なぜ、「○○よ」と呼びかけるのか(8)

日本的なものと、非・日本的なものの狭間で。
若い頃の私の課題は、いかに日本的なものを乗り越えていくかだった。

日本人の嫌なところばかりが目について仕方がなかった。

他の日本人の行動を見て「いやだ」と感じる同じ特質は、全部自分の中にもあった。

個人として自立していないところ。

べたべたと群れ会って徒党を組むこと。

主観的、感傷的で、合理的でないところ。

閉鎖的で、対人恐怖症的で、フレンドリーでないところ。

西洋の文化や学問に関心をもったのも、自分の中にもふんだんに存在する、日本人としての弱点を克服したいと思ったからだった。

でも、年を重ねるにつれて、逆に西洋的なものの考え方に疑問をもつようになった。

かえって日本的なものの考え方、生き方の中にすぐれたものがあるのではないかと見直すようになった。

そうして、私は、いわば「ネトウヨ」的な考え方に傾斜していったのだが、数年の「ネトウヨ」生活を経て、私が改めて思うのは、日本人的な生き方やものごとの捉え方や、日本人的な社会は、やはり、手放しに礼賛することのできない弱点を抱えているということだ。

若い時代に感じたことは、決して的外れではなかった。

だから、今の私は、日本的なものと、非・日本的なものの狭間に立っている。

(非・日本的なものを、西洋的なもの、あるいはグローバルなものと言い換えてもいいかもしれない。)

この二つのものをどう橋渡ししていくかについて考えあぐねている。

日本的なものを捨てて、非・日本的なものに傾斜していけばよいということでもないし、逆に、非・日本的なものに背を向けて、日本的なものの中に閉じこもっていけばよいということでもない。

「グローバリズム」に傾斜すればよいということではないし、逆に、「反・グローバリズム」に傾斜すればよいということでもない。

誰かを「○○よ」と呼ぶべきか否かという問題は、どうでもよい小さな問題だが、この問題をきっかけにして、これまで考えてきたこと、学んできたことを整理し、あらためて、日本的なものと、非・日本的なものをどう媒介するべきかという問題に、一つに答えを与えてみたいと思うのだ。
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