中沢新一と南方熊楠(15)
ひとつながりの世界を生きていた日本人。
明治維新以降の話に入る前に、もう少し書かなければならないことがあります。
熊楠が生まれた大政奉還直前の紀州では、人間と動植物を結びつけるトーテミズムの考え方が残っていたようですが、さらに時代をさかのぼれば、この考え方は一層深く色濃く、日本人の生活を支配していたことが分かります。
江戸幕府によって、全国の神職を総括する神社の総本山としての権限を与えられていた吉田神道が、江戸初期に発行した祝詞集には、現在も全国の神社で年に二回行われる大祓式で用いられる「中臣祓(大祓詞)」と合わせて、修験道の行者が好んで用いてきた「六根清浄太祓」という祝詞が掲載されています。
参考記事:
國學院大學伝統文化リサーチセンター資料館「近世における祓の展開」
この、「六根清浄太祓」には、トーテミズムの宗教哲学が、リズミカルな日本語で、わかりやすく披瀝されています。
この祝詞の面白いところは、第二段の「是故(このゆえ)に 目に諸(もろもろ)の不浄を見て 心に諸(もろもろ)の不浄を見ず」という箇所で、下の図式のように、人間の心を、人間の五感が直結する意識的な領域と、その根底にある無意識の領域の二層に分けて捉えている点です。

第二段の最後の行では「意(こころ)」と「心(こころ)」というように、同じ「こころ」に異なる漢字をあてがって区別しているのが分かります。
五感を介して意識の領域に外界から侵入してきた不浄を、無意識の領域に浸透させてはならないと、二つの領域の「往還」よりも「遮断」が、ここではうたわれてはいるのですが・・・。
トーテミズムの考え方は、第四段の「我が身は則(すなわち)六根清浄(ろっこんしょうじょう)なり」の部分で、畳みかけるように展開されていきます。
このように、人間の無意識が、身体や神々を介して、万物と一つにリンクされています。
(注:「五臓の神君」とは、東洋医学で、「肝・心・脾・肺・腎」の各臓器が蔵すると信じられていた、「神・魂・営・気・精」のこと。身体と心を分離しない東洋的な考え方が表されています。)
心という人間の内部環境における「非・A」の領域である「無意識」が、世界という人間の外部環境における「非・A」の領域である「自然」と一つにつながっていく。

心という人間の内部環境における「A」の領域である「意識」が、世界という人間の外部環境における「A」の領域である「文明」の創造に関わっていることと抱き合わせれば、一つの円環のようにつながった世界が見えてきます。

江戸時代の日本人は、このように内部環境と外部環境が、破綻なくひとつながりとなった世界の中を生きていたのです。
このひとつながりの円環を乱すものが、「文明」や「意識」から発生する「不浄」であるために、日本人は「祓」を大切にしました。
同じ日本人であっても、今の私たちとは大きく異なる世界観の中を生きていたことが伺えます。
熊楠という名前は彼にとって特別な意味をもっていました。自分につけられた名前に、紀州に残っていた人間と動植物を密接な関係で結びつける「トーテミズム」の遺風が示されているからです。人類学に通じていた熊楠は、自分の名前がトーテミズムの思考法によって決定されたことに、喜びを感じていました。子どもを人間の社会に組み込んでそこにつなぐための名前ではなく、動物や植物の世界と結びつけるためにつけられた名前が自分に与えられたことに、彼は幸運を感じていたからです。
トーテミズムは人類最古の社会理論とも言われている、古い思考法に根ざしています。古くはどこの世界にも見られたものですが、人間と動植物を分離する思考が発達するようになると、多くの地域では意味のわからなくなった遺風となってしまいました。しかしオーストラリア先住民族の世界などでは、今でも生き生きと伝えられている考え方です。
(出典: 中沢新一『熊楠の星の時間』)
熊楠が生まれた大政奉還直前の紀州では、人間と動植物を結びつけるトーテミズムの考え方が残っていたようですが、さらに時代をさかのぼれば、この考え方は一層深く色濃く、日本人の生活を支配していたことが分かります。
江戸幕府によって、全国の神職を総括する神社の総本山としての権限を与えられていた吉田神道が、江戸初期に発行した祝詞集には、現在も全国の神社で年に二回行われる大祓式で用いられる「中臣祓(大祓詞)」と合わせて、修験道の行者が好んで用いてきた「六根清浄太祓」という祝詞が掲載されています。
参考記事:
國學院大學伝統文化リサーチセンター資料館「近世における祓の展開」
この、「六根清浄太祓」には、トーテミズムの宗教哲学が、リズミカルな日本語で、わかりやすく披瀝されています。
天照皇太神(あまてらしますすめおおかみ)の宣(のたまわ)く
人は則(すなわち)天下(あめがした)の神物(みたまもの)なり
須掌静謐(すべからくしずまることをつかさどるべし)心は則(すなわち)神明(かみとかみ)との本主(もとのあるじ)たり
莫令傷心神(わがたましいをいたましむることなかれ)
是故(このゆえ)に
目に諸(もろもろ)の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず
耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず
鼻に諸の不浄を嗅ぎて 心に諸の不浄を嗅がず
口に諸の不浄を言いて 心に諸の不浄を言わず
身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず
意(こころ)に諸の不浄を思ひて 心(こころ)に諸の不浄を想はず
此の時に清潔(きよくいさぎよ)き偈(こと)あり
諸の法(のり)は影と像(かたち)の如し
清(きよ)く潔(きよ)ければ仮にも穢(けが)るること無し
説(こと)を取らば不可得(うべからず)
皆花よりぞ木実とは生(な)る
我が身は則(すなわち)六根清浄(ろっこんしょうじょう)なり
六根清浄なるが故に 五臓(ごぞう)の神君(しんくん)安寧(あんねい)なり
五臓の神君安寧なるが故に 天地の神と同根なり
天地の神と同根なるが故に 万物の霊と同体なり
万物の霊と同体なるが故に 為す所の願いとして成就せずといふことなし
無上霊宝(むじょうれいほう) 神道加持(しんとうかじ)
(出典: 『神道大祓全集』)
この祝詞の面白いところは、第二段の「是故(このゆえ)に 目に諸(もろもろ)の不浄を見て 心に諸(もろもろ)の不浄を見ず」という箇所で、下の図式のように、人間の心を、人間の五感が直結する意識的な領域と、その根底にある無意識の領域の二層に分けて捉えている点です。

第二段の最後の行では「意(こころ)」と「心(こころ)」というように、同じ「こころ」に異なる漢字をあてがって区別しているのが分かります。
五感を介して意識の領域に外界から侵入してきた不浄を、無意識の領域に浸透させてはならないと、二つの領域の「往還」よりも「遮断」が、ここではうたわれてはいるのですが・・・。
トーテミズムの考え方は、第四段の「我が身は則(すなわち)六根清浄(ろっこんしょうじょう)なり」の部分で、畳みかけるように展開されていきます。
無意識の領域が清浄さを保てば、内蔵の精気(注)が安らぐ
内蔵の精気が安らげば、天地の神々と一つになる
天地の神々と一つになれば、山川草木ありとあらゆる万物の精霊と一つになる
万物の精霊と一つになれば、かなわない願いは存在しないのだ
このように、人間の無意識が、身体や神々を介して、万物と一つにリンクされています。
(注:「五臓の神君」とは、東洋医学で、「肝・心・脾・肺・腎」の各臓器が蔵すると信じられていた、「神・魂・営・気・精」のこと。身体と心を分離しない東洋的な考え方が表されています。)
心という人間の内部環境における「非・A」の領域である「無意識」が、世界という人間の外部環境における「非・A」の領域である「自然」と一つにつながっていく。

心という人間の内部環境における「A」の領域である「意識」が、世界という人間の外部環境における「A」の領域である「文明」の創造に関わっていることと抱き合わせれば、一つの円環のようにつながった世界が見えてきます。

江戸時代の日本人は、このように内部環境と外部環境が、破綻なくひとつながりとなった世界の中を生きていたのです。
このひとつながりの円環を乱すものが、「文明」や「意識」から発生する「不浄」であるために、日本人は「祓」を大切にしました。
同じ日本人であっても、今の私たちとは大きく異なる世界観の中を生きていたことが伺えます。
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