夏の思い出(3)

熊野と象徴天皇制。
熊野でしばしば目にしたのは反TPPのポスター。

下は、熊野古道「中辺路」の沿道上にある高原という地区で撮影したもの。



下は那智駅の近くで撮影したもの。



これらのポスターをみて、私は、実に熊野的だと思った。

鬱蒼とした森、コバルト色の大河、無数の滝、数々の巨石、深い山々の連なりからなる熊野という土地は、およそ政治からかけ離れた純然たる自然の地であるように見えるが、不思議なことに、日本の政治に深い、決定的な影響をおよぼしてきた。

「歴史を形作る目に見えない力について」という記事のシリーズで取り上げたように、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて上皇や都の貴人らによって頻繁に行われた熊野御幸は、鈴木大拙が昭和19年に出版した書物『日本的霊性』の中で、日本人が大地性を獲得し真の「日本的霊性」が出現した時代であると評した、日本の中世を準備した。

(『日本的霊性』の歴史観は、昭和12年に文部省が発行したパンフレット「国体の本義」が、日本の中世を「我が国体に反する政治の変態」と見なしたのと対照的であり、鈴木大拙が皇国史観や国家神道に対する批判をこめてこの書物を書いたことは言うまでもないが、梅原猛は、『美と宗教の発見』という書物の中で、鈴木大拙の戦前の神道批判は大胆さを欠いていたと痛烈に批判している。)

また、私たちが生きる、戦後の時代を間接的に準備したのも熊野である。

明治維新の頃、熊野本宮からほど近い湯の峰温泉の旅館の玄関先に、一人の男の赤ん坊が捨てられていた。

その捨て子は、やがて熊野川の筏師となり、博打や女遊びに明け暮れる十代の日々を過ごしたが、性病にかかって失明し、開眼を祈願して、四国八十八箇所巡りの旅に出る。

裸足で歩いていた七周目の遍路の途上で、ある寺の門前で行き倒れ、住職に拾われて寺男となる。無学文盲であったが、勉学と修行に打ち込み、静岡県三島市にある白隠禅師ゆかりの禅寺、龍沢寺の住職となり、臨済宗妙心寺派の管長をつとめる高僧として全国に名を轟かせるまでになった。

この方こそ、終戦時に、鈴木貫太郎首相の相談役として、終戦を勧めたり、終戦の詔勅にある「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言したり、象徴天皇制を発案したりしたと言われる、山本玄峰老師その人である。

今上天皇は、

なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば,日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合,伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。

(出典: 宮内庁「天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年)」2009年4月8日)


と述べられたが、日本国憲法と象徴天皇制の成立に、熊野という土地が、間接的に関係していたのである。

熊野は、その隠然たる「非政治」の力を発揮して、これまで、日本の「政治」に影響をおよぼしてきたように、これからも及ぼし続けるだろう。

熊野の森には、日本を正す力がある。

日本の「政治」が正されるとしたら、それは「非政治」の根底からでなくてはならないのだから。

参考記事:
「地祇的原理」と「天神的原理」
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