協同組合主義は、日本の伝統・風土に合致する

協同組合とは何か。
昨日、「農水史に残るJA幹部の勘違い発言に、小泉進次郎氏がぶち切れ!『農協改革は終わらない』と決意を新たにした」という産経新聞の記事を紹介しましたが、同じ記事を掲載したYahooニュースのコメント欄を拝見すると、案の定、農協を叩くと同時に、小泉進次郎を絶賛するコメントであふれかえっています。

mas***** | 2016/10/14 10:24
JAの職員と家族を養うことは、JA自身が考えて、工夫して、
やり繰りすべきことで、安易に生産者から手数料として徴収する
のは、違うと思う

nar***** | 2016/10/14 10:23
父の郵政民営化も凄いが、全農JAの改革はもっと大変かも?。進次郎....がんばれー

bil***** | 2016/10/14 10:41
そもそもJAは手数料とやらに見合った仕事してるの? って会話をした方が良いんじゃないか。

kou | 2016/10/14 10:26
>「手数料は切れない」とする神出氏の発言

手数料で儲けるビジネスモデルは古いですね。
そもそも本来は、農家があってこそ全農が成り立っているのに、
いつの間にか、
農家の上に立って農家からの利益を搾り取っているのが現状です。

bau***** | 2016/10/14 10:37
1割近い手数料は自分の感覚ではちょっと高すぎ。JAは手数料が妥当と考えているなら、その算出根拠を示して、率に見合った働きをしていることを示すべきだ。JA職員とその家族の生活のためって、進次郎が ブチ切れるのもわかる。

den***** | 2016/10/14 11:20
中々素晴らしい意見だと思います。
手数料を税金に置き換えると、公務員や議員にも言えることですね。

tan***** | 2016/10/14 10:29
小泉の言う通りじゃないか、組織を維持するために金を集金するなんて本末転倒も甚だしい。
そんなことだから日本農業がどんどん衰退していく。
食料自給率(これにも問題アリだが)を向上させたければここに踏み込まないと。
いい部分は残していいが、悪い部分はどんどん切り捨てるくらいでないとね。

scr***** | 2016/10/14 10:31
頑張れ進次郎。牙城を崩さなければ明日はない。

nao***** | 2016/10/14 12:22
進次郎さん頑張れ!
約一割って…!手数料が高過ぎてビックリしました!!!!

(出典: Yahooニュース2016年10月14日)


自民党や、産経新聞の記事の目論見通りに、人々は踊らされています。

中でも、

「父の郵政民営化も凄いが、全農JAの改革はもっと大変かも?。進次郎....がんばれー」

というコメントには呆れてしまいます。

橋本行革から小泉行革(郵政民営化)に至る一連の構造改革が、明治時代以来、日本の国家建設を長く支えてきた財政投融資という伝統的な経済の仕組みを破壊し、実体経済から日本人のお金(血液)を吸い取って金融経済へと輸血し、国民経済を貧血状態に陥らせ、「失われた二十年」をまねくことになったという、その程度の認識にすら、ほとんどの日本人は辿り着いていません。

マスコミに煽られるまま、農協を叩いている人たちは、そもそも「協同組合」とは何なのか理解しているのでしょうか。

Wikipediaの記事が協同組合についてわかりやすくまとめていますので、引用してみたいと思います。

協同組合

協同組合(きょうどうくみあい)は、共通する目的のために個人あるいは中小企業者等が集まり、組合員となって事業体を設立して共同で所有し、民主的な管理運営を行っていく非営利の相互扶助組織。連帯経済の主要な担い手である。

世界の協同組合

1491年、世界で初めての協同組合であるThe Shore Porters Societyがスコットランドのアバディーンに設立された。

江戸時代の天保年間(1830-44年)に、農村指導者の大原幽学の創案で下総国香取郡長部村(現・千葉県旭市長部)で「先祖株(せんぞかぶ)組合」という農村救済の仕組みが作られた。先祖株とは出資金(土地)で、運用益により破産した農家を救済するなど、農村の荒廃を防ぐ策がとられ、農業協同組合の原形で「世界初」の協同組合ともいわれる。だが、幕府の弾圧で組合は解散、幽学は自決に追い込まれた。

1844年、最初の近代的な協同組合とされる消費組合ロッチデール先駆者協同組合がイギリスのマンチェスターの郊外で設立された。

1895年、イギリスのロンドンで、国際協同組合同盟 (the International Co-operative Alliance: ICA) が設立された。2011年8月現在、本部はスイスにあり、94カ国の254団体が加盟し、傘下の協同組合の総組合員人数が10億人を超える世界最大の非政府組織 (NGO) となっている。

ドイツ農村では金融を主とする信用組合が発達し、留学中これを見た平田東助は感銘を受け、日本の報徳社の事例とあわせて、産業組合法を作成した。

歴史的文脈での「協同組合主義」

上記の通り、日本では1900年に産業組合法が制定され、強い影響力を持つ大企業に対して零細企業の保護や連帯を進める政策が展開された。そのため、ここに活動の基礎を置く「協同組合主義」は、大資本の意向が最優先となる資本主義や労働者(戦前の「無産者」)の権利を拡大する社会主義とは異なる「第三の道」として提唱され、特に第二次世界大戦で敗北した直後、1940年代後半の日本では山本実彦を委員長とした日本協同党と協同民主党、そしてこれを継いだ国民協同党への流れとして続いた。これは資本主義を掲げる保守政党の日本自由党や民主党、社会主義・共産主義の実現を求める革新政党の日本社会党や日本共産党とは一線を画した中道政治勢力として機能した。日本協同党は多くの議員が公職追放対象者となって大きな打撃を受けたが、全国各地で結成された地域政党からの合流によって協同主義勢力は発言力を維持し、1947年から1948年までの片山内閣と芦田内閣では、国民協同党は社会党や民主党と組んだ三党連立内閣の与党となった。

その後、保守勢力の改編が続く中で国民協同党は呑み込まれ、最終的には船田中など多くのメンバーが1955年の保守合同で成立した自由民主党に参加して「協同組合主義」の主張は姿を消したが、国民協同党の委員長(党首)として片山内閣の逓信大臣を経験した三木武夫は自民党で三木派を率い、最左派の非主流派として保守傍流に置かれながらも、1974年に自由民主党総裁・内閣総理大臣となって三木内閣を組閣した。三木は首相として市場を独占する大企業の分割を含む独占禁止法改正を目指し、大幅な修正や曲折を経て社会党を含む野党の支持により同法案を衆議院で通過させたが、参議院では自民党内の反発を抑えられずに廃案になり、党内孤立による三木の影響力低下の一因となった。ただし、1976年の下野後も含め、三木の政治哲学には「協同組合主義」がずっとあったという指摘が妻の睦子、さらに政治路線では三木とは異なる中曽根康弘などからなされている。

(出典: Wikipedia「協同組合)


資本主義でもなく、社会主義でもなく、折衷的な「第三の道」を進もうとする協同組合主義は、共同体の自治管理によって農村経営が行われていた日本の伝統や風土に合致するものでした。そうであるからこそ、世界に先駆けて、すでに江戸時代から協同組合を形成しようとする試みが日本において為されていたのだと思います。

さらにもう一つ重要なことは、幕府や藩は本来は軍事機構であって、武士は村や町の政治を行ったことがなかったこと。村や町の政治は、村や町という政治組織・生活共同体が担ってきた。従って幕府や藩には、村や町を統治するための知識も経験も不足しており、民政統治や農政などのさまざまな産業政策はなかった。幕府や藩は、それぞれの場所でそれぞれの時代に起きた具体的な出来事に対処する個別の方針を出したに過ぎない。以上の事から、江戸時代は国(=幕府)の農業政策と言うようなものはなく、藩や村落が共同体自主管理により自らが農業政策を決定し、実施する時代であった。まさに、本当の民主の時代であったといえるのでは無いだろうか。

(出典: 新しい「農」のかたち「【コラム】江戸時代の農業政策」)


協同組合は、組合員の自主的な運営にゆだねられるべきものですから、仮に農協に改革すべき点があったとしても、それは、組合員の意志にゆだねるべきであり、政治が介入するようなことではありません。

協同組合主義が、日本の固有の伝統や風土に合致するものだからこそ、あらゆる領域において日本の産業を、グローバル化し、金融資本主義の体系の中に取り込みたい新自由主義者たちにとっては、協同組合はじゃまなものでしかありません。

新自由主義を信奉する自民党の国家破壊者たちが、農協を破壊し、協同組合という日本の伝統や風土に合致した農業経営のあり方を破壊して、日本の農業を株式会社化したり、グローバル化したりするようなことを許してはなりません。

小泉進次郎の、美辞麗句やパフォーマンスに騙されてはなりません。
*
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労働力の構造改革

大変申し訳ありません、連投はこれで終わりに
します。
竹中平蔵氏は労働力の自由化を謳っています。
働き方を自分のライフ・スタイルを合わせると
言いますが、それは労働力が買い叩かれて終わる
だけではなく、日本の企業を崩壊させます。

この労働力の自由化は、成果主義や実力主義を
前提としています。「成果がなければ切り捨てる
ことが出来る」自由が横たわっているのです。

ところが、この「成果とは何か」ということに
誰も検証を入れません。

まず第一に、成果を決めるのは誰なのか?という
事です。明らかに経営側の専管事項になるでしょう?
すると、こんなことも可能になります。
「どう考えても達成可能な成果を要求する。
実は達成出来なくても、企業側は御の字なのだが、
契約上達成出来ていないので報酬を削減出来る。」

第ニに、成果とはどうあるべきか?ということです。
「不老不死の薬で、且つ苦しまずに死ねる薬を
作れ」という目標設定は妥当なのでしょうか?
不老不死の薬を飲めば、いつまでもいつまでも
生の苦しみを享受します。だから死ぬとなったら
苦しまずに死ねる、というのは二律背反です。
こんな目標設定は、企業側の専管である限りは
されかねません。

第三に、成果に対する報酬はどこまで保証される
のか?という点です。
例えば、貴方一人が成果を達成したのですが、
貴方以外の人が未達だったとします。会社の状態が
傾いているので、「事実上、貴方に規定通りの
報酬は認められない」となった時、抗う事は可能
なのでしょうか?

つまり、ここに挙げられた点を全て結び付けると
「会社の為に働くだけではなく、無限責任も負え」
ということが、浮かび上がります。

しかし、こんな荒唐無稽な経営をしていたら、
絶対にそんな企業は潰れますが、「ゴルフと
司馬遼太郎読んでいれば一人前の経営者」と
なっている大企業は五万とあります。
そして一方、「これからは成果主義、
実力主義だね」と風潮に乗って
言っている訳です。

これは杞憂でしょうか?

駅前開発

私が利用する駅の前にはロータリーの左右に
二つの商業施設があり、5階で高層連絡通路で
繋がっています。またそれらより駅の近くに
ビルがあります。

これら3つの建物は第三セクターで運営されて
いるのですが、ロータリー左右の商業施設は
どんどんテナントが撤退しています。
そして驚く事に、もう一つのビルはこの20年以上、
2階より上のフロアがほとんど空き状態となって
います。

第三セクターという事で、公共性半分、市場性
半分という立場は難しいのですが、この管理部門は
市場性に重きを置き過ぎているケースかと思われます。

「まだ土地の高い頃に建てたものだ、安くは
貸せない」という理屈は分かります。しかしながら、
第三セクターは公共性もキチンと考慮しなければ
なりません。

公共ホールにとってのアート・マネジメントと
同じように、「市としての駅前開発をどのように
プロデュースしていくのか?」という考え方、
つまり駅前開発の公共性についても責任を持たなければ
ならないと思います。それが出来ないのであれば、
第三セクターという方式そのものの見直しや、
市としては駅前開発は市場に完全に委ねるかしか
ないと思います。

でも、皆さん考えて見て下さい。市場性に完全委託した
場合、都内某駅のように、駅ビルの中に風俗店が入る
こともあり得ます。

我々が住みやすく、誠実に生きやすい社会というものを
考えていかないといけないですね。

野球グラウンド

私が子供の頃、少年野球をやってました。
その頃子供達は皆プロ野球選手に憧れていました。
今の時代では、サッカーなのでしょうか。
時代は移り変わるものです。それでも、子供達の
体力的な成長には、思い切り体を動かせる広場は
必要です。一生懸命に遊び、怪我をしたり、
喧嘩をしたり、お腹を空かせてヘトヘトに疲れて
夕方家路を急ぐ為の、です。

しかしながらつい最近、その広場を見たら、
鎖に繋がれ「売地」の看板が立っていました。

日本の資本主義は、土地の私有化を基本の一つと
しています。そして土地の使用価値より交換価値が
上回った時、バブルが発生しました。そんな時でも
「野球広場」は存在していました。「売ったら得を
する」筈の時代には売られていなかったのです。

ところが、土地の交換価値がなくなって使用価値が
上回っている筈の現在、地方の土地の値段が下がり
つつある筈の現在にて売りに出されてしまうという
このアイロニーに日本の経済学者はメスを入れません。

「安くなって二足三文になったのだから、
売っても買い手が付かない。だったら何か有効活用が
出来ないだろうか?」とはならないのです。

売れなくて、塩漬けになるだけ。これが小泉・竹中の
改革の結果です。
「 売りに出し買い手が付けば報われる」
これはマヤカシなんですよ。

構造改革とは安く買い叩かれる為の布石でしかないの
です。ところが、人々は市場至上主義、成果主義、
競争主義に惑わされています。貴方の持っている
資産、土地、能力を市場に「どうですか?」と
声高々に問うても、「貴方は何も見えていない」と
屈辱的な評価しか返って来ない仕組みが小泉・竹中の
構造なのです。

一つだけ付け加えたいです。
その昔、農地には入会地という、共同管理の土地が
ありました。そういう場所は例え現代でも必要です。
それが野球やサッカーをしたり、お祭りのヤグラを
建てたりする場所だったりする筈です。

因みに、私にとってのお祭りは、ダシが通りを練り歩く
というものではないです。ヤグラを踊り回るものです。

時代は変わりました。


国体破壊者を絶賛する繰り返される愚

小泉による郵政民営化や構造改悪で、外資や一部の者達だけが利することが当たり前となり、中間層が消滅したことで多くの庶民は自己責任という過剰な自由のなかで過ごす社会になりました。

それなのに、その親にしてその子である進次郎を絶賛する連中の浅はかさや思慮の無さには、全く絶望するばかりです。

市場競争を極限まで重視する新自由主義者のミルトン・フリードマンと真っ向から対立し、独自の経済学を模索した故・宇沢弘文博士は、「社会的共通資本」の考え方が人間と自然が共生しながら繁栄する道だと説きました。

社会的共通資本とは、自然環境・社会的インフラストラクチャー・制度資本の三大類型の各形態を包含し、博士はそれらが排他する関係でなく有機的に共存する関係性を目指す経済学を構築しようとしました。そのなかで、農業の営みは経済的・産業的範疇をはるかに超えた人間的・社会的・自然的な意味をもつものとし、いわゆる産業的・効率的な形でのみ手入れをしようとする新自由主義的な勢力の策動に警鐘を鳴らしてこられました。

社会的共通資本は利潤追求の対象として市場に任せるべきでなく、農協のような共同体が健全に営みができることが社会を安定化させる知見を示唆しています。

今回の農協改革は郵政民営化と相似の何物でもありません。
改革という名で誤魔化し、結局は日本に適した農業の在り方を再構築するのでなく徹底的に破壊し、外資や一部の富裕層へ日本の農業を献上することなのです。

そうなれば、農業の営みに含まれている郷土・風土・歴史的・伝統的な意味も解体され、ただただ金儲けのために産業化され、日本の真善美も失われることでしょう。
さらに、一部の連中の手に日本人の食の安全保障も握られてしまうという恐ろしくも隷属的な状況も招くことにもなるでしょう。

グローバリズムの急先鋒かつ新自由主義者に染め上げられた政治屋である新次郎をはじめとする国賊どもらの動きに注視し、日本破壊を偽装しただけの改革に騙されないよう、そして未来の日本のためにも、こういう国賊議員どもを下野させる気力を失ってはなりません。
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