穂の国は
神ながら 事挙(ことあげ)せぬ国
然れども 辞挙(ことあげ)ぞわがする
言幸く(ことさきく) ま幸く(まさきく)ませと
(後略)
(出典: 万葉集巻第十三 3253 〈3250の異伝歌として、柿本人麿歌集より。遣唐使への餞別歌か〉)
磯城島の(しきしまの) 大和の国は
言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ
(出典: 万葉集巻第十三 3254〈3253への反歌〉)
このように万葉集では、葦原の瑞穂の国(日本)は、
「言霊の幸はふ国」
「言霊の助くる国」
「言挙げせぬ国」
であると呼ばれています。
万葉集で、「言霊」と「言挙げ」に言及している歌を拾っていくと、「言霊」と「言挙げ」は対立する概念であり、「言霊」と「言挙げ」に関する命題には、どうやら、次の様な論理的関係が存在することが読み取れます。
a. 「日本は言霊の幸う(栄える)国である」
b. (ゆえに)「日本は言挙げせぬ国である」
c. (しかし)「私は言挙げをする」
d. (それでも)「日本は言霊が助ける国である」
前回の記事で、私たちは、「言霊」とは、日本語の「述語優勢的」な文法構造、また、そこから派生する「包摂作用」が関係しているのではないかと推定しましたが、すると、「言霊」の対立概念と考えられる「言挙げ」は、「述語優勢的」な日本語本来の特質に逆らうような、「主語優勢的」な言語の使い方に関係しているのではないかという推定が成り立ちます。
この推定を前提にして、万葉集から抽出できる、上掲のa, b, c, dの四つの命題の論理的関係を考察すると、「政治」と「非政治」の関係をめぐる、ある重要なメッセージが浮かび上がってきます。
(つづく)
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