明治体制は日本の全体を包摂しようとしなかった

あらためて、「国」とは何か。
私は、日本にふさわしい「保守」という概念が存在するとしたら、その定義は次のようなものであると考えます。

「エトノス」(民族)的な源流に遡り、そこから「デモス」(市民)的なものを再構築すること。

白鳳時代に律令制度という中国の政治制度を取り入れてから、江戸時代に至るまで、日本はまさに、"「エトノス」(民族)的な源流に遡り、そこから「デモス」(市民)的なものを再構築する"プロセスをたどりました。

律令制度(「デモス」的なもの)は、明治維新で正式に廃止されるまで形式的には存在していましたが、その内容は換骨奪胎され、日本の政治システムはすっかり日本的なものに置き換えられていました。

白鳳時代から江戸時代に至る、律令制度の日本化のプロセスに大きな役割を果たしたのは、修験道や熊野詣のような自然回帰のブームです。

日本人は、修験道や熊野詣の実践を通して、単に自然の中に回帰しようと努めただけではなく、縄文時代にまで遡る「エトノス」(民族)的なものの最古層を掘り当てようとしていたと私は考えます。

ですから、日本人が、"「エトノス」(民族)的な源流に遡り、そこから「デモス」(市民)的なものを再構築する"プロセスのことを、

「縄文から現代に至る日本人の歴史的あゆみの全体」

とよびかえることも可能です。

「国」というものの本質は、単に「エトノス」(民族)的なものの中にあるのでもなく、また単に「デモス」(市民)的なものの中にあるのでもなく、"「エトノス」(民族)的な源流に遡り、そこから「デモス」(市民)的なものを再構築する"プロセスの全体が「国」なのだと思います。

さて、上のような「保守」や「国」の定義に照らした場合、明治維新において我が国が導入した「国民国家」という国家制度をどのように評価することができるでしょうか。

文部省が1937年3月に発行したパンフレット「国体の本義」には次のような一節が書かれています。

"源頼朝が、平家討減後、守護・地頭の設置を奏請して全国の土地管理を行ひ、政権を掌握して幕府政治を開いたことは、まことに我が国体に反する政治の変態であつた。それ故、明治天皇は、陸海軍軍人に下し賜へる勅諭に於て、幕府政治について「且は我国体に戻り且は我祖宗の御制に背き奉り浅間しき次第なりき」と仰せられ、更に「再び中世以降の如き失体なからんことを望むなり」と御誡めになつてゐる。"

(出典: 「国体の本義」 /参考記事: WJFプロジェクト「歴史を形作る目に見えない力について(6)」2016年3月26日 )


武家が政治の実権を握った日本の中世・近世は、"「エトノス」(民族)的な源流に遡り、そこから「デモス」(市民)的なものを再構築する"プロセスを日本人がたどっていた時代なのですが、明治体制はこの時代を「我が国体に反する政治の変態」「中世以降の如き失体」と呼んで否定しました。

つまり、明治の国家体制は、外国から導入した近代的な「デモス」(市民)的制度を天皇の権威によって硬直化させると同時に、それが日本独自の「エトノス」(民族)的なものによって内部から侵食され、変質させられ、換骨奪胎されていく事態を「失体」「政治の変態」と呼んで、その可能性を拒絶していました。

明治体制が西洋から導入した「国民国家」という国家制度は、「縄文から現代に至る日本人の歴史的あゆみの全体」を包摂しようとせず、また、「縄文から現代に至る日本人の歴史的あゆみの全体」によって包摂されることを拒んでいたことになります。

"「エトノス」(民族)的な源流に遡り、そこから「デモス」(市民)的なものを再構築する"プロセスの全体こそが「国」であるという見方に立つならば、明治体制下での国家体制は、やはり日本という国の健全な姿ではなかった。むしろ、明治体制こそが、日本の歴史上、異形の時代であったと思います。

従って、保守的な観点からは、右翼の人々がやりがちなように、明治体制下の日本を、日本という国が立ち帰るべき原点であるかのように理想化するのは大きな間違いであるということになります。

さりとて、明治体制を単なる暗黒時代として切り捨てて、「再び明治以降の如き失体なからんことを望むなり」と言ってしまえば、私たちは、明治体制が日本の中・近世を「我が国体に反する政治の変態」として全否定した轍を踏むことになるので注意が必要です。明治体制がどんなに異形の時代であったにせよ、私たちはそれを「縄文から現代に至る日本人の歴史的あゆみの全体」の中に包摂しなければなりません。

敗戦という明治体制の瓦解を経て、日本人は、再び、"「エトノス」(民族)的な源流に遡り、そこから「デモス」(市民)的なものを再構築する"プロセスを、ようやく歩き始めているのだと思います。

現在、「エトノス」(民族)的なものによって再構築されつつある「デモス」(市民)的なものとは、150年前の明治維新において日本に導入された近代的な「国民国家」という国家体制です。

戦後体制は、巨視的な観点に立ってこれを見るならば、「国民国家」という「デモス」的制度の再構築の一つの試みとして後世の歴史家によって積極的に評価されていくだろうと私は信じています。決して「脱却」すべき悪しき時代として専ら否定すべきものではありません。

「国民国家」再構築の試みはまだまだ始まったばかりであり、西洋で生まれたこの国家制度が、日本人の手によって十分に日本化されていくのには、「律令制度」という中国で生まれた政治制度が日本化されていくのに要した時間に匹敵する長い時間がかかると予想します。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

WJFプロジェクトについて
作品リスト
政治的立場
WJFプロジェクトは、日本の主権、伝統、国柄を守る保守的な観点から、安倍政権が推し進めるTPP参加、構造改革、規制緩和、憲法改正、安保法制、移民受入などのグローバル化政策に反対しています。
TPP交渉差止・違憲訴訟の会
YouTube
WJFプロジェクトの動画作品は以下のYouTubeのチャンネルでご覧になれます。

お知らせ
アクセス・カウンター


今日の一言
「進撃の庶民」のための政治学講座(1)

みぬさ「はーい、洗濯物をお外で乾かすことだと思います。」
講師「うーん、みぬさ君、それは『干す』です。先生が話しているのは『保守』って言葉だよ。他に分かる人?」
最新記事
コメント
<>+-
アーカイブ


RSSリンク
RSSリーダーに下のリンクを登録されると、ブログの記事やコメントの更新通知を受け取ることができます。