「反・グローバリズム」の愚かしさについて
嫌韓を嗤いながら反ユダヤ。
下の動画は、おそらく、クラシック音楽の中で最も美しい作品の一つ、モーリス・ラヴェルの『ピアノ協奏曲ト長調」の第2楽章です。
音楽は静かで穏やかなピアノの独奏から始まります。この音楽のもっとも美しい部分は、3:00あたりから、フルート、オーボエ、クラリネットなどの木管楽器が哀愁に満ちた天国のような旋律でピアノに加わってくる部分です。
(ラヴェルには、もう一つ「左手のためのピアノ協奏曲」という素晴らしい作品があり、昨年、ピエール=ローラン・エマールというフランス人ピアニストの生演奏に間近で接する機会がありました。)
上の動画の中で「ピアノ協奏曲ト長調」を演奏しているのは、エレーヌ・グリモーというユダヤ系フランス人の著名なピアニストです。
エレーヌ・グリモーは、オオカミと共に暮らす、オオカミの研究者、また保護活動家としても知られています。
エレーヌ・グリモーに限らず、クラシック音楽の世界で活躍してきた著名な音楽家の多くはユダヤ人です。
メンデルスゾーンもユダヤ人、マーラーもユダヤ人、シェーンベルグもユダヤ人、ガーシュウィンもユダヤ人、ワルターも、バーンスタインも、ルービンシュタインも、ホロヴィッツも、アシュケナージも、アルゲリッチも、バレンボイムも、フィッシャーも、ギレリスも、ペイラアも、シフも、ゼルキンも、パールマンも、シュターンも、オイストラフも、クライスラーも、ミルシュテインも、クレーメルも、メニューインも、ヨアヒムも、シゲティも、ハイフェッツも、マイスキーもユダヤ人。
クラシック音楽のファンなら誰でも知っているこれらの作曲家や演奏家は全てユダヤ人です。
ユダヤ人が活躍してきたのは音楽の分野だけではありません。
自然科学、人文科学、社会科学を問わず、学問の世界でユダヤ人がどれだけ貢献してきたか。
スピノザもユダヤ人、フッサールもユダヤ人、フロイトも、マルクスも、チョムスキーも、デリダも、レヴィナスも、ポパーも、ベルクソンも、ブーバーも、ブロッホも、アレントも、アドラーも、アドルノも、レヴィ=ストロースも、デュルケームもユダヤ人。
全人類の中でユダヤ人が占める割合は0.2%以下だそうですが、ノーベル賞を受賞した人々の20%がユダヤ人なのだそうです。
ユダヤ陰謀論を鵜呑みにし、ユダヤ人を悪だと決めつけてその存在を否定すれば、ユダヤ人が、何世紀にもわたって学問や芸術の分野で積み重ねてきた人類に対する大きな貢献をも否定しなければならなくなってしまいます。
だから、ふだんから学問や芸術をたしなむ人たちは、ユダヤ陰謀論に陥ったりしません。
学問や芸術の世界におけるユダヤ人の貢献の度合いを知っているからです。
ユダヤ陰謀論にはまるのは、沢村直樹のように、学問や芸術の素養のない、視野の狭い、無教養な人々ばかりです。
嫌韓に飽きたら、反ユダヤ主義。
嫌韓をバカにしながら、反ユダヤ主義。
嫌韓も反ユダヤ主義も、憎悪の対象を変えただけで同じものに過ぎないというのに、自分が同じ過ちを繰り返しているという客観的な自己分析もできない。
グローバリズムと対峙することと、「反・グローバリズム」に陥ることは別物だということがわからない。
グローバリズムがだめだからといって、「反・グローバリズム」を掲げればよいというわけではないということがわからない。
韓国人であれ、ユダヤ人であれ、特定集団をバッシングするという、二項対立的な、二元的な考え方に立つことこそが、むしろ、グローバリズムのような一元化された世界を招来してしまうということがわからない。
参考記事:
「グローバリズムと『二・一』構造」(2014年6月10日)
グローバリズムと対峙することとは、多元的な世界を守ることであり、多元的な世界を守るためには、世界のどのような集団に対してもニュートラルな距離感を保たなければならない、ということがわからない。
ユダヤ人のような特定集団をバッシングする二元的な思考のままでは、多元的な世界は守られないということが理解できない。
参考記事:
「多元的保守思想の復興」(2014年7月9日)
「多元的思考はえり好みをしない」(2014年8月14日)
沢村直樹氏の放送を見ていると、安倍信者にも、反安倍にもろくな連中がいないとうんざりさせられます。
音楽は静かで穏やかなピアノの独奏から始まります。この音楽のもっとも美しい部分は、3:00あたりから、フルート、オーボエ、クラリネットなどの木管楽器が哀愁に満ちた天国のような旋律でピアノに加わってくる部分です。
(ラヴェルには、もう一つ「左手のためのピアノ協奏曲」という素晴らしい作品があり、昨年、ピエール=ローラン・エマールというフランス人ピアニストの生演奏に間近で接する機会がありました。)
上の動画の中で「ピアノ協奏曲ト長調」を演奏しているのは、エレーヌ・グリモーというユダヤ系フランス人の著名なピアニストです。
エレーヌ・グリモーは、オオカミと共に暮らす、オオカミの研究者、また保護活動家としても知られています。
エレーヌ・グリモーに限らず、クラシック音楽の世界で活躍してきた著名な音楽家の多くはユダヤ人です。
メンデルスゾーンもユダヤ人、マーラーもユダヤ人、シェーンベルグもユダヤ人、ガーシュウィンもユダヤ人、ワルターも、バーンスタインも、ルービンシュタインも、ホロヴィッツも、アシュケナージも、アルゲリッチも、バレンボイムも、フィッシャーも、ギレリスも、ペイラアも、シフも、ゼルキンも、パールマンも、シュターンも、オイストラフも、クライスラーも、ミルシュテインも、クレーメルも、メニューインも、ヨアヒムも、シゲティも、ハイフェッツも、マイスキーもユダヤ人。
クラシック音楽のファンなら誰でも知っているこれらの作曲家や演奏家は全てユダヤ人です。
ユダヤ人が活躍してきたのは音楽の分野だけではありません。
自然科学、人文科学、社会科学を問わず、学問の世界でユダヤ人がどれだけ貢献してきたか。
スピノザもユダヤ人、フッサールもユダヤ人、フロイトも、マルクスも、チョムスキーも、デリダも、レヴィナスも、ポパーも、ベルクソンも、ブーバーも、ブロッホも、アレントも、アドラーも、アドルノも、レヴィ=ストロースも、デュルケームもユダヤ人。
全人類の中でユダヤ人が占める割合は0.2%以下だそうですが、ノーベル賞を受賞した人々の20%がユダヤ人なのだそうです。
ユダヤ陰謀論を鵜呑みにし、ユダヤ人を悪だと決めつけてその存在を否定すれば、ユダヤ人が、何世紀にもわたって学問や芸術の分野で積み重ねてきた人類に対する大きな貢献をも否定しなければならなくなってしまいます。
だから、ふだんから学問や芸術をたしなむ人たちは、ユダヤ陰謀論に陥ったりしません。
学問や芸術の世界におけるユダヤ人の貢献の度合いを知っているからです。
ユダヤ陰謀論にはまるのは、沢村直樹のように、学問や芸術の素養のない、視野の狭い、無教養な人々ばかりです。
嫌韓に飽きたら、反ユダヤ主義。
嫌韓をバカにしながら、反ユダヤ主義。
嫌韓も反ユダヤ主義も、憎悪の対象を変えただけで同じものに過ぎないというのに、自分が同じ過ちを繰り返しているという客観的な自己分析もできない。
グローバリズムと対峙することと、「反・グローバリズム」に陥ることは別物だということがわからない。
グローバリズムがだめだからといって、「反・グローバリズム」を掲げればよいというわけではないということがわからない。
韓国人であれ、ユダヤ人であれ、特定集団をバッシングするという、二項対立的な、二元的な考え方に立つことこそが、むしろ、グローバリズムのような一元化された世界を招来してしまうということがわからない。
参考記事:
「グローバリズムと『二・一』構造」(2014年6月10日)
グローバリズムと対峙することとは、多元的な世界を守ることであり、多元的な世界を守るためには、世界のどのような集団に対してもニュートラルな距離感を保たなければならない、ということがわからない。
ユダヤ人のような特定集団をバッシングする二元的な思考のままでは、多元的な世界は守られないということが理解できない。
参考記事:
「多元的保守思想の復興」(2014年7月9日)
「多元的思考はえり好みをしない」(2014年8月14日)
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