陰謀論という名の心の病
湖面に映る山が、富士山に見えないそうです。
コメント欄で、ある陰謀論者の方が、写真家岡田紅陽の『湖畔の春』の湖面に映る山は富士山ではない、岡田紅陽が加工していると執拗に言い張っておられます。
そこで、湖面に映る山が、本当に富士山が映ったものなのか確認してもらうために資料を作成しました。
上下反転させた写真を、元の写真の上にかぶせて、透明度を20%ずつ変えてみました。

当然のことですが、湖面に映る山と富士山の像がぴったり重なることがわかります。
この方に対してコメント欄で下の様にも説明しました。
これでも、この方は「湖面の山は富士山ではない」と言い張ることでしょう。
陰謀論に陥ると、目の前にある「事実」ではなく、「観念」を優先するようになります。
どんな「事実」を突きつけられても、自分の「観念」ではなく、「事実」の方を歪めようとします。
現実の湖には、必ずしも、鏡のようにはっきりと山の姿が映るわけではないという、単純な事実も見えなくなってしまうのです。
陰謀論は、カルトの一種であり、心の病です。
写真家の岡田紅陽が撮影したとされる『湖畔の春』を拝見しても、富士と逆さ富士では雪の積もり方や、山の形など微妙に違って見える。 つまり、加工でも付したのではないか?とさえ思えるほど、なにか不自然なのである。(意図的に別の山を写真に付したのではないか?とさえ思えるほど不自然)
そこで、湖面に映る山が、本当に富士山が映ったものなのか確認してもらうために資料を作成しました。
上下反転させた写真を、元の写真の上にかぶせて、透明度を20%ずつ変えてみました。






当然のことですが、湖面に映る山と富士山の像がぴったり重なることがわかります。
この方に対してコメント欄で下の様にも説明しました。
>写真家岡田紅陽(1895-1972)が本栖湖を撮影した写真『湖畔の春』の湖畔に映った「逆さ富士」とみられる山は、本当に同じ富士山に見えるのか?
はい、見えます。
岡田紅陽は、富士山をライフワークとした写真家であり、40万枚もの富士山の写真を残したのだそうです。
http://shikinomori.webcrow.jp/okada_shuuzousakuhin.html
『湖畔の春』は、40万枚の彼の富士山の写真の一枚であり、撮影されたのは昭和10年5月2日だそうです。彼が撮影した当時、自分の写真が半世紀も後に日本銀行券のデザインに使われることなどまったく想定していなかったことでしょう。岡田紅陽が、昭和10年に、彼が撮影した無数の富士山の写真の中で、『湖畔の春』一枚だけに、その湖面に富士山以外の山の写真をレタッチしたのですか?それは一体全体何のためなのですか。
富士山の写真家が、苦労して撮影した自分の作品の中に富士山以外の写真をレタッチしたら、自分の作品が台無しになります。私も風景写真を趣味にしていたことがありますが、風景写真家は一瞬のシャッターチャンスのために、同じ場所に何時間もねばることがあります。写真家がわざわざ自分の作品を損なうようなことするわけがありません。
まともな理性の持ち主ならば、湖面に映る富士山の形がゆがんでいる場合、それは湖面が風か何かで波打っているのだろうと考えます。
実際に、グーグルで「山中湖 富士山」とか、「本栖湖 富士山」などのキーワードで画像検索してみてください。完全に無風のときなど、天候条件がいい場合には、ごく希に、湖面が鏡面のように平らになり、なんのゆがみもない富士山の像が映し出されることもありますが、ほとんどの写真では、湖面に映る富士山はゆがんでいたり、あるいは全く反射しないことすらあります。
これでも、この方は「湖面の山は富士山ではない」と言い張ることでしょう。
陰謀論に陥ると、目の前にある「事実」ではなく、「観念」を優先するようになります。
どんな「事実」を突きつけられても、自分の「観念」ではなく、「事実」の方を歪めようとします。
現実の湖には、必ずしも、鏡のようにはっきりと山の姿が映るわけではないという、単純な事実も見えなくなってしまうのです。
陰謀論は、カルトの一種であり、心の病です。
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