「保守」でない人はいない
現在の日本には愛国的な左派勢力が必要です。
左派の人たちが「保守の人たちは」という言い方をすることがあります。
また右派の人たちが「私たち保守は」という言い方をすることもあります。
しかし、果たして、世の中に「保守」でない人などいるのでしょうか。
自分の家族を「保守」したい。
自分の仕事を「保守」したい。
自分の健康を「保守」したい。
自分の財産を「保守」したい。
すべての人は、なにかしら、「保守」したいものをもっています。
「保守」すべきものをまったく持たない人など存在しません。
とするなら、すべての人は「保守」です。
立場が分かれるのは、自分にとって大切なものを「保守」することと、国家や伝統を「保守」することの関係をどう捉えるかです。
自分にとって大切なものを「保守」することと、国家や伝統を「保守」することが二律背反であり、同時には成り立たないとするならば、どちらか一方を選んで、どちらか他方を犠牲にしなくてはなりません。
この考えに立つと、右翼と左翼は鋭く対立することになります。
しかし、自分にとって大切なものを「保守」することと、国家や伝統を「保守」することとが、深い部分で一つにつながっているとするならば、自分にとって大切なものを「保守」するためには、国家や伝統も「保守」しようとしなくてはならないし、国家や伝統を「保守」するためには、一人一人の人間にとって大切なものも「保守」しようと努めなくてはならないことになります。
私は正解は後者であると思います。
また右派の人たちが「私たち保守は」という言い方をすることもあります。
しかし、果たして、世の中に「保守」でない人などいるのでしょうか。
自分の家族を「保守」したい。
自分の仕事を「保守」したい。
自分の健康を「保守」したい。
自分の財産を「保守」したい。
すべての人は、なにかしら、「保守」したいものをもっています。
「保守」すべきものをまったく持たない人など存在しません。
とするなら、すべての人は「保守」です。
立場が分かれるのは、自分にとって大切なものを「保守」することと、国家や伝統を「保守」することの関係をどう捉えるかです。
自分にとって大切なものを「保守」することと、国家や伝統を「保守」することが二律背反であり、同時には成り立たないとするならば、どちらか一方を選んで、どちらか他方を犠牲にしなくてはなりません。
この考えに立つと、右翼と左翼は鋭く対立することになります。
しかし、自分にとって大切なものを「保守」することと、国家や伝統を「保守」することとが、深い部分で一つにつながっているとするならば、自分にとって大切なものを「保守」するためには、国家や伝統も「保守」しようとしなくてはならないし、国家や伝統を「保守」するためには、一人一人の人間にとって大切なものも「保守」しようと努めなくてはならないことになります。
私は正解は後者であると思います。
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