夏の思い出(1)

19時間の古道歩き。
今年の夏は、ほとんど室内に籠もってすごす毎日だったが、数日、熊野の山中にいて、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて、歴代の上皇が頻繁に行った熊野御幸の正式ルートであった「中辺路」(なかへち)のうち、滝尻王子から熊野本宮大社に至る約40kmの山路を、二日間、延べ19時間かけて歩く経験をもった。



これまで、大門坂や松本峠という一時間程度で歩ける簡易なコースを歩いたことはあったが、まとまった距離を本格的に歩くのは初めてのことだった。



「文明と自然をつなぐ往還のルート」とお題目のように唱えるだけでなく、自分の身体を通して、古の日本人の思いを直接理解しなければならないと思った。



「中辺路」の入り口であり、かつて「口熊野」と呼ばれた和歌山県田辺市にある、南方熊楠の旧邸に立ち寄り、



高山寺というお寺にある南方熊楠のお墓参りを済ませたあと、今回の古道歩きのゴール地点となる熊野本宮に向かい、付近の道の駅に車を駐めて、自動販売機以外には明かりのない闇の中で眠った。



翌朝、熊野本宮大社前の世界遺産センターに車を置いて、朝一番の田辺市街行きのバスに乗り、スタート地点となる「滝尻王子」のバス停で下車。



ほぼ同時に反対方向から来たバスから同じ古道歩きを志す人々が降りてきたが、そのほとんどは外国人だった。



沿道の民宿の人の話では、最近の滞在者の9割が外国人だそうで、熊野古道を歩く日本人の数はあまり多くないようである。



オランダ人、カナダ人、スペイン人・・・。日本の根っこを探そうとした旅のはずだったが、外国人に囲まれての山歩きは、まるで外国を旅しているかのような錯覚さえ覚えた。



皆それぞれのペースで歩いていくが、言葉を交わしあいながら抜きつ抜かれつするうちに、自然に仲良くなっていく。



一日目の中継地で泊まった宿がたまたま同じだったこともあり、特に、スペインのアンダルシアから来た青年と親しくなった。



熊野という土地のもつ歴史的な意味について、文明と自然の関係について、このブログで語ってきたようなことをあれこれ説明しながら歩いたのだが、彼は柳田国男の名前を知るほど、日本についてある程度勉強した上で、日本の各地を一ヶ月かけて旅する旅人だった。



熊野古道としばしば対比される、スペインの世界遺産、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を歩いた経験ももつという。



高低差が激しい山路のため、二日目は膝をすっかり痛めてしまい、杖にすがり足を引きずりながら這うように歩いていった。







スペイン人の青年は、ところどころで私が追いつくのを待っていてくれた。



二日間の苦しい旅路の果て、日が暮れて周りが暗くなり始めた頃、聖地大斎原にようやく、スペイン人の青年と共に辿り着くことができた。その日に古道歩きをした人々の中では、私たちが最後に到着したグループだったと思う。



花の都を振り捨ててくれくれ参るはおぼろげか且つは権現御覧ぜよ青蓮の眼をあざやかに

(出典: 後白河上皇『梁塵秘抄』260)


かつて一ヶ月近くもかけて行われた熊野御幸の長い道のりのうち、私が歩いたのは、わずか二日の行程に過ぎないから、どれだけ昔の人々の思いに近づけたかはわからない。(スペイン人の青年は、この後、熊野本宮から那智山に至る「小雲取越・大雲取越」と呼ばれる、さらに過酷な二日間の行程を歩いた。)



ただ、途中の王子社でも、熊野本宮大社の社殿の前でも決して祈る所作を示すことのなかったスペイン人の青年が、大斎原の祠の前に一人でしばらく佇んだあと、最後に深々とお辞儀をした姿は、とても印象的だった。

彼なりのやり方で、熊野の神々に挨拶をしていたのだろう。
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