「神武建国以来の歴史を受け入れた憲法」

三原じゅん子氏の発言について。
自民党の参議院議員である三原じゅん子氏が、7月10日に放送されたテレビ東京系の選挙特番「池上彰の参院選ライブ」で放送されたVTRの中で、次のような発言を行いました。

「神武天皇の建国からの歴史すべてを受け入れた憲法を作りたい」


この発言に関して、番組司会者の池上彰氏と三原じゅん子氏の間で、次のようなやりとりが展開されました。

池上氏: 先ほどのVTRの中で、神武天皇以来の伝統を持った憲法を作らないといけないとおっしゃってましたね。どういう意味なんでしょうか。明治憲法の方が良かったということでしょうか?

三原氏: 全ての歴史を受け止めて、という意味であります。

池上氏: 神武天皇は実在の人物だったという認識なんでしょうか?

三原氏: そうですね。いろんなお考えがあるかもしれませんけど、私はそういう風に思ってもいいのではないかと思っています。

池上氏: あ、そうですか!学校の教科書でも神武天皇は神話の世界の人物で、実在していた天皇はその後だということになってますが?

三原氏: 神話の世界の話であったとしても、そうしたことも含めて、そういう考えであってもいいと思います。

池上氏: 神話も含めて日本の歴史を大切にした憲法にしなければいけない?

三原氏: はい、そうですね。

(出典: ハフィントン・ポスト 2016年7月10日)


右派の人々であれば、三原氏の発言を「愛国的なもの」と受け止め拍手喝采を送るでしょうし、左派の人々であれば、三原氏の発言は戦前の日本を彷彿とさせるものとして単純に拒絶反応を示すことでしょう。

しかし、従来の右派や左派とは異なる立脚地に立とうとする私たちは、この三原氏の発言をどう評価すべきでしょうか。

この問題を考えてみたいと思います。

戦前・戦時中の日本では、『日本書紀』や『古事記』に描かれた日本神話は史実であり、現実の歴史と連続したものであると教えられていましたが、津田左右吉(1873 - 1961)という歴史学者が実証主義的な方法で『日本書紀』や『古事記』を研究し、『古事記及び日本書紀の新研究』(1919)、『神代史の研究』(1924)、『日本上代史研究』(1930)、『上代日本の社会及思想』(1933)などの研究を通して、初代神武天皇から14代仲哀天皇の実在性を否定すると共に、記紀に書かれた内容は史実でも神話でもなく、単に八世紀当時の天皇制を根拠づけるための政治思想を表現したものに過ぎないとする学説を述べました。

1940年、津田左右吉のこれらの研究は皇室を冒涜する大逆罪に当たるとして政府から発禁処分を受け、早稲田大学教授の職を文部省によって追われるのみならず、出版元の岩波茂雄と共に出版法違反で起訴され、1942年、「(仲哀天皇以前の)御歴代の御存在について疑惑を抱かしむるの虞(おそれ)ある記述をおこない、今上陛下に至らせ給う我が皇室の尊厳を冒瀆した」とする判決理由により、禁固三ヶ月、執行猶予二年の有罪判決を受けました。

しかし、戦争が終わると、一転、津田左右吉は、一気に左傾化した学界や言論界によって、皇国史観と戦った英雄として熱狂的に賛美されるようになります。

ところが、津田左右吉は、日本国憲法が公布される約半年前の1946年4月、岩波書店の雑誌『世界』第4号上に、「建国の事情と皇室の万世一系の思想の由来」と題する論文を発表し、天皇制の廃止を唱える左派言論人やマルクス主義者の主張を手厳しく批判すると共に、天皇制は本来、民主主義と矛盾するものではないことを示し、天皇制を擁護する論陣を張りました。

ところが、最近に至って、いわゆる天皇制に関する論議が起ったので、それは皇室のこの永久性に対する疑惑が国民の一部に生じたことを示すもののように見える。これは、軍部及びそれに附随した官僚が、国民の皇室に対する敬愛の情と憲法上の規定とを利用し、また国史の曲解によってそれをうらづけ、そうすることによって、政治は天皇の親政であるべきことを主張し、もしくは現にそうであることを宣伝するのみならず、天皇は専制君主としての権威をもたれねばならぬとし、あるいは現にもっていられる如くいいなし、それによって、軍部の恣(ほしいまま)なしわざを天皇の命によったもののように見せかけようとしたところに、主なる由来がある。アメリカ及びイギリスに対する戦争を起そうとしてから後は、軍部のこの態度はますます甚しくなり、戦争及びそれに関するあらゆることはみな天皇の御意志から出たものであり、国民がその生命をも財産をもすてるのはすべて天皇のおんためである、ということを、ことばをかえ方法をかえて断えまなく宣伝した。そうしてこの宣伝には、天皇を神としてそれを神秘化すると共に、そこに国体の本質があるように考える頑冥固陋にして現代人の知性に適合しない思想が伴っていた。しかるに戦争の結果は、現に国民が遭遇したようなありさまとなったので、軍部の宣伝が宣伝であって事実ではなく、その宣伝はかれらの私意を蔽おおうためであったことを、明かに見やぶることのできない人々の間に、この敗戦もそれに伴うさまざまの恥辱も国家が窮境に陥ったことも社会の混乱も、また国民が多くその生命を失ったことも一般の生活の困苦も、すべてが天皇の故である、という考がそこから生れて来たのである。むかしからの歴史的事実として天皇の親政ということが殆どなかったこと、皇室の永久性の観念の発達がこの事実と深い関係のあったことを考えると、軍部の上にいったような宣伝が戦争の責任を天皇に嫁することになるのは、自然のなりゆきともいわれよう。こういう情勢の下において、特殊の思想的傾向をもっている一部の人々は、その思想の一つの展開として、いわゆる天皇制を論じ、その廃止を主張するものがその間に生ずるようにもなったのであるが、これには、神秘的な国体論に対する知性の反抗もてつだっているようである。またこれから後の日本の政治の方向として一般に承認せられ、国民がその実現のために努力している民主主義の主張も、それを助け、またはそれと混合せられてもいるので、天皇の存在は民主主義の政治と相容れぬものであるということが、こういう方面で論ぜられてもいる。このような天皇制廃止論の主張には、その根拠にも、その立論のみちすじにも、幾多の肯うべないがたきところがあるが、それに反対して天皇制の維持を主張するものの言議にも、また何故に皇室の永久性の観念が生じまた発達したかの真の理由を理解せず、なおその根拠として説かれていることが歴史的事実に背そむいている点もある上に、天皇制維持の名の下に民主主義の政治の実現を阻止しようとする思想的傾向の隠されているがごとき感じを人に与えることさえもないではない。もしそうならば、その根柢にはやはり民主主義の政治と天皇の存在とは一致しないという考えかたが存在する。が、これは実は民主主義をも天皇の本質をも理解せざるものである。

(出典: 津田左右吉「建国の事情と皇室の万世一系の思想の由来」)


天皇親政こそが日本のあるべき姿であるとする戦前・戦時中の政府の誤ったプロパガンダを鵜呑みにし、天皇の権威の由来や、歴史における皇室の実際のあり方を国民が正しく理解していないがために、敗戦の責任を天皇に帰し、皇室を全否定してこれを廃止しようとする人々がいたり、また逆にこれから日本が受け入れようとする民主主義を全否定することによって皇室の存続を図ろうとする人々がいるが、両者ともに誤っていると、津田左右吉は指摘しています。

また、津田左右吉は、

皇室が遠い過去からの存在であって、その起源などの知られなくなっていたことが、その存在を自然のことのように、あるいは皇室は自然的の存在であるように、思わせたのでもある。

(出典: 津田左右吉「建国の事情と皇室の万世一系の思想の由来」)


と述べ、皇室が、実証的な方法ではその起源を正しく確認できないほど古い過去に、非政治的、文化的、宗教的な存在として、日本民族の内側から自然に立ち上がった存在である点に、その精神的権威の由来があり、これは民主主義と本来矛盾するものではないため、皇室を廃止してはならないと唱えました。

このように、津田左右吉は、資料によって論じることのできる領域「A」については、極めて実証主義的な手法をおろそかにしなかっただけでなく、歴史がさかのぼることのできない領域「非・A」をも決して軽視しなかった点で、極めてバランスのとれた日本人らしい感覚を持ち続けた歴史学者であったことが伺えますが、津田左右吉のこの立場は、戦前は右傾化した人々によって、戦後は左傾化した人々によって、なかなか理解されませんでした。

戦後まもなくは、戦前・戦時中の反動から、『日本書紀』や『古事記』の記述は史実ではないとする津田の学説は優勢でしたが、その後、考古学的な発見が進むにつれ、記紀に記された物語は、完全な作り話ではなく、実際の史実を(ある程度)反映したものであることも分かってきました。

ですから、三原じゅん子氏のように、『日本書紀』や『古事記』に描かれた神話と現実の歴史を、ひとつながりの連続したものとして捉えようとする見方が全く誤っているわけではありません。

「神武天皇の建国からの歴史すべてを受け入れた憲法を作りたい」と述べる三原じゅん子氏の問題点は、日本神話の全体の体系の中から、「神武天皇の建国」以降を部分的に切り出し、ここに注意を限定してしまっている点にあります。

『日本書紀』も『古事記』も、その物語は「神武天皇の建国」から始まってはいません。「神武東征」に先行する、「天孫降臨」や「国譲り」という重要なエピソードを含んでいます。

「国譲り」までさかのぼらずに「神武東征」から話を始めてしまうと、大和国家成立以前に存在した人々やその文化を、ヤマト王権がどう扱ったのかというきわめて重要な問題が、その視野の中から除外されてしまうことになります。

すでに、WJFプロジェクトが指摘してきたように、実質的な初代天皇と言われる崇神天皇は、天神テマテラスを祀る、伊勢神宮の祭祀を確立するのに先だって、地祇オオクニヌシを祀る、三輪山における出雲系の祭祀の確立によって、その統治を開始しています。ヤマト王権が、ヤマト王権に服属した人々を、細心の注意をもって極めて丁重に扱ったことをうかがわせるエピソードです。

また「国譲り」の物語は、縄文文明と弥生文明が互いを排除し廃絶し合うことなく比較的平和なやり方で習合していった日本文明成立の実態とも符合しています。

「国譲り」というこの重要なエピソードを除外してしまえば、「非国家の国家」という、日本という国家が伝統的に抱えてきた重層的、複合的な構造は否定され、明治体制に似た、ただ単一の、純化された「国家主義」だけが前面に出てくることになります。ただ単一の、純化された「国家主義」は、日本という国家を強化することにつながるどころか、その本来のあり方に背くことによって、最終的には国家を破滅に至らせるものです。それこそが、日本人が敗戦の経験から学び取るべき大切な教訓です。

また、『日本書紀』や『古事記』は、「天孫降臨」や「国譲り」という神話にさらに先行して、「天地開闢」という宇宙や自然界の始まりから物語を始めることによって、日本という国家の成立を、自然という普遍的な舞台の中に位置づけようとする視点を欠かしてはいません。

古(いにしへ)に天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れざりしとき、渾沌(まろか)れたること鶏子(とりのこ)の如くして、溟(ほのか)にして牙(きざし)を含(ふふ)めり。其れ清陽(すみあきらか)なるものは、薄靡(たなび)きて天(あめ)と為り、重濁(おもくにご)れるものは、淹帯(つつ)ゐて地(つち)と為るに及びて、精妙(くはしくたへ)なるが合へるは摶(むらが)り易く、重濁れるが凝(こ)りたるは竭(かたま)り難し。故(かれ)、天先(ま)づ成りて地後(のち)に定(さだま)る。然して後に、神聖(かみ)、其の中に生(あ)れます。故曰はく、開闢(あめつちひら)くる初(はじめ)に、洲壌(くにつち)の浮(うか)れ漂へること、譬(たと)へば、游魚(あそぶいを)の水上(みづのうへ)に浮けるが猶し。時に、天地の中に一物(ひとつのもの)生(な)れり。状(かたち)葦牙(あしかび)の如し。便(すなは)ち神と化為(な)る。国常立尊(くにのとこたちのみこと)と号(まう)す。至りて貴(たふと)きをば尊(そん)と曰(い)ふ。自余(これよりあまり)とば命(めい)と曰ふ。並(ならび)に美挙等(みこと)と訓(い)ふ。下皆此(しもみなこれ)に効(なら)へ。次に国狭槌尊(くにさつちのみこと)。次に豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)。凡(すべ)て三(みはしら)の神ます。乾道独化(あめのみちひとりな)す。所以(このゆゑ)に、此の純男(をとこのかぎり)を成せり。

(出典: 『日本書紀』巻第一神代上)


「天地開闢」にまで神話をさかのぼることなく、恣意的に「神武東征」以降の神話を切り取って、そこから話を始めてしまえば、「自然」と「人為」との関係という重要な視点が見失われ、ただ「人為」だけが前面に現れて、一人歩きをすることになります。

「人為」を「自然」から切り離してしまうほど、非日本的な世界観はありません。

日本の国土を原発だらけにし、なおかつ悲惨な原発事故が起きてさえも、そのことに疑問すら感じない「保守」を自称する人々の麻痺した感覚は、このような、「人為」のみを前面に押し出す、非日本的な世界観と無関係ではないと思われます。

つまるところ、日本神話の全体を体系的に把握することなく、「神武建国」以降の神話を部分的に切り取ってこれを賛美すれば愛国的だと誤解している三原じゅん子氏は、日本神話の本質も、日本人にもっともふさわしい「愛国」のあり方も、何も理解してはいないということになります。

このように日本文明の本質を見通す知識も見識も持たず、いたずらに権力だけを手にしてしまった人々が、憲法をいじり、日本の本来の姿と乖離した恣意的な条文をつくり、日本人の未来をゆがめていってしまう。

そんなことがゆるされてよいはずがありません。
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今日

陛下が、今日、生前退位する意向を、官邸や、宮内庁を通す事なく、直接NHKに表明されましたね
某掲示板で、これは憲法改正を阻止するためだとか噂されています
想像することしかできませんが、時期や状況、過去のご発言などから、そういうことなんだと思います

戦争で誰が悲しみ、苦しんだのか、知っていたはずなのですが、正直、今日まで忘れていました

イギリスの例を見ても、国民投票の過半数なんて、あっけないものですが、今回ばかりは、投票までこぎつけたとしても、改憲派の勝ち目はかなり薄くなったと、個人的には思います

陛下は本当に偉大な方です

東京都に関する豆知識

皇室と出雲の関わりを一番最近、大衆メディアが取り上げたのは、出雲大社の現権宮司、千家国麿氏と典子女王殿下(敬称、当時)との婚姻であったと思います。国麿氏の高祖父は千家尊福公であり、尊福公は戦前、東京都知事(当時は府知事)職を最長期間務めた(伊藤博文による官選)人物です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/千家尊福

尊福公の政界進出は、所謂「祭神論争」に敗れて宮司職を退いた後でした。
http://www.izumotaisya-tokyobunshi.com/kora5.htm
官選時代の歴代知事を見ても、勅祭社の元宮司出身というのは異例です。

No title

さいきん、こちらのサイトで縄文の話がさかんにあったので、例の問答を知ったときは、なんで訊くほうも答えるほうも縄文時代をも包含しようとすることに言及しないんだろう、と感じていました。
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