最も日本人らしい投票の仕方

私たちは何党に投票すべきか。
中沢新一と南方熊楠」という記事のシリーズで、日本人の伝統的な姿勢とは、明確な形をもつ現実化したものごとである「A」だけではなく、その裏側にひろがる潜在性の領域である「非・A」にも等しく目を配り,二つの領域の間に橋渡しをすることであること、またこの姿勢が、日本人の様々な古い営みの中に一貫して現れてきたことを指摘してきました。



日本の文化が、外国の文物を取り入れることに貪欲であるのと同時に、他の文化圏の人々なら思いもつかないような奇抜な独創性を発揮してきたのは、「非・A」という、より根源的な潜在性の領域に遡行して、そこから現実にある物事を照らし出そうとする姿勢を失わなかったからであると、私は思います。

それに対して、明治維新以降の日本人が大きく影響を被ってきた西洋文明や、現代の物質文明は、目には見えない「非・A」の領域を無視し、ひたすら、現実に存在する確定したものごと「A」だけに注視する傾向をもつことを指摘してきました。



現代の日本人も、現代文明に典型的な同じ傾向を抱えています。

かつての日本人であれば、生活に必要な物を、何もないところから、なるべく自分の手で工夫して作り出そうと努めました。そして、役割を果たした形ある物を処分するときには、それがあたかも生命を持つ生き物であるかのように扱い、形のない世界に送り返すための供養すら欠かしませんでした。日本人にとって「ものづくり」とは、まさに、形のない潜在性の領域「非・A」から、現実の形「A」を切り出そうとする点で、二つの領域の間に往還の道筋を設ける営みにほかならなかったからです。

しかし、現代の消費社会では、店頭に並ぶ既製品の中から選択することをもって済ませてしまい、また、そうすることが当たり前だと思い込んでいます。そして不要になった物品は、その行き先を顧みることもなく、ただ捨ててしまいます。現代の日本人は、形をもつ「A」の領域に自らを閉じ込めて暮らしています。

これと同じ姿勢が、選挙に関しても見られます。

たとえば、自民党や安倍政権を批判する私たちに対して、しばしば、次のように問いかける人々が現れます。

「自民党がだめなら、何党を支持すればいいの」
「安倍さんがだめなら、誰を支持すればいいの」


彼らは、「非・A」「非・B」「非・C」「非・D」「非・E」・・・という「何かではないものたち」が構成する潜在性の世界を忘れ、ひたすら「A」「B」「C」「D」「E」・・・という現実に現れる既成の政党や政治家にのみ着目し、その中から選択することが民主主義だと信じ込んでいます。

「非・A」「非・B」「非・C」「非・D」「非・E」・・・という「何かではないものたち」が構成する「非政治」の世界こそが、「A」「B」「C」「D」「E」・・・という諸政党が構成する「政治」の世界を作り出す母体であるにも関わらず。

あるいは、彼らは、単にそのように信じ込まされています。民主主義なるものが、西洋近代文明の一産物に他ならないため、「現実化した既成の事物から選択する」という、西洋文明に共通の傾向を抱えているためです。

しかし、私たちは日本人ですから、過去にあらゆる外国の文物を日本化してきたのと同じやり方で、民主主義を十分に日本化していくべきです。

そのやり方とは、

「A」「B」「C」「D」「E」・・・といった、既成の選択肢の中から選ぶことに甘んじる姿勢を捨てて、「非・A」「非・B」「非・C」「非・D」「非・E」・・・という否定の姿勢で、選挙に臨むことです。

また、特定の政党や政治家が、どんな状況下でも普遍の価値や絶対の解決策をもつ救世主であるかのように信奉することをやめることです。

「A」という政党が圧倒的な力を握っているならば、「非・A」という姿勢で選挙にのぞみ、「政治」の暴走に歯止めをかけるべきです。

そのためであれば、「B」や「C」や「D」や「E」という、「非・A」の政党に投票することを厭うべきではありません。

右派政党が圧倒的な力を握っているのであれば、ためらわずに、左派政党に投票すべきです。

それは、「A」の代わりに、「B」や「C」や「D」や「E」といった特定の個別政党を強く信奉するがゆえではなく、「右派」か「左派」かのいずれかのイデオロギーに立つゆえでもなく、「A」と「非・A」、「政治」と「非政治」、「右派」と「左派」との間に橋渡しをし、政治の世界を中和し、その和みをとりもどし、日本の全体性を回復させていくためです。

日本を救うただ一つの答え

自民党がだめだから民主党。
民主党がだめだから自民党。
自民党がだめだから共産党。


そういう既成のものの中にもはや答えはありません。マーク式のテストに例えてみれば、四択の中のどれかが正解というわけではなく、どの選択肢も正解ではないというのがこの問題の正解です。

なぜかといえば、私たちが望むと望まざるとに関わらず、一つの時代が終わろうとしているからです。

既成のもののなかに正解があり、それを選択すれば話が済んでしまうのであれば、それは同じ時代の継続しかもたらさないでしょう。

しかし、実際には、私たちに選択肢は何も残されてはいません。

しかし、だからこそ、私たちは一つの時代を葬り去って、新しい時代を始める事ができます。

答えがないという事実が、そのまま盤石な揺るぎない答えとなって、そこから新しい扉が自ずから開かれていくはずです。

ですから、このような時代にあっては、この人こそが答えだ、この政党こそが答えだと、安易な正解を作り出して、それについていったり、しがみつく事がもはやあってはなりません。

「これが正解だ」

「この方こそが救世主だ」

「○○さんこそ、真の国士だ」

「この政権こそが救国政権だ」


そう思ったときには、その時点でもうあなたは間違った選択肢を選んだことになります。

私たちが、もうだめだ。

そう絶望して、地面に倒れ込んだときに、やっと、その大地の上に、既に新しい時代の芽が芽吹いていることを私たちは目にするはずです。

"「仏に逢うては,仏を殺し,祖に逢うては,祖を殺し,羅漢に逢うては,羅漢を殺し,父母に逢うては,父母を殺し,親眷に逢うては,親眷を殺して,始めて解脱を得ん。」(『臨済録』)"

"「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。見よ、あなたがたに前もって言っておく。だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。」(『マタイによる福音書』24:24-26)"

正解らしいものを誰かが掲げてきたときには、大きな「NO」の声をあげてください。

現在においては、安倍政権に大きな「NO」の声を上げるのがもっとも正しい道です。

他に選択肢があるから、「NO」というのではなく、あらゆる安易な選択肢を焼き尽くすために、私たちは「NO」と言わなくてはなりません。

この時代を脱却するためには、この時代が私たちに差し出してきたカタログをすべて焼き尽くさなくてはなりません。

そしてTPPを食い止めることに、いまのみなさんの力を注いでください。

国民が力を結集して日本のTPP参加を食い止めること、それがそのまま日本の新しい時代を開く扉になるはずです。

答えはもうなにもない。

私たちが、その地点に行き着いたときには、森羅万象がそのまま答えになりうるという新しい地平が開かれているはずです。

次の記事も参考になさってください。

窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず。

(出典: WJFプロジェクト「日本を救うただ一つの答え」2013年10月5日)
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