なぜ、「○○よ」と呼びかけるのか(9)
「関係の言語」と「題・述構造」(2)
1953年に『現代語法序説』という本を出版し、「日本語には主語が存在しない」という、言語学会を震撼させる画期的な見解を発表したのは、三上章(1903-1971)という、女子校で数学を教える一介の高校教師でした。
三上章が提示した学説は、西洋の言語と同様に日本語にも主語が存在し、「は」や「が」という主格の格助詞が主語を作るという、現在も学校文法で教えられている、橋本進吉(1882-1945)のような言語学者らが築いた国語学の定説を根底から覆すものでした。
三上の説は、門外漢による邪説として、しばらくは国語学者らによってひたすら異端視され、無視され続けましたが、やがて彼の発見は海外にも波及し、1976年には、チャールズ・N・リーやサンドラ・トンプソンという言語学者が、世界の言語を、
「主語優勢言語(Subject-prominent language)」
「主題優勢言語(Topic-prominent language)」
に分類するにまで至ります。
現在では、日本語の主語に関して学者の意見は完全に一致してはいないようですが、「日本語には主語が存在しない」という三上章の見解は、かつてのように「邪説」として無視されることはなく、主要な学説として広く受けいれられています。
「は」や「が」という日本語の格助詞が、主語を作るものではないことを示すわかりやすい例として、三上章が取り上げたのが、
「象は鼻が長い」
という例文です。
「は」や「が」が、主語を表すものならば、「象は鼻が長い」という日本語の文には、二つの主語が存在することになってしまいます。
「象は鼻が長い」
に類似した文として、
「僕は君が好きだ」
という文もありますが、「象は鼻が長い」という文における「鼻が」が主語のような働きをしているのに対して、「僕は君が好きだ」という文における「君が」は、目的語のような働きをしています。
おなじ格助詞の「が」が使われているのに、主語になったり目的語になったり、日本語はまったく奇妙な言語です。
そこで、三上章は、「は」や「が」は、文の「主語」ではく、文の「主題」を提示するものだと解釈しました。
「鼻については話すならば、『長い』」
「象については話すならば『鼻が長い』」
「は」や「が」には、このように文の主題を示す働きがあると説明したのです。
この三上章の解釈に基づいて、日本語は、西洋語のような明確な主語をもつ「主語優勢言語(Subject-prominent language)」に対して、「主題優勢言語(Topic-prominent language)」の一つに数えられています。
(注: ラテン語やギリシア語、またラテン語から派生したスペイン語は、動詞が厳格な人称変化をするために、主語を省略した文を作ることができますが、動詞の人称変化によって主語は明確に示されているので、ラテン語やギリシア語やスペイン語も、「主語優勢言語(Subject-prominent language)」に含められています。)
ここで、「主題優勢言語(Topic-prominent language)」とは何かを突き詰めて考えると、「○○は」「○○が」という分節が、述語から分離独立した主語ではなく、文の主題を提示しているものとするならば、いわば連用修飾語のようなものとみなされ、大きな述語の一部として捉えることが可能になります。
すると、「主題優勢言語(Topic-prominent language)」とは、「述語優勢言語」(Predicate-prominent language)のことに他ならないということになります。
「主題優勢言語(Topic-prominent language)」を「述語優勢言語」(Predicate-prominent language)と捉えるならば、「主語優勢言語(Subject-prominent language)」との対比は一層明確になります。
このように捉えると、三上章の日本語理解は、「場所の論理」を唱えた西田幾多郎の哲学ととても類似したものであることがわかります。
西田哲学も「述語優勢」的な哲学だからです。
実際に、三上章は、もともと哲学者を目指した人物であり、哲学を学ぶためには数学を知らなければならないと考えて、東大の建築学科で数学を修めた経歴を持ちます。
おそらくは、哲学者を目指した青春時代に西田哲学も学んでいるはずです。
三上章の西田哲学の知識が、「日本語には主語が存在しない」という、現在では定説に準じる大きな影響力をもつ、国語学の主要な学説を生み出したに違いありません。
次回は、どのように西田幾多郎の「場所の論理」と、「日本語には主語がない」とする、「述語優勢」的な三上章の日本語解釈が類似しているかを簡単に説明していきます。
三上章が提示した学説は、西洋の言語と同様に日本語にも主語が存在し、「は」や「が」という主格の格助詞が主語を作るという、現在も学校文法で教えられている、橋本進吉(1882-1945)のような言語学者らが築いた国語学の定説を根底から覆すものでした。
三上の説は、門外漢による邪説として、しばらくは国語学者らによってひたすら異端視され、無視され続けましたが、やがて彼の発見は海外にも波及し、1976年には、チャールズ・N・リーやサンドラ・トンプソンという言語学者が、世界の言語を、
「主語優勢言語(Subject-prominent language)」
「主題優勢言語(Topic-prominent language)」
に分類するにまで至ります。
現在では、日本語の主語に関して学者の意見は完全に一致してはいないようですが、「日本語には主語が存在しない」という三上章の見解は、かつてのように「邪説」として無視されることはなく、主要な学説として広く受けいれられています。
「は」や「が」という日本語の格助詞が、主語を作るものではないことを示すわかりやすい例として、三上章が取り上げたのが、
「象は鼻が長い」
という例文です。
「は」や「が」が、主語を表すものならば、「象は鼻が長い」という日本語の文には、二つの主語が存在することになってしまいます。
「象は鼻が長い」
に類似した文として、
「僕は君が好きだ」
という文もありますが、「象は鼻が長い」という文における「鼻が」が主語のような働きをしているのに対して、「僕は君が好きだ」という文における「君が」は、目的語のような働きをしています。
おなじ格助詞の「が」が使われているのに、主語になったり目的語になったり、日本語はまったく奇妙な言語です。
そこで、三上章は、「は」や「が」は、文の「主語」ではく、文の「主題」を提示するものだと解釈しました。
「鼻については話すならば、『長い』」
「象については話すならば『鼻が長い』」
「は」や「が」には、このように文の主題を示す働きがあると説明したのです。
この三上章の解釈に基づいて、日本語は、西洋語のような明確な主語をもつ「主語優勢言語(Subject-prominent language)」に対して、「主題優勢言語(Topic-prominent language)」の一つに数えられています。
(注: ラテン語やギリシア語、またラテン語から派生したスペイン語は、動詞が厳格な人称変化をするために、主語を省略した文を作ることができますが、動詞の人称変化によって主語は明確に示されているので、ラテン語やギリシア語やスペイン語も、「主語優勢言語(Subject-prominent language)」に含められています。)
ここで、「主題優勢言語(Topic-prominent language)」とは何かを突き詰めて考えると、「○○は」「○○が」という分節が、述語から分離独立した主語ではなく、文の主題を提示しているものとするならば、いわば連用修飾語のようなものとみなされ、大きな述語の一部として捉えることが可能になります。
すると、「主題優勢言語(Topic-prominent language)」とは、「述語優勢言語」(Predicate-prominent language)のことに他ならないということになります。
「主題優勢言語(Topic-prominent language)」を「述語優勢言語」(Predicate-prominent language)と捉えるならば、「主語優勢言語(Subject-prominent language)」との対比は一層明確になります。
このように捉えると、三上章の日本語理解は、「場所の論理」を唱えた西田幾多郎の哲学ととても類似したものであることがわかります。
西田哲学も「述語優勢」的な哲学だからです。
実際に、三上章は、もともと哲学者を目指した人物であり、哲学を学ぶためには数学を知らなければならないと考えて、東大の建築学科で数学を修めた経歴を持ちます。
おそらくは、哲学者を目指した青春時代に西田哲学も学んでいるはずです。
三上章の西田哲学の知識が、「日本語には主語が存在しない」という、現在では定説に準じる大きな影響力をもつ、国語学の主要な学説を生み出したに違いありません。
次回は、どのように西田幾多郎の「場所の論理」と、「日本語には主語がない」とする、「述語優勢」的な三上章の日本語解釈が類似しているかを簡単に説明していきます。
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