ぴーの新しい旅立ち

自然は私たちが愛するものたちの遺骸でできている。
お悔やみのお言葉を下さった皆様方、ありがとうございます。

ぴーのお気に入りだった毛布にぴーの遺骸を寝かせて一晩過ごしたあと、日曜日の早朝5時に、ぴーを見つけた神社のご神木の根元にぴー埋葬してきました。

ヒメウズラは、ヒナのときに母鳥に抱かれていたときのことを思い出すのか、この手のふわふわした布が大好きのようです。ぴーも、ぴーのためにしつらえた薄手のこの毛布に、体をこすりつけたりもぐりこんだりしてよく遊んでいました。



ご神木の根元の小さな石がぴーのお墓です。今日、ぴーの遺影をプリントしてもらいに写真屋さんに行った帰りに神社に立ち寄って撮影してきました。



無断で神社の境内や公園などにペットの遺骸を埋めることは法律で禁止されているそうですが、ふだん立ち寄る人がめったにいない無人の神社であり、おそらく毎日お参りしているのは私一人なので、そのよしみで神様も大目に見て下さるだろう。ぴーの亡骸はとても小さく、20センチほどの浅い場所に土に分解されない人工物を埋めずに埋葬すればご神木には影響はないだろうと判断して、この場所に埋葬させていただきました。埋葬する際、ぴーの遺骸の周りにいつもぴーに与えていた餌をまいてあげました。

昨年の夏の終わりにぴーを一番最初に発見したのも、ぴーを埋葬したのとちょうど同じ場所でした。

はじめ白っぽいものが写真の場所に落ちていたので、神社にゴミが落ちていると拾って持ち帰るのを習慣にしている私は、コンビニの袋か何かだろうと思って拾おうとしたら小さな鳥でした。

ご神木の上から落ちてきた野鳥の赤ちゃんかと思い、地べたの上にいたら蟻や他の動物の襲撃を受けてしまうと思い、根っこの少し高くなっている場所に移動させました。

お腹をすかせていてはかわいそうなので、食べるかどうか分かりませんでしたが、一旦家にもどってお米をもってきて、ぴーの周りに並べておきました。

下がそのときの写真です。



その後帰宅してからも、鳥のことがずっと気がかりで、何の鳥だろうとインターネットを調べていたら、ヒメウズラというペット用の鳥であることがわかり、野生の鳥のように自然の中を自力では生きられないだろうと判断し、次の日に見に行ったら前日と同じ場所にうずくまっていたため、家に連れて帰りました。

それがぴーとの楽しい生活の始まりでした。

下は、昨年の暮れにぴーについて書いた記事の引用です。

我が家の蔵王権現。

金峯山寺に蔵王権現のご開帳を拝観にいったとき、お坊さんが、講話で、「すべてつながっているのですよ」というお話をされていた。

「みなさんは、ふだん、それぞれ、ご先祖様をおがんだり、氏神様を大切にしていらっしゃることでしょう。みなさんが今日、御覧になった蔵王権現も、みなさんが、ふだん大切になさっているものとつながっているのですよ。だからみなさんがふだん大切にされてこられたものを、そのまま大切にされていかれれば、それでよいのです。」

というお話だった。

神仏習合の修験道のお坊さんらしいお話だったが、そのお話を聞いたとき、私には思いおこす出来事があった。

私が毎日お参りをする近所の神社には、人があまり寄りつかない。

一体、私以外に、社務所もなくふだんは神職もいないこの神社にお参りにくる人はいるのだろうかとけげんに思い、お手水の柄杓をちょっと変わった置き方で置いておくが、次の日に行っても、誰も柄杓を使った気配がなく、私が置いたままの様子で置いてある。

秋祭りの時だけ町の人たちがたくさん集まってくるが、祭りの時に、本殿の御扉が開帳されていたので中をのぞいたら、ご神体はただの伊勢神宮の古びたお札だった。

しかし、私は、その小さな氏神様をお参りするとき、伊勢神宮や、熊野の大きな神社をお参りするときと同じ厳粛な空気を感じる。

ああ、伊勢や熊野で見たものは、ちゃんとここにあるじゃないかと思わされる。

どんな有名神社よりも、私にとって大切に思われるのは、私が長年暮らしてきたこの町の、この神社である。

その神社には、樹齢何百年もの、古くて立派な椎の木のご神木がある。

根の形といい、枝の張り具合といい、貫禄があって、その佇まいが実にかっこいい。

私はその木が大好きなので、毎日その神社を訪れる。

その椎の木が落としたドングリを拾って御守りにしている。

そんなある日のことだった。

いつものように神社にお参りにいくと、ご神木の根元に白いコンビニ袋のようなものが転がっている。

ゴミかと思って拾おうとしたら、うずくまって動かない一羽の鳥だった。

最近、ペットとして人気のヒメウズラだという。

誰かに捨てられたのか、逃げ出したのかわからないけれど、猫やカラスに食われてはいけないので、連れてかえり、交番に届けたが、結局、飼い主は現れず、晴れて我が家の鳥となった。

ときどき、夜中に、けたたましい声でなく。(動画は他の方のもの)

ヒメウズラを手にとって、その体温を手のひらに感じるとき、私は、なぜか、蔵王権現に面したときと同じような厳粛な気持ちになる。

(出典: WJFプロジェクト「つながっている」2016年12月26日)


蔵王権現に向き合うような気持ちでぴーのことを大切にしてきましたが、ぴーは死んでしまい、体温がまったく感じられない冷たい体になってしまいました。

これからぴーの小さな体は土に帰り、ぴーの体を構成していた物質は細かい原子へと分解され、やがてご神木の根から吸収され、ご神木の体や歴史の一部になっていくことでしょう。

ぴーは、私が思いを寄せるご神木と一体になる新しい旅路に出立したのです。

自然は、私たちが愛する者たちの遺骸によって作られています。

また、そこから愛すべき新しい命が芽吹いてくるのです。



トトロの置物にいれてあるのは、ご神木が秋に落としたどんぐりとぴーの羽根です。

青いお札は、昨年の12月に、奈良県吉野の金峯山寺の蔵王権現のご開帳を拝観したときにいただいたときのもの。

このお札の裏にも、ぴーの羽根を収めました。

体の小さなぴーとふれあうとき、私はいつも金峯山寺の巨大な蔵王権現のことを思い出していたからです。

ぴーは、これからも私の机の上を歩き回って、私の仕事と勉強を見守ってくれることでしょう。

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