縄文人と共産主義
日本に共産主義は要らない。
コメント欄に書いたことに少し手を加えて記事にして残しておきます。私が「日本に共産主義は要らない」というのは、右派の人々がいうのと、少し意味が異なります。
共産主義や社会主義について、一言述べてみたいと思います。
そもそも共産主義や社会主義は、ロシアの帝政、フランスの絶対王政、中国の皇帝制のような、一元的な絶対君主制や、横暴な権力者のように振る舞う資本家に対するアンチテーゼとして生まれたものですから、絶対君主制にとっては明らかに、不倶戴天の敵であり、駆除すべき大きな脅威ですが、古代の一時期や後醍醐天皇による建武の新政のような例外を除き、明治維新以前の日本の伝統的な天皇制が、それら諸外国の絶対君主制と同じものであったかといえば、決してそうではないと思います。
ということは、共産主義は、日本にとってのアンチテーゼ(「反日」)には、なりえないものだと思います。
このことは縄文時代の日本を想起すれば最も明らかです。
縄文時代の日本にとって共産主義が脅威になりえるかといえば、まったく脅威にはなりえません。
なぜなら共産主義が打倒しようとする相手がまったく存在せず、共産主義者が拳を振りかざして革命を叫ばずとも、人々が原始共産主義的な平和で平等な暮らしを初めから謳歌していたからです。
共産主義者たちが、縄文人たちに共産主義革命をアジテートしている姿を想像してみてください。縄文人たちは「お前何言ってんの」と、口をぽかんとあけて、呆れた目で共産主義者たちを見つめたことでしょう。
では弥生時代以降の日本はどうなのか。
政治的な権力は強化されたであろうけれども、縄文的な要素が、その後の日本社会から排除され払拭されたかといえば、勾玉という縄文人が作り出した、その自然崇拝とつよい関連性をもつ装飾品を弥生人が継承したことからも分かるように、実際の日本社会は、弥生時代以降も,縄文的な野生の色合いを強く残していました。
だから、一元的な諸外国の絶対君主制とは対照的に、日本は、太政官政府や幕府が司る政治の「権力」と、天皇が司る自然に根ざす「権威」の、二元的な構造を歴史を通じて常に維持してきました。
それが、日本が「自然国家」とよばれる所以です。
日本が「自然国家」であり、日本文明の根底に縄文文明が存在するということは、日本文明や日本社会の根底にははじめから共産主義的なものがセッティングされているということを意味します。
日本文明の根底にはじめから共産主義的なものがセッティングされているということは、共産主義は日本人にとっては、その本来のあり方を破壊する脅威なのではなく、釈迦に説法であり、わざわざ言われるまでもないもの、不必要なものであるということです。
明治維新以降に、共産主義が日本にとっての脅威であるとみなされるようになったのは、明治体制が、西洋の絶対君主制を模倣したためです。
明治憲法が、絶対君主制を定めたプロイセン憲法を模倣したことに、そのことははっきりと現れており、明治維新以降の天皇制は、従来の天皇制から大きく逸脱したものとなりました。
絶対君主制というテーゼのないところ、民を蹂躙するような暴虐な権力者が存在しないところには、共産主義というアンチテーゼも成立のしようがありません。
縄文人のスピリットを根底にもつ私たち日本人は、縄文人が共産主義者たちを見つめたであろうまなざしと同じ目で、共産主義を見つめるべきです。
日本の共産主義者たちは、日本文明の根底に共産主義的なものが初めからセッティングされていることに気がつけば、「なんだ、共産主義なんか日本にいらないじゃん。むしろ日本の古来からの伝統を守る保守的な姿勢をもつことが、平等な社会の実現と維持につながるじゃん。解散、解散」ということになりますし、日本の右派の人々も、縄文時代の頃から、日本文明の根底に共産主義的なものが存在していることに気づけば、共産主義的なものを嫌悪して、かえって、日本の伝統的な文化や社会や自然を破壊するという愚行を犯さずに済むと思います。
参考記事:
右や左の彼方にある本当の日本(2013年11月10日)
明治天皇制と産業資本主義の結合(2013年11月12日)
従来の「保守」概念と、本来あるべき「保守」概念(2013年11月16日)
共産主義や社会主義について、一言述べてみたいと思います。
そもそも共産主義や社会主義は、ロシアの帝政、フランスの絶対王政、中国の皇帝制のような、一元的な絶対君主制や、横暴な権力者のように振る舞う資本家に対するアンチテーゼとして生まれたものですから、絶対君主制にとっては明らかに、不倶戴天の敵であり、駆除すべき大きな脅威ですが、古代の一時期や後醍醐天皇による建武の新政のような例外を除き、明治維新以前の日本の伝統的な天皇制が、それら諸外国の絶対君主制と同じものであったかといえば、決してそうではないと思います。
ということは、共産主義は、日本にとってのアンチテーゼ(「反日」)には、なりえないものだと思います。
このことは縄文時代の日本を想起すれば最も明らかです。
縄文時代の日本にとって共産主義が脅威になりえるかといえば、まったく脅威にはなりえません。
なぜなら共産主義が打倒しようとする相手がまったく存在せず、共産主義者が拳を振りかざして革命を叫ばずとも、人々が原始共産主義的な平和で平等な暮らしを初めから謳歌していたからです。
共産主義者たちが、縄文人たちに共産主義革命をアジテートしている姿を想像してみてください。縄文人たちは「お前何言ってんの」と、口をぽかんとあけて、呆れた目で共産主義者たちを見つめたことでしょう。
では弥生時代以降の日本はどうなのか。
政治的な権力は強化されたであろうけれども、縄文的な要素が、その後の日本社会から排除され払拭されたかといえば、勾玉という縄文人が作り出した、その自然崇拝とつよい関連性をもつ装飾品を弥生人が継承したことからも分かるように、実際の日本社会は、弥生時代以降も,縄文的な野生の色合いを強く残していました。
だから、一元的な諸外国の絶対君主制とは対照的に、日本は、太政官政府や幕府が司る政治の「権力」と、天皇が司る自然に根ざす「権威」の、二元的な構造を歴史を通じて常に維持してきました。
それが、日本が「自然国家」とよばれる所以です。
日本が「自然国家」であり、日本文明の根底に縄文文明が存在するということは、日本文明や日本社会の根底にははじめから共産主義的なものがセッティングされているということを意味します。
日本文明の根底にはじめから共産主義的なものがセッティングされているということは、共産主義は日本人にとっては、その本来のあり方を破壊する脅威なのではなく、釈迦に説法であり、わざわざ言われるまでもないもの、不必要なものであるということです。
明治維新以降に、共産主義が日本にとっての脅威であるとみなされるようになったのは、明治体制が、西洋の絶対君主制を模倣したためです。
明治憲法が、絶対君主制を定めたプロイセン憲法を模倣したことに、そのことははっきりと現れており、明治維新以降の天皇制は、従来の天皇制から大きく逸脱したものとなりました。
絶対君主制というテーゼのないところ、民を蹂躙するような暴虐な権力者が存在しないところには、共産主義というアンチテーゼも成立のしようがありません。
この天皇(仁徳天皇)が、ある時、高い山に登って四方の国を眺望して言うには、
「見渡すかぎり、国の中にかまどの煙の立つのが見えない。これは国に住む者がすべて貧しいからであろう。これから三年の間は、人民の租税や賦役をすべて免除することにしよう。
このように命じた。その結果、宮殿はすっかり傷んでしまい、そこここから雨が漏るようになったが、決して修繕を命じようとはせずに、樋を掛けて雨漏りを受け、自分は雨の漏らないところに、場所を避けた。このようにして三年後に、また、山に登って眺望したところ、国の中にかまどの煙が、一面に空に立ち昇っていた。そこで、人民も富み豊かになったものと考え、もういいだろうというので、前のように租税や賦役を課した。こういうわけで万民は栄え、使役に苦しむこともなかった。それゆえ、この天皇の御代を称えて、聖の御世と言う。
(出典: 福永武彦訳『古事記』)
縄文人のスピリットを根底にもつ私たち日本人は、縄文人が共産主義者たちを見つめたであろうまなざしと同じ目で、共産主義を見つめるべきです。
日本の共産主義者たちは、日本文明の根底に共産主義的なものが初めからセッティングされていることに気がつけば、「なんだ、共産主義なんか日本にいらないじゃん。むしろ日本の古来からの伝統を守る保守的な姿勢をもつことが、平等な社会の実現と維持につながるじゃん。解散、解散」ということになりますし、日本の右派の人々も、縄文時代の頃から、日本文明の根底に共産主義的なものが存在していることに気づけば、共産主義的なものを嫌悪して、かえって、日本の伝統的な文化や社会や自然を破壊するという愚行を犯さずに済むと思います。
参考記事:
右や左の彼方にある本当の日本(2013年11月10日)
明治天皇制と産業資本主義の結合(2013年11月12日)
従来の「保守」概念と、本来あるべき「保守」概念(2013年11月16日)
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