ユダヤ陰謀論はなぜ「悪」か(2)
グローバリズムの犯人は誰か。
陰謀論者たちは、グローバリズムなる発想や実態を創り出し、世界に蔓延させてきた犯人はユダヤ人であると主張する。
彼らの主張に従えば、私たちが、グローバリズムの問題を解決するためには、ユダヤ人という存在をこの地球上から抹殺しなければならないことになってしまうが、彼らの主張は正しいものなのだろうか。
そもそもグローバリズムの問題とは、世界の諸民族や諸国民が守ってきた様々な伝統や文化が織り成す多様性が世界から失われ、資本主義や近代主義という同一の価値観によって、世界が一色で塗りつぶされていくことである。
ならば、「グローバリズムと戦う」ことの具体的な行動内容は、「世界の諸民族・諸国民の文化や伝統が保持されていくような世界を守る」ことであるはずだが、私たちは、ユダヤ人が守ってきた伝統や文化を「悪」と決めつけて、それを否定し、排除しようとする愚かな自己矛盾を犯さなければ、グローバリズムと戦えないのだろうか。
答えは全てノーであり、陰謀論者は、
1. 世界観や歴史観においても、
2. 事実認識においても、
3. 戦略においても、
4. 倫理面においても、
大きな間違いを犯している。
この記事のシリーズでは、ユダヤ陰謀論なるものがいかに誤っており、愚かしく、そして危険なものであるのか、あらゆる角度から考察し論じていく。
陰謀論の根底にある世界観・歴史観は、日本人が伝統的に抱えてきた世界観・歴史観と根底から異なる。
だから、私たち日本人は、陰謀論を信奉し拡散させることによって、日本人らしい伝統や文化や精神をむしばむことになる。
そもそも、グローバリズムの犯人はユダヤ人などではない。
では誰が犯人なのか。
「歴史上に浮上するトレンド(潮流)は、いかなるものであれ、特定の個人や集団によって引き起こされるものなどではない」というのが正解である。
私は、このことを、通常、源頼朝が鎌倉幕府を樹立することによってなし遂げたと説明される、奈良・平安の王朝時代から、中世の武家政権時代への移行という、大きな歴史の転換のプロセスが、単に源頼朝という個人や、源氏という特定の集団によって人為的に計画され実行されたものなどではなく、それよりもはるかに以前の時代から、無数の人々の深層心理という目に見えないレベルにおいて準備されてきたものであり、単にそれを顕在化させたのが、源頼朝や源氏という武家集団であったというのに過ぎないということを、「歴史を形作る目に見えない力について」という記事のシリーズで、以前詳細に論じたことがある。
日本の中世が、いかに、律令制が導入され整備された白鳳時代よりもさらに古い時代に、また人々の精神の深層に、その源流をたどることができるのかを、私は指摘した。
歴史のトレンドは、相場のトレンドによく似ている。

株式相場や為替相場にも、トレンドと呼ばれる、上昇や下降という強い方向性をもった値動きが発生することがある。
相場においてトレンドを引き起こす犯人が誰かといえば、誰か特定の人物や集団を名指しにすることはできない。
巨額の資金を投じることのできる、政府や中央銀行や巨大なファンドですら、相場において一時的な価格の変動を引き起こすことはできても、持続的なトレンドを発生させ、それを維持することなどできない。
では誰が相場においてトレンドを発生させるかといえば、それは数百万、数千万の相場参加者が、自然に発生させてしまうものである。
トレンドは、社会的状況、経済的状況、政治的状況、自然的状況、人々の深層心理など、様々な要因(ファンダメンタルズ)が、特定の原因を指摘することが不可能なほど複雑なやり方で絡み合って発生する。
相場の参加者は、上昇トレンドに対しては「買い」というポジションを持とうとするだろうし、下降トレンドに対しては「売り」というポジションをもとうとするだろうが、相場の参加者がどのような「ポジション」をもつにせよ、それは常に後付けのものなのであり、相場のトレンドは、参加者の意志と無関係に、それに先行して発生する。
次の点を念頭に入れていただきたい。
上記の諸点は、歴史に対してもそのまま当てはまる。
歴史においても、様々な「トレンド」が発生する。
「グローバリズム」であれ、「保護主義」であれ、「中世封建社会への移行」であれ、歴史の「トレンド」は、人間の意志と無関係に、人間の意志に先行して自然に発生する。
人間は既に発生した「トレンド」に対して、後付けの「ポジション」を持つことしか出来ない。
歴史において自然発生した「トレンド」に対して、様々な個人や集団が自分の意志によって選択した「ポジション」のことを、一般に「政治」と呼ぶ。
源頼朝であれ、ナポレオンであれ、ヒトラーであれ、バラク・オバマであれ、安倍晋三であれ、歴史の表舞台に登場する権力者が、歴史の「トレンド」を発生させているわけではなく、彼らは、既に先行して発生している「トレンド」に対して、後付けの「ポジション」を持った人たちにすぎない。
この世界観・歴史観をきちんと踏まえない人々が、「ユダヤ人がグローバリズムを発生させた犯人だ」とか、「フリーメーソンやイルミナティがグローバリズムを世界にもたらした犯人だ」などといった、愚かな言説をそのまま鵜呑みにすることになる。
権力者といえども、先行して発生した歴史の「トレンド」に対して、後付けの「ポジション」を持った人々に過ぎないということがわかれば、私たちは、権力者と、私たち一般大衆の間に大きな違いがあるわけではなく、歴史というゲームにおける対等な参加者であることに気付くだろう。
陰謀論は、歴史の事実に合致した、このような健全な世界観・歴史観を根底から破壊する。
陰謀論者は、繰り返し、一部の権力者が彼らの「陰謀」(意志と計画)のままに歴史や歴史を支配しており、私たち一般大衆は彼らの「家畜」や「奴隷」として、彼らに一方的にコントロールされる存在にすぎないと教えるが、これはまったく事実ではない。
特定の陰謀論を信じれば、私たちは無力感とむなしさにうちひしがれるだけだが、陰謀論は嘘八百であり巨大なデマにすぎないので、私たちは全くうつむく必要はない。
ゲームの参加者として、積極的に歴史に関与すればいいのである。
ここで「歴史に積極的に関与する」とは、必ずしも、「特定の政治的スローガンを掲げて政治活動をすること」には限定されない。
私たちは、ことさら、特定の「政治的スローガン」(ポジション)を掲げることなく、「非政治」の領域を単なる一私人として淡々と静かに生きたとしても、歴史というゲームに積極的に関与している。
なぜならば、歴史の潮流(「トレンド」)は、人々の「非政治」の領域において醸成されるものだからである。
権力者とは、無数の一般大衆が「非政治」のレベルで醸成した「トレンド」に追随して、後付けの「ポジション」をもつことしかできない、実際には、弱い立場の人たちに過ぎない。
とすると、歴史の真の支配者とは、「非政治」の領域において「トレンド」を発生させている、私たち無数の一般大衆や自然現象など様々な「ファンダメンタルズ」なのであり、「政治」の領域において特定の「ポジション」を張る権力者たちは、私たち一般大衆を含む様々な「ファンダメンタルズ」が発生させる「トレンド」の「奴隷」や「家畜」に過ぎないことになる。
このような歴史観・世界観は、日本の伝統的な世界観・歴史観とも合致する。
「源氏物語」は、宮廷という政治権力の舞台に生きる人々を、世界の支配者としては描かず、恋愛感情や宿命という目に見えない自然の力に支配される無力な人間として描く。
「盛者必衰の理」を物語る「平家物語」は、いかに平家のような隆盛を極めた権力者の一門ですら、歴史の「トレンド」に翻弄されて、没落していく弱い人間に過ぎないことを説き聞かせる。
「日本書紀」や「古事記」のような、大和朝廷という権力者によって編纂された国史も、同じ歴史観・世界観を掲げている。
「日本書紀」や「古事記」は、天皇という日本の最高権力者を、自然や歴史の上に超然と立ち、それらを自由自在に操る強大な支配者としては描かない。むしろ、歴代の天皇が、いかに、自然や歴史の小さな一部に過ぎず、自然や歴史や周囲の人々との関係に翻弄され、つねに神々の祟りにおびえながら生きるか弱い人々であるかを物語る。
「一部の権力者が世界を支配しており、一般大衆は彼らの奴隷や家畜に過ぎない」と主張する陰謀論者たちは、日本人が抱いてきた伝統的な世界観や歴史観と真逆の世界観・歴史観を日本人の中に刷り込もうとしていることになる。
人間は、「教養」(=古典(時間をかけて練り上げられたお話)へのアクセス)を持たないと、「千円札の裏にシナイ山が描かれている」などといった、とてつもなく下らない「お話」に取り込まれることになる。
そのような与太話に洗脳されて、私たちの貴重な人生や、日本人らしい感性を損なうことがあってはならない。
彼らの主張に従えば、私たちが、グローバリズムの問題を解決するためには、ユダヤ人という存在をこの地球上から抹殺しなければならないことになってしまうが、彼らの主張は正しいものなのだろうか。
そもそもグローバリズムの問題とは、世界の諸民族や諸国民が守ってきた様々な伝統や文化が織り成す多様性が世界から失われ、資本主義や近代主義という同一の価値観によって、世界が一色で塗りつぶされていくことである。
ならば、「グローバリズムと戦う」ことの具体的な行動内容は、「世界の諸民族・諸国民の文化や伝統が保持されていくような世界を守る」ことであるはずだが、私たちは、ユダヤ人が守ってきた伝統や文化を「悪」と決めつけて、それを否定し、排除しようとする愚かな自己矛盾を犯さなければ、グローバリズムと戦えないのだろうか。
答えは全てノーであり、陰謀論者は、
1. 世界観や歴史観においても、
2. 事実認識においても、
3. 戦略においても、
4. 倫理面においても、
大きな間違いを犯している。
この記事のシリーズでは、ユダヤ陰謀論なるものがいかに誤っており、愚かしく、そして危険なものであるのか、あらゆる角度から考察し論じていく。
陰謀論の根底にある世界観・歴史観は、日本人が伝統的に抱えてきた世界観・歴史観と根底から異なる。
だから、私たち日本人は、陰謀論を信奉し拡散させることによって、日本人らしい伝統や文化や精神をむしばむことになる。
そもそも、グローバリズムの犯人はユダヤ人などではない。
では誰が犯人なのか。
「歴史上に浮上するトレンド(潮流)は、いかなるものであれ、特定の個人や集団によって引き起こされるものなどではない」というのが正解である。
私は、このことを、通常、源頼朝が鎌倉幕府を樹立することによってなし遂げたと説明される、奈良・平安の王朝時代から、中世の武家政権時代への移行という、大きな歴史の転換のプロセスが、単に源頼朝という個人や、源氏という特定の集団によって人為的に計画され実行されたものなどではなく、それよりもはるかに以前の時代から、無数の人々の深層心理という目に見えないレベルにおいて準備されてきたものであり、単にそれを顕在化させたのが、源頼朝や源氏という武家集団であったというのに過ぎないということを、「歴史を形作る目に見えない力について」という記事のシリーズで、以前詳細に論じたことがある。
日本の中世が、いかに、律令制が導入され整備された白鳳時代よりもさらに古い時代に、また人々の精神の深層に、その源流をたどることができるのかを、私は指摘した。
歴史のトレンドは、相場のトレンドによく似ている。

株式相場や為替相場にも、トレンドと呼ばれる、上昇や下降という強い方向性をもった値動きが発生することがある。
相場においてトレンドを引き起こす犯人が誰かといえば、誰か特定の人物や集団を名指しにすることはできない。
巨額の資金を投じることのできる、政府や中央銀行や巨大なファンドですら、相場において一時的な価格の変動を引き起こすことはできても、持続的なトレンドを発生させ、それを維持することなどできない。
では誰が相場においてトレンドを発生させるかといえば、それは数百万、数千万の相場参加者が、自然に発生させてしまうものである。
トレンドは、社会的状況、経済的状況、政治的状況、自然的状況、人々の深層心理など、様々な要因(ファンダメンタルズ)が、特定の原因を指摘することが不可能なほど複雑なやり方で絡み合って発生する。
相場の参加者は、上昇トレンドに対しては「買い」というポジションを持とうとするだろうし、下降トレンドに対しては「売り」というポジションをもとうとするだろうが、相場の参加者がどのような「ポジション」をもつにせよ、それは常に後付けのものなのであり、相場のトレンドは、参加者の意志と無関係に、それに先行して発生する。
次の点を念頭に入れていただきたい。
「トレンド」 | 「ポジション」 |
---|---|
先行して起きる | 後付けのものである |
人間の意志と無関係に自然発生する | 人間が自分の意志によって保持する |
人間がコントロールできない | 人間がコントロールできる |
上記の諸点は、歴史に対してもそのまま当てはまる。
歴史においても、様々な「トレンド」が発生する。
「グローバリズム」であれ、「保護主義」であれ、「中世封建社会への移行」であれ、歴史の「トレンド」は、人間の意志と無関係に、人間の意志に先行して自然に発生する。
人間は既に発生した「トレンド」に対して、後付けの「ポジション」を持つことしか出来ない。
歴史において自然発生した「トレンド」に対して、様々な個人や集団が自分の意志によって選択した「ポジション」のことを、一般に「政治」と呼ぶ。
「歴史の潮流(トレンド)」 | 「政治的立場(ポジション)」 |
---|---|
先行して起きる | 後付けのものである |
人間の意志と無関係に自然発生する | 人間が自分の意志によって保持する |
人間がコントロールできない | 人間がコントロールできる |
源頼朝であれ、ナポレオンであれ、ヒトラーであれ、バラク・オバマであれ、安倍晋三であれ、歴史の表舞台に登場する権力者が、歴史の「トレンド」を発生させているわけではなく、彼らは、既に先行して発生している「トレンド」に対して、後付けの「ポジション」を持った人たちにすぎない。
この世界観・歴史観をきちんと踏まえない人々が、「ユダヤ人がグローバリズムを発生させた犯人だ」とか、「フリーメーソンやイルミナティがグローバリズムを世界にもたらした犯人だ」などといった、愚かな言説をそのまま鵜呑みにすることになる。
権力者といえども、先行して発生した歴史の「トレンド」に対して、後付けの「ポジション」を持った人々に過ぎないということがわかれば、私たちは、権力者と、私たち一般大衆の間に大きな違いがあるわけではなく、歴史というゲームにおける対等な参加者であることに気付くだろう。
陰謀論は、歴史の事実に合致した、このような健全な世界観・歴史観を根底から破壊する。
陰謀論者は、繰り返し、一部の権力者が彼らの「陰謀」(意志と計画)のままに歴史や歴史を支配しており、私たち一般大衆は彼らの「家畜」や「奴隷」として、彼らに一方的にコントロールされる存在にすぎないと教えるが、これはまったく事実ではない。
特定の陰謀論を信じれば、私たちは無力感とむなしさにうちひしがれるだけだが、陰謀論は嘘八百であり巨大なデマにすぎないので、私たちは全くうつむく必要はない。
ゲームの参加者として、積極的に歴史に関与すればいいのである。
ここで「歴史に積極的に関与する」とは、必ずしも、「特定の政治的スローガンを掲げて政治活動をすること」には限定されない。
私たちは、ことさら、特定の「政治的スローガン」(ポジション)を掲げることなく、「非政治」の領域を単なる一私人として淡々と静かに生きたとしても、歴史というゲームに積極的に関与している。
なぜならば、歴史の潮流(「トレンド」)は、人々の「非政治」の領域において醸成されるものだからである。
権力者とは、無数の一般大衆が「非政治」のレベルで醸成した「トレンド」に追随して、後付けの「ポジション」をもつことしかできない、実際には、弱い立場の人たちに過ぎない。
とすると、歴史の真の支配者とは、「非政治」の領域において「トレンド」を発生させている、私たち無数の一般大衆や自然現象など様々な「ファンダメンタルズ」なのであり、「政治」の領域において特定の「ポジション」を張る権力者たちは、私たち一般大衆を含む様々な「ファンダメンタルズ」が発生させる「トレンド」の「奴隷」や「家畜」に過ぎないことになる。
このような歴史観・世界観は、日本の伝統的な世界観・歴史観とも合致する。
「源氏物語」は、宮廷という政治権力の舞台に生きる人々を、世界の支配者としては描かず、恋愛感情や宿命という目に見えない自然の力に支配される無力な人間として描く。
「盛者必衰の理」を物語る「平家物語」は、いかに平家のような隆盛を極めた権力者の一門ですら、歴史の「トレンド」に翻弄されて、没落していく弱い人間に過ぎないことを説き聞かせる。
「日本書紀」や「古事記」のような、大和朝廷という権力者によって編纂された国史も、同じ歴史観・世界観を掲げている。
「日本書紀」や「古事記」は、天皇という日本の最高権力者を、自然や歴史の上に超然と立ち、それらを自由自在に操る強大な支配者としては描かない。むしろ、歴代の天皇が、いかに、自然や歴史の小さな一部に過ぎず、自然や歴史や周囲の人々との関係に翻弄され、つねに神々の祟りにおびえながら生きるか弱い人々であるかを物語る。
「一部の権力者が世界を支配しており、一般大衆は彼らの奴隷や家畜に過ぎない」と主張する陰謀論者たちは、日本人が抱いてきた伝統的な世界観や歴史観と真逆の世界観・歴史観を日本人の中に刷り込もうとしていることになる。
人間は、「教養」(=古典(時間をかけて練り上げられたお話)へのアクセス)を持たないと、「千円札の裏にシナイ山が描かれている」などといった、とてつもなく下らない「お話」に取り込まれることになる。
そのような与太話に洗脳されて、私たちの貴重な人生や、日本人らしい感性を損なうことがあってはならない。
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