なぜ、「○○よ」と呼びかけるのか(3)

文の中に社会的関係性が不可避的に織り込まれてしまう。
前回の記事、「なぜ、『○○よ』と呼びかけるのか(2)」で取り上げた日本語とそこから派生する日本社会の問題を指摘し深く考察したのは、森有正という、戦後初の官費留学生としてフランスに派遣されたまま日本に帰国することを拒み、フランスで客死した異色の思想家です。森有正の思想と人生については後ほど詳しく取り上げることにして、もう少し日本語の問題を考えていきましょう。

日本語には夥しい数の一人称代名詞、二人称代名詞が存在します。

一人称代名詞: 「わたし」「俺」「僕」「わし」「あたし」「わたくし」「うち」「おいら」「わて」「われ」・・・

二人称代名詞: 「あなた」「おまえ」「君」「おたく」「きさま」「てめえ」「あんた」「自分」「おのれ」「なんじ」・・・

話者は、自分が誰に対して話しかけるのか、常に聞き手との社会的関係性を意識し、その関係性にふさわしい一人称代名詞と二人称代名詞を選択しなければなりません。

この選択を誤れば、聞き手に感情的な拒絶反応を引き起こし、発話そのものが成立しなくなることでしょう。

日本語は、話者と聞き手との社会的関係性を敏感に意識して、それを適切なやり方で文の中に反映させ織り込まなければならない言語です。

これとは対照的に、英語には、人称と数に応じてそれぞれ一種類ずつの人称代名詞しかありません。

一人称単数は"I"であり、二人称単数は"you"です。

目下の人が目上の人に話すときにも、目上の人が目下の人に話すときにも、話し手と聞き手の社会的立場や関係性とまったく無関係に、常に、同じ、"I"と"you"が使われます。

英語は、話者と聞き手の社会的関係性を顧慮するこなく発話が行われます。英語の文には、話者と聞き手の社会的関係性という余計な要素が侵入してくる余地が構造的に存在しないのです。

人称にまつわる日本語の特徴として、人称と人称の境目が曖昧であるという点も挙げられます。

たとえば、本来は三人称の名詞である固有名詞や一般名詞が、二人称として使われたり、一人称代名詞が二人称代名詞として使われることがあります。

「山田君ってやさしいね。」(Yamada, you are so kind. )

「ねえ、お父さん、これからどこにいくの?」(Dad, where are you going?)

「僕は何歳かな?」(How old are you?)


(つづく)
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野生と文明の相克の物語(1)

フランスの人類学者レヴィ=ストロースが、1962年に『野生の思考』(原題 La Pensée sauvage, 英訳 The Savage Mind)を著し、文明の埒外に生きる人々が発展させてきた比喩に基づく神話的思考と、近代文明を生み出した科学的思考との相似性と対等性を明らかにするまでは、「野生」(The savage)は、「文明」によって制圧され、征服されるべき対象と見なされていた。
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