西洋かぶれ

「浅学のアホ」たちよ。
西洋人すらが、かつての西洋中心主義的な見方を改め、西洋文明は、世界の様々な地域文化の中の一つにすぎないとみなすようになって久しいというのに、いまだに西洋文明を崇め奉り、西洋人が作り出した概念を金科玉条のように振りかざす愚か者が後をたちません。私たちは様々な外国の文化から謙虚に学ぶべきですが、外国の特定の文化やそこで生まれた特定の思想を絶対的で普遍的な考え方であるように取り扱うべきではありません。日本の「保守派」を名乗る人々の中には、イギリスの政治思想家、エドマンド・バークの著作を読まなければ保守思想を理解することはできないと主張する人々もいますが、外国人の思想を借りなければ、日本の「保守」たりえないというのは、なんという嘆かわしい自己矛盾なのでしょうか。

西洋人が作り出した概念をありがたそうに振りかざして事足れりとしている人たちは、プロの知識人の中にも多く存在しますが、そのような「浅学のアホ」「改宗された先住民」と呼ばざるをえない人々に対する戒めとして、WJFプロジェクトの古い記事を引用しておきます。

改宗を求められている文明人たち。

1537年、教皇パウロ三世は「Sublimis Deus(崇高なる神は)」という回勅を発布し、アメリカ先住民が真の人間であり、彼らのキリスト教化は平和的な方法で行われるべきであると宣言しました。

「それら先住民は真の人間であり、キリストの信仰を受容できるだけでなく、現に信仰に近づきつつあることを考慮し、適切な手段を講じるため、以下のように宣言する。先住民をはじめ、将来キリスト教徒が知ることになる人々は例外なく、たとえ信仰の外にいようとも、自由や所有権を奪われず、むしろその自由や所有権を、自由かつ正当に享受できる。また、彼らを奴隷とするのも許されない。」

(出典: 谷川義美「インディアスにおける福音宣教」)

一見、人道的な宣言のように見えますが、逆に言えば、アメリカ先住民が人間であるという当たり前の認識に到達するのに、わざわざ教皇の回勅を必要とするほど、アメリカ先住民はヨーロッパ人からは人間としてみなされていなかったことを意味します。

しかも、先住民が人間と見なされたのは、先住民が自分たちの伝統を否定し、自分たちの文化を捨て去り、新しいキリスト教文明を受容する可能性をもつ限りにおいてのことであり、先住民が営んでいた生活や習俗それ自体が、「人間らしいもの」と、積極的に評価されたわけではありませんでした。

先住民の土着の文化それ自体が、人間性の発露であることが西洋人によって「発見」されたのは、ごく最近のことであり、レヴィ=ストロースの『野生の思考』(1962年)のような研究の登場を待たなくてはなりませんでした。

第二次世界大戦後に、世界各地の旧植民地が独立を果たし、「ポストコロニアリズム」という文化研究が始まったことも、野生の中に人間性を発見しようとする運動と無縁ではありません。

このような世界の人々の認識の変化はまだ始まったばかりであり、おそらく、現在でも十分に、人間は「発見」されているわけではありません。

「人間の発見」、そしてそれを通じての、「野生」や「自然」や「土着」の再評価は、文明の中に生きてきた人々にとっても無関係な問題ではなく、彼らの過去や抑圧された無意識と密接なつながりをもっています。

(欧米における、昨今の日本ブームや、アニメブーム、BABYMETALの人気は、このような世界の変化と何か深い関係があるように思われます。)

「文明」によって抑圧され疎外されてきた人々のみならず、「文明」の内部に生きてきた人々の解放のためにも、人間は、これからも、もっと深く発見されなくてはなりません。

かつては、「文明」の中に生きてきた人々が「自然」の中に生きていた人々に改宗を求めましたが、いまや、「文明」の中に生きてきた人々こそが「自然」の側から改宗を求められているのです。

「文明」と「自然」の相克のドラマは、今も激しく活発に展開されており、日本が抱える歴史問題は、このような人類史的な文脈の中で解き明かされるべきです。

日本は、「人間の発見」や「文明人の改宗」において大きな貢献をなし得る国ですが、日本人の中の少なからぬ人々が、文明人を改宗するどころか、改宗された先住民のように振る舞い、みずから率先して、自分たちの伝統に背を向け、その過去を否定してしまっているのはとても残念なことです。

(出典: WJFプロジェクト「人間の発見」2016年5月27日 )


「エトノス」(民族)的な源流に遡り、そこから「デモス」(市民)的なものを再構築すること。

私の考えでは、この姿勢こそを「保守」と呼ばれるべきものであり、おそらくエドマンド・バークが述べたことも、どこかこれに類すると思われますが、このことを私たち外国人の言葉によるのではなく、自分の心で気付き、自分の言葉で表現する必要があります。

ここでバークのような思想家の言葉を金科玉条としてありがたがることは、

「エトノス」(民族)的な源流に遡り、そこから「デモス」(市民)的なものを再構築すること。

とは正反対の姿勢だからです。

参考記事:
WJFプロジェクト「デモスとエトノス」(2015年12月23日)
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野生と文明の相克の物語(3)

日本人が、遅ればせながら、「帝国主義」という名の「文明」の所作を、アメリカ人やイギリス人から学び、まねるようになるはるか以前から、アメリカはその建国のはじまりよりすでに「帝国主義」をその本質として標榜する国家だったのである。
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