「近代日本の葛藤」序章
The Modern Struggle of Japan: Introduction
南京虐殺関連動画のタイトルは"The Modern Struggle of Japan"としました。長くなるので省略していますが、その後に"between civilization and nature"という言葉が続きます。
直訳すれば「文明と自然のはざまでの、近代日本の苦闘」となります。
文明と自然(民族)とのはざまで、近代の日本がいかに苦しんだかという文脈の中で、歴史問題を語っていく予定です。
直訳すれば「文明と自然のはざまでの、近代日本の苦闘」となります。
文明と自然(民族)とのはざまで、近代の日本がいかに苦しんだかという文脈の中で、歴史問題を語っていく予定です。
「近代日本の葛藤」序章
「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。金持ちも貧乏人も見当たらないが、国民の真の幸福とはおそらくこのような状態のことなのだろう。私は、ときおり、日本を開国して外国の影響にさらすことが、はたしてこの国民全般の幸福につながるのかどうか、疑わしくなる。」
(初代アメリカ総領事、タウンゼント・ハリス)
現在の日本を見るとき、ときおり、総領事ハリスが抱いた疑問と同じ疑問が私たちの心にうかぶ。
「日本を開国して外国の影響をうけさせることは、果たして、日本人を幸せにしてきただろうか。」
19世紀まで、日本は鎖国政策を採用していた。
外交関係は、わずかな数の国々に限定されていた。
その閉ざされた環境の中で、日本人は、他国と戦争をすることなく、自然と調和した文化を紡ぎながら、平和に暮らしていた。
しかし、19世紀になると、近代的な武器を装備した西洋の艦船が日本の近海に頻繁に姿を現すようになり、日本人に開国を迫った。
当初は抵抗を試みたものの、抗えないことを知ると、日本人は、長期間に及んだ鎖国政策を捨て、西洋の慣習を受け入れ、西洋諸国の政治制度をまねた近代国家を樹立するに至った。
するとどうだろう。それまでとは打って変わって、日本は好戦的な国家へと変貌し、次々に戦争を引き起こし、邪悪な侵略者であるという烙印をおされ、国中に絨毯爆撃を受け、二つの原子爆弾を広島・長崎の一般市民の頭上に投下され、ついには、自らを「文明的」であると見なす人々に降伏することになった。
「アメリカ国民、ならびに東京湾に停泊する戦艦ミズーリの艦上おられるマッカーサー元帥および連合国代表各位。
アメリカ全体の、いな、文明世界全体の思念と希望が、今夜、戦艦ミズーリの艦上に集まっています。東京湾に碇をおろした戦艦ミズーリーという一片のアメリカ領土の上で、日本人は、正式に彼らの武器を置いたのです。彼らは無条件降伏文書に署名しました。
4年前、文明世界全体の思念と恐怖は、戦艦ミズーリとは別のアメリカ領土の一片である真珠湾の上に集まっていました。そこから始まった、文明に対する強大な脅威は、いまや終わりを迎えました。東京に到達するまでの道のりは、長く、血にまみれたものでした。」
(1945年9月1日のトルーマン大統領の演説)
戦勝国は、戦後、国際連合を形成し、安全保障理事会の常任理事国となったため、あの「野蛮な侵略者」は打ち倒され、民主的な国家に文明化されなくてはならなかったのだとする物語は、自明の真理として、戦後世界に広がっていった。
しかしながら、ある国々が全き正義の側に立ち、他の国々が全き不正義の側に立つなどということが、本当にあり得るのだろうか。
それとも、全ての国々は、全き正義の前には、自らを、多かれ少なかれ不正義にすぎないと認識できるほど謙虚であるべきなのであろうか。
日本は本当に、「文明的」な人々によって、二つの原子爆弾を投下されなければ、文明のなんたるかを学び得ないほど、非文明的な国家だったのだろうか。
それとも、西洋人が、自分たちに都合のよいように作り替えるために19世紀に東アジアに到達した時点で、日本は十分に文明的であり、外国の影響にさらされた結果、日本人は一時的に我を見失っていたにすぎないのだろうか。
日本人が、三十万人の中国の一般市民を虐殺したとするよく知られた物語は事実なのだろうか。
それとも、その物語は、大衆の同意なしには戦争を完遂することができなくなった近代社会が必要とするようになった大衆扇動によって引き起こされた誇張にすぎないのだろうか。
この動画のシリーズの中で、私たちは、これらの問いに答えていく。
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