憲法改正は天皇制の崩壊につながる

憲法を書く資格をもつ人。
日本のために憲法を書く資格をもつ人が仮に存在するとしたら、その人は、どこかの国の総理大臣のように、国内外の特定集団の利益を追求して、大半の日本国民をないがしろにするような人ではなく、日本国全体を代表する人でなくてはなりません。

またその人は、「縄文から現代に至る日本人の歴史的あゆみの全体」を、深く、見通せる人でなくてはなりません。

さらに、その人は、「縄文から現代に至る日本人の歴史的あゆみの全体」を単に研究の対象として客観的に観察する人ではなく、自らその全体性を引き受けて生きる人でなくてはなりません。

「日本の全体性を引き受けて生きる人」

すると、この定義に当てはまるのは、日本において天皇陛下以外には考えられず、私利私欲に満ちた有象無象の輩がいたずらに憲法に触れてはならないことがわかりますが、天皇陛下ご自身は、憲法について次のように述べておられます。

時代にふさわしい新たな皇室のありようについての質問ですが,私は即位以来,昭和天皇を始め,過去の天皇の歩んできた道に度々に思いを致し,また,日本国憲法にある「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるという規定に心を致しつつ,国民の期待にこたえられるよう願ってきました。象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず,その望ましい在り方を求めて今日に至っています。なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば,日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合,伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。

(出典: 宮内庁「天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年)」2009年4月8日)


天皇陛下は、君主制を定めた大日本帝国憲法よりも、象徴天皇制を定めた日本国憲法の方が、伝統的な天皇のあり方に合致していると述べておられます。

大日本帝国憲法第一条: 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス


日本国憲法第一条: 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


これは天皇陛下の述べられる通りであり、古代の律令体制下も含めて、天皇が直接政治を行った時代、天皇親政の時代は、極めて例外的でした。

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって」

とする、日本国憲法第一条の前半は、日本史の全体に通底する天皇の本質を、実に端的に、そして的確に言い当てている条文であると思います。

しかし、日本国憲法に疑念を持つ人たちは、日本国憲法第一条後半の

「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」

という箇所を指して、「これでは万一、国民が天皇を不要だと考えるようになる時代がくれば、天皇制が廃止されてしまう」という不安を口にするのですが、日本国憲法が書かれた当時の状況を調べれば、この条文の本来の意味は、「国民の意思によって天皇の地位を自由にできる」という意味ではないことがわかります。

日本国憲法が書かれたときの状況がどういうものか、半藤一利の『昭和史』は次のように記しています。

また、この昭和二十一年一月頃の日本の社会は、追放令や戦犯摘発などで、本当に殺伐としていました。追放で泣く人、戦犯として牢獄に繋がれる人・・・騒然たる中で、日本人の気分もかなり荒っぽくなっていったようです。次第に「天皇の戦争責任は免れない」などという人が現れ、「天皇も軍事法廷に引っ張り出せ」という声が強まっていきました。

当然、この雰囲気を、連合国の強硬派は察知します。そして「ヒロヒトを吊せ」、つまり裁判にかけて絞首刑にしろ、という声が澎湃として出てきました。たとえば、二十二日付ワシントンに届けられたロンドン駐在米大使からのメッセージ「当地の戦争犯罪委員会は、主要戦犯として天皇裕仁のほか六十一名の日本の指導者を告発し、その名簿を作成すべきであるとの提案が、同委員会のオーストラリア代表から出されている。・・・」などなどです。こういった声はなかなか収まりませんから、これにはマッカーサーも困り果ててしまいます。

天皇を裁判にかけたら、いわんや絞首刑の判決が出たりしたら、これまでおとなしく占領政策に応じていた日本人は果たしてどういう動きに出るか。憤慨して隠していた武器をとり、とんでもないゲリラ戦がはじまるんじゃないか、そんな懸念でマッカーサーは憂い悩んだのです。

結果的には、マッカーサーは揺れる気持ちを引き戻し、天皇に責任はないんだ、天皇をきちんと置いておかなければならない、という思いを新たにするのですが、そう改めて決意を固めさせたのが、日本人からのマッカーサー宛の手紙でした。

今もアメリカのマッカーサー記念館に、日本人からの膨大な手紙がきれいに整理されて残っていて、私は何通か見たことがあります。政治学者の袖井林二郎さんがそれらを丹念に調べて書いた『拝啓マッカーサー元帥様』にたくさん紹介されている中からいくつか挙げますと、

「近来新聞紙の報じるところによれば、戦争責任が上御一人にまで波及するのではないか、とのことにて、全くの事の意外に茫然自失したのであります。何としても是を防止せなければならぬ。・・・上御一人にもしもの事がありますれば、私ども国民は生き甲斐を失います。・・・私の一命がご必要となれば、喜んで私の一身は差し上げます。なにとぞ私の切なる願いをお聞き届けくださいませ」

こういうのをマッカーサーは丁寧に読んだらしいんですね。さらに、

「陛下を法廷に立つるが如き事あらば、私個人はもとよりの事、多くの日本人が歴史と伝統により蓄積されたる忠誠心、というよりむしろ信仰心により、閣下個人のみならず米国人すべてにたいし、今後永久に一大憎悪を抱き、かつ不測の事態の惹起を必然にして、また我々現時を生くる日本人としては憤死するとも、如何にして子孫に顔向けできましょうや」

天皇陛下を裁判にかけたりしたら、我々日本人は生涯お前たちを許さん、とすごい剣幕です。この手紙は、半紙一枚に、指を切って血文字で書かれていました。すでに黒ずんではいますが。さらに、

「天皇陛下ハ我ら日本人ノ生命デアリマス。我等ハ天皇ナクテハ生キテ行ケナイノデス。何卒陛下ヲ苦シメナイ様ニシテ下サイ、是レ我等日本人ノ至上ニシテ最モ切実ナル念願デアリマス」

またほかにも、小学生らしい、たどたどしい文字の、たった二行のものもあります。

「天皇陛下をさいばんしてはいけません
天皇陛下にせきにんはありません」

このような手紙が、当時マッカーサーの元に殺到したわけです。

(出典: 半藤一利『昭和史』)


「天皇陛下を裁いてはならない」

「天皇陛下を処刑してはならない」

このような日本国民の嘆願の声が殺到したのを受けて、マッカーサーは、1946年1月25日、天皇制の維持を説得するため、米国ワシントンにいるアイゼンハワー陸軍参謀総長に次のように打電しました。

"His indictment will unquestionably cause a tremendous convulsion among the Japanese people, the repercussions of which cannot be overestimated. He is a symbol which unites all Japanese. Destroy him and the nation will disintegrate."

「天皇の告訴が、日本国民の間に、とてつもない動揺を引き起こすことに疑いの余地はなく、また、その影響は計り知れない。天皇はすべての日本人を一つにまとめる象徴である。天皇を滅ぼせば、国が統合を失う。

(出典: 「マッカーサーからアイゼンハワー陸軍参謀総長への打電」1946年1月25日)


これらの経緯を踏まえて、あらためて「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という日本国憲法第一条の一文を読み返すならば、その本来の意味は、「天皇の地位は、国民の意思次第でどうにでもなる」という意味ではなく、「歴史を通じて天皇は日本国の象徴であり続けてきた。その天皇の地位に、小学生から老人にいたる、ありとあらゆる日本国民が心から納得しているのだ」という事実の表明であることがわかります。

日本国憲法第一条の前半が

「天皇はすべての国民を一つにまとめてきた」

と述べ、日本国憲法第一条の後半が

「すべての国民が天皇の地位を認めてきた」

と述べているとすると、これは「君臣一体」の国体思想を、国際社会が納得しうる表現で、言い直したものにすぎないことがわかります。

(出典: WJFプロジェクト「日本国憲法は、本当に『悪』か?」2015年3月25日)


また、仮に、「天皇の地位は、日本国民の意思次第でどうにでもなる」「日本国民が天皇は不要だと思うようになれば天皇制を廃止してよい」という意味が含意されているとしても、それならばなおさらのこと、今後、皇室を敬愛しないであろう移民や日本国籍を取得する外国人が増え、憲法改正の手続きが簡易化され、憲法改正が頻繁に行われるようになれば、天皇の地位は守られていくどころか、逆に脅かされることになります。

天皇の地位を、今後も頑なに守っていくためにも、日本国憲法は改正してはならないし、憲法改正を行おうとする政権を支持してはならないのです。

憲法改正については、下の記事もお読みください。

参考記事:
「言挙げせぬ国」の憲法論 (2015年5月26日)
憲法改正は間接支配の格好の道具となる (2015年5月26日)
憲法とは革命の産物である (2015年5月28日)
日本国憲法は、本当に「悪」か?(2015年3月25日)
*
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

No title

投票率も低いし自民党の改憲案もアベノミクスもTPPも移民も理解してない奴ばっかだし
日本人は洗脳された馬鹿ばかりということ

比例代表の当選ライン

今回はまだ開票途中なので何とも言えませんが、過去の事例から考えても、比例は比例で複雑なので、どうでしょうね。

比例代表|NHK 2016 参院選(参議院議員選挙 開票速報)
http://www3.nhk.or.jp/senkyo/?utm_int=detail_contents_news-link_002#!hsm

他にも思うことは多々ありますが、「WJFさんが特定の政党・政治家への投票を呼びかけてくれたら」と考えていらっしゃる方は、もう一度、まずは直近のこちらの記事を読んでみませんか?

最も日本人らしい投票の仕方
http://wjf-project.info/blog-entry-1263.html

(眠気で朦朧としているので文章がおかしかったらスミマセン。)

No title

>経済さえよければ、TPPや移民や憲法改正によって日本の国柄や農業や伝統が廃れようともどうでもよいとほとんどの国民が考えているからこそ、自民党が選挙の勝利するのだと思います。

経済を争点にする=自民に有利という方程式はマスコミによって刷り込まれたまやかしです。
自民の経済政策は穴だらけで見ていられるものではありません。それについてもっと広めることも必要だと思います。

何度も言いますが、私は憲法についての議論自体を否定するわけではありません。
憲法の議論がWJFさんの得意分野なのもわかります。しかし、様々な分野の議論で多くの人を巻き込むことこそが自民一強体制を崩すことに繋がると思います。

WJFさんは全国比例でどの政党に投票しましたでしょうか。私は国民怒りの声に投票しましたが、この投票行動が正しかったのか今でも自信がありません。

がんばる会社員さん

>憲法に関する議論は当然、重要争点の一つでしたが、これについては憲法改正の発議や国民投票までに我々の考えを浸透することができれば良いと考えます。
国会議員だけで法整備されてしまう経済や社会保障についての方が緊急の課題だったのでは、もっとそれらについて議論したいというのが私の感想です。


経済さえよければ、TPPや移民や憲法改正によって日本の国の形や国柄や農業や伝統がどうなろうとどうでもよいとほとんどの国民が考えているからこそ、自民党が選挙の勝利するのだと思います。

形あるものだけを追いかけ、自分の身に及ぶ半径数メートルのことにしか視線を向けず、歴史問題をつまらないと感じる国民の感性こそが、安倍政権を成立させています。

安倍政権は、現代に生きる日本人の上に下された一つの罰であり、身から出たさびであるとは言えないでしょうか。

No title

>憲法改正は今回の選挙の最大の争点の一つでした。

>その憲法に関する議論が、なぜ「歴史認識のつまらない言い争い」になるのでしょうか。

憲法に関する議論は当然、重要争点の一つでしたが、これについては憲法改正の発議や国民投票までに我々の考えを浸透することができれば良いと考えます。
国会議員だけで法整備されてしまう経済や社会保障についての方が緊急の課題だったのでは、もっとそれらについて議論したいというのが私の感想です。
決して憲法改正の議論について否定するわけではありませんし、「歴史認識のつまらない言い争い」という文言は過ぎた表現でした。撤回します。


>自民党を負かすためにどの党に投票すべきかは選挙区によって変わる話です。複数人区の選挙区もあれば、一人区の選挙区もあります。一人区の選挙区では、今回、野党は共闘を決めたので、立候補者のいない政党もあります。一概にどの政党に投票すべきか言うことはできません。

選挙区についてはWJFさんのおっしゃるとおりだと思います(私は選挙区では民進候補に入れました)。
しかし、参議院選挙は全国比例選挙もありました。私たちが団結すれば、場合によっては全国比例1議席くらいの影響力はあったのではないでしょうか。
私は全国比例で国民怒りの声に投票しましたが、WJFさんのブログを見ている人たちが団結できれば議席獲得もできたのではないかと思います。

がんばる会社員さん

>重要な問題は今そしてこれからをどう生きていくということだと思います。

私たちがこれからどう生きていくべきかということを明らかにするために、日本の過去の話をしています。

>歴史認識のつまらない言い争いに時間を割き、これからの話ができないところが保守の人たちの悪いところじゃないでしょうか。

憲法改正は今回の選挙の最大の争点の一つでした。

その憲法に関する議論が、なぜ「歴史認識のつまらない言い争い」になるのでしょうか。

また明治体制をどう評価するのかという問題は、安倍政権をどう評価するのかという問題とも密接なつながりをもっています。

>例えば、今回の選挙でどの政党に投票すればいいのかWJFさんは最後まで言及しませんでしたね。

自民党を負かすためにどの党に投票すべきかは選挙区によって変わる話です。複数人区の選挙区もあれば、一人区の選挙区もあります。一人区の選挙区では、今回、野党は共闘を決めたので、立候補者のいない政党もあります。一概にどの政党に投票すべきか言うことはできません。

No title

重要な問題は今そしてこれからをどう生きていくということだと思います。
歴史認識のつまらない言い争いに時間を割き、これからの話ができないところが保守の人たちの悪いところじゃないでしょうか。

例えば、今回の選挙でどの政党に投票すればいいのかWJFさんは最後まで言及しませんでしたね。
このブログを見て賛同している人は大変多くいるという感触がありますが、我々の投票先がバラけてしまったのではないかと憂慮しています。
喫緊の課題でもっと私たちが団結できれば、この安倍一強政治にひびを入れることができると今でも信じています。
頑張ってください。

No title

近代思想とは、かくもおそろしく脳髄そして全身に染み込むものかとおののくばかりですね。長さ的つまり歴史の蓄積の重さでいえば、縄文時代が「ほぼ全部」であって、そのあとはオマケとも言い得るくらいなのに・・・  それは、それで極端すぎるかな。

真正保守とはよ

>縄文時代の日本列島は、「日本」ではない。
>そこに住んでいた人々も「日本人」ではない。
>いちいち指摘するのも愚かしい。
>「日本」という国家意識、国民意識が高まっていったのは聖徳太子の頃に「日出づる処の天子」とか書いた頃辺りからであり、


日本が「国家」として正式にスタートしたのは、白鳳時代における律令制の導入からである。日本人は「国家」という概念を中国から輸入した。しかし、その根底には常に、 縄文時代にまでさかのぼる、自然に依拠した非国家的な文化が脈打っていた。それが根底の領域から浮上し、律令制を変質させていったのが、平安後期から中世や近世にかけての日本の歴史であった。

「歴史を形作る目に見えない力について」という記事のシリーズを参照せよ。

あなたは、日本という国家の根底にある非国家的な文明の存在を認識できないから、安易な明治体制の礼賛者となってしまう。明治体制もあなたと同様に、日本を西洋から導入された新しい国家概念の鋳型にはめこむために、縄文的、非国家的、地祇的な文化を否定し、抹殺しようとする傾向を抱えていたからだ。

>ちなみに、縄文時代の「日本」や「日本人」は共産主義的だったとしつこく繰り返すが、
>そんな超古代の話を持ち出したら、共産主義的でなかった国を探す方が難しい。


原始時代の人々の暮らしが原始共産主義的なのは、当たり前な話である。しかし、日本が独特なのは、原始共産主義的な縄文文明が、弥生時代以降も完全に払拭されることなく、現代に至るまで残存しているということである。縄文的なものと弥生的なもの、地祇的なものと天神的なものが他を排除しあうことなく一つに習合している、それが日本の独特の国柄である。

日本文明に対してこの程度の基本的な認識がもてないのであれば、あなたは日本について論じる資格はまったくないので、この議論はこれで終わりです。

あなたのために、新しく記事を書いてあげたので、これを読んで無知蒙昧を改めよ。

非国家の国家
http://wjf-project.info/blog-entry-1267.html

繰り返しになるが

縄文時代の日本列島は、「日本」ではない。
そこに住んでいた人々も「日本人」ではない。
いちいち指摘するのも愚かしい。
(例えば朝鮮半島南部に「任那日本府」が存在し、高句麗の公開土王と戦っていたように、日本と朝鮮半島との間には、その交流を隔てる「壁」など存在しなかった)

「日本」という国家意識、国民意識が高まっていったのは聖徳太子の頃に「日出づる処の天子」とか書いた頃辺りからであり、
それが一般的に敷衍したのは、遣唐使が「日本」という国号を名乗り、「天皇」という名前を名乗った頃辺りの頃ではないか。
(それでも一般庶民には無関係の話であったろうが)

そのような超古代の話を持ち出して構わないのであるなら、
プラトンの書いたユートピア話のアトランティス大陸の話をそっくりそのまま「歴史的事実である」としてしまったって良いではないか。
超古代に「原始共産主義」とも呼ばれ得る社会が存在したことは、マルクスやエンゲルスも認めている。
日本だけが特別、「共産主義的な特徴を示す文化を根底にもつ文明や社会である」などとは言えぬ。
あなたが好んで持ち出す「国体の本義」をひっくり返した、「日本特別論」「日本特殊論」に陥っているように見える。
あなたはこの手の「日本特別論」「日本特殊論」はお嫌いだったのではなかったのか?
それが、真っ逆様の、つまり左翼側からの「日本特殊論」であれば無条件で飛びつくと言うのでは、批判されて当然ではないか。

そして、こちらの質問に答えてもらっていないのだが、
果たして「日本国憲法無効論」にまつわる本を何冊読んだのか答えよ。
相手の主張も知らず、勝手な思いこみだけで語っているのか?

そして、左翼が虐殺を繰り返したという事実を指摘されれば「バカタレ」と言い放つ。
随分な礼儀作法ですな。
事実を事実のまま指摘されるとそんなに都合が悪いのか?

確かに、非左翼側も虐殺を行ったかも知れない。
が、  桁  が  ま  る  で  違  う。
そのくらいのことも判らないのだろうか?
非左翼側が数千万単位で虐殺を行ったことなど無いし、
ポル・ポト政権のように国民の三分の一を殺し尽くしたことも無い。

どちらの方が「バカタレ」の名に相応しいか?
数千万から億単位の大虐殺に走った左翼を擁護するあなたか、
左翼は無条件で悪、共産主義は無条件で悪で完全否定されなければならないとするこちらか?

ちなみに、縄文時代の「日本」や「日本人」は共産主義的だったとしつこく繰り返すが、
そんな超古代の話を持ち出したら、共産主義的でなかった国を探す方が難しい。
そして日本は、あなたのだ~い好きな戦後憲法によって「エコノミック・アニマル」と呼ばれるほどの経済大国&経済人間に成り果てたことも知っているであろう。
戦後憲法でも、縄文時代文化は全否定されているのだが、それに対する矛盾はなぜ無視するのか?

そして、現憲法では無視して顧みようとしない軍備の問題を、少なくとも大日本帝国憲法では顧みていたという事実をなぜ無視するのか?
(軍部大臣現役武官制という問題は有ったが、これは憲法の問題ではなく法律と二・二六事件という社会背景の問題である)

明らかに、あなたの目ん玉がねじ曲がっていることの証拠であろう。

真正保守とはよ

>一体、「左翼」が20世紀だけで何千万人を殺したか、判ってて書いてるのか?

共産主義もさんざん人を殺してきただろうが、人を殺してきたのは共産主義に留まらない。国家主義や資本主義もまた同様にたくさんの人を虐げ、そして殺してきた。

ここから分かることは、「○○主義」という特定の人為的なイデオロギーに傾斜することのおろかしさである。

私が言っているのは、共産「主義」の力を借りなくても、日本はもともと縄文文明という自然に合致し、共産主義的な特徴を示す文化を根底にもつ文明や社会であるということだ。

共産「主義」を嫌うあまり、日本の根底にある、縄文的な、共産的な、地祇的な、超国家的な野生の要素まで否定し、軽視し、排除してしまえば、日本の本質を構成する大切な要素を否定することになってしまう。

明治体制はまさにその愚行を犯した。

だからこそ、そんなものに日本の原型を求めて、復活させるような妄想におぼれることがあってはならない。

下のわかりやすい記事を読んでもあなたが理解できないなら、もうお話にならないので、この議論はこれで打ち切りです。

縄文人と共産主義
http://wjf-project.info/blog-entry-1266.html

左翼は無条件で悪だ!

一体、「左翼」が20世紀だけで何千万人を殺したか、判ってて書いてるのか?
スターリンは二千万人、毛沢東は五千万とか一億とか、東欧諸国やベトナム、カンボジアのポル・ポト政権、エチオピアのメンギスツ政権なども大虐殺を展開した。
これを見て「悪ではない」と感じるのであるならば、そいつは人間ではないと断言して良い。
人の皮をかむった鬼だ。
ヒトラーやムッソリーニも左翼だとするとなるとその虐殺数はもっと増える。

そして、共産主義国では例外なく王政・帝政廃止の憂き目に遭い、
皇帝や国王は虐殺か国外追放という酷い仕打ちを与えられている。
これでも「共産主義は反日思想ではない」と言い出すのか?

「愚者は体験に学ぶ。賢者は歴史に学ぶ」とビスマルクは言った。
どうやら、過去の共産主義国の歴史にこれっぽっちも学べない愚者としか言いようが無いようだな。

左翼は悪!
共産主義国は反日主義!
(そもそもあなたの挙げている過去の共産主義時代である「日本」とは、縄文時代とか未だ「日本」という国名を名乗っていない、日本人意識も無い時期ではないか。共産主義とは最終的には国籍意識すらも希薄にする物なのだ)

そんな左翼どもが心の拠り所にしている以上、「現憲法は滅ぼされなければならぬ」。

無効論は「頭の病気」と言い切る割には

ただの一冊も日本国憲法無効論にまつわる本を読んでいないのはどういう訳か?
まず、そこをお答え頂こう。
相手の主張が判らなければ、正しいか間違ってるか判定出来ないはずではないか。
読んだ上で、「やっぱり日本国憲法無効論は間違ってる」と言い出すならばまだ理解出来る。
しかし、あなたの書き込みを何度読み返しても、日本国憲法無効論にまつわる本を読んだという感じを受けない。
「読んだ」と言うのであれば、参考文献を何冊か挙げてみるが良い。
読んだのであれば、少なくとも「脳の病気」とかいう罵詈雑言は持ち出せないはずだからだ。
「脳の病気」どころか、日本国憲法無効論の方が論理的に正しく、現憲法有効論の方こそが擁護・弁護に追われなければならないはずだからだ。
戦時国際法に照らしても、
「戦勝国は敗戦国の憲法や法律を勝手にいじって構わない」
などとは一言も書いてないし、むしろ180度真逆のことが書いてある。
現憲法は戦時国際法違反の代物なのだ。
ポツダム宣言にもヤルタ密約にも、ヤルタ宣言にも、
「現憲法(大日本帝国憲法)や現行法は根本から作り替える」
などという条項は書いていない。
その部分も覆い隠している。

さて、やっと大日本帝国憲法の具体的条文を持ち出してきたので、法律談義に入れるのだが、

第1条:「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
(大日本帝国は万世一系の天皇がこれを統治す)

まるっきり無知なのをさらけ出している。
この条文、日本国憲法無効論の本を一冊でも読んだなら一般常識なのだが、
元々の条文としては、
「大日本帝国は万世一統の天皇之をしらす」
と井上毅の草案ではなっていた。
日本語では「しらす」と「うしはく」では意味が異なり、「しらす」とは単に統治権や統帥権を天皇が「包めて持っている」というだけの意味合いを持ち、
実際に行使するのは臣下である内閣や国会、軍などであるという意味が包含されていた。
大日本帝国憲法が「天皇親政」や「君主制」を指向していたなら、「うしはく」を用いていたはずであろう。
それを漢文調に伊藤博文が「統治す」と書き改めただけの話である。
こんなことは伊藤博文自身の著作「憲法義解」にも書いてあるし、大日本帝国憲法の成立物語を調べれば有名な話ではないか。

これ一つ見ても、まるっきり「日本国憲法無効論」の本を読んでないことが即座に判ってしまうのである。
批判するのは勝手だが、まずは相手の主張を読む方が先なのではないか?

第四条を持ち出すなど馬鹿馬鹿しい限りで、はっきりと、
「この憲法の条規に(天皇陛下も)従う」
と書いてあるではないか。
天皇より「上位」の存在が在って、内閣や国会、元老、軍部などの補佐が無ければ何一つ出来なかった大日本帝国憲法体制を取り上げて、
「天皇親政であった」と言う方が「頭がおかしい」「脳の病気」と言うべきではないのか。

で、今度は二・二六事件とかエチオピア戦争の時代背景を説明されたので、国体明澄発言を持ち出してきたようだが、
何度も言うが、それを発言したのは大日本帝国憲法の起草者の伊藤博文なのか?井上毅なのか?
大日本帝国憲法が、水か空気のように当たり前に存在するようになり、
小学校などでは奉安殿などで教育勅語や御真影を拝礼させられて随分と(一世代以上)時間的に経過してからの話ではないか。
大日本帝国憲法の「真意」を知るには、伊藤博文か井上毅などの起草者の意図を知らなければ話にならない。
後生の人間が何をほざこうが、それは「当初の意図」とは全く異なる物なのだ。

で、自分で線を引っ張っている部分を読んでみろ。
この大日本帝国憲法は、明治天皇が「皇祖・皇宗に誓う」という形で、わざわざ「告文」「憲法発布詔勅」をくっつけた上で発布された物ではないか。
これが「日本的ではない」「日本の歴史や伝統を踏まえていない」とはどういうことか?
いい加減にさっさとこちらの質問に答えてもらいたい。

ついでに、当たり前の話だが、大日本帝国憲法発布前の日本に大日本帝国憲法などは存在しなかった訳で、
もし明治天皇が「こんな憲法は嫌だ」「日本の歴史や伝統にそぐわない」などと思ったとしたら、拒否権を発動可能であった。
拒否せずに発布に同意した時点で、明治天皇も大日本帝国憲法に何の違和感も疑問も抱かなかった証拠ではないか。

で、のちに「赤狩り」でマッカーシーにしょっぴかれたり、
いわゆる「九条信者」の集会に引っ張りだこにされた、ロベスピエール&スターリン狂いのベアテ=シロタなんぞを賛美するようでは、全くお話にならない。

そもそもあなたが持ち上げるベアテ=シロタが書いたのは、
脳の構造の違いも身体の違いも無視した、くだらない「男女平等条項」を書いた第二十四条だけである。
残りの全103条の内、前文も含めた102条を書いたのはベアテではない。
ケーディス大佐を中心とした、完全なる共産主義者たちである。
(当然ながら、マッカーシーの赤狩りの際に片っ端からクビや左遷にされている)

マッカーシーの赤狩りが今や完全に「間違っていなかった」と立証されている今、
マッカーシーの赤狩りに捕まったような連中が作った憲法なんぞ、
「ただそれだけ」で問題が有りすぎるだろう。

そもそも、日本人には天皇陛下以外憲法を書く資格が有る人間が存在しない=つまり天皇陛下御自ら「憲法改正します」などと言ったら国事行為違反なので、事実上誰一人として日本人には書く資格を持つ人間は存在しないというのに、
16歳に離日した放浪外国人(デラシネ)の、おまけにただのタイピストで法律のド素人のベアテ=シロタなら「書く資格がある」などと書くのは矛盾していると自分で思わないのだろうか?

あらかじめ言っておくが、アメリカからの独立の為にもTPPには反対だし、安倍内閣にも自民党にも反対である。
だからこそ、「現憲法は改正されなければならぬ」。

反共という名の反日

>ちなみに、日本国憲法の男女平等条項を書いたベアテ=シロタ嬢や、責任者のケーディス大佐が「共産主義者」であるのはとっくに立証されており、

ならば、日本国憲法が、偶然にも日本の国柄に合致するものとなったのは、そのせいなのでしょう。

日本は、マルクスやレーニンという外国人のイデオロギーの力を借りずとも、共産主義以上に共産主義的な縄文文明を、その社会や文化の根底にもつからです。

日本に最近まで存在してきた村落共同体は、共産主義的な特徴をもつ縄文文明が日本に長く残存してきたことを示す何よりの証拠です。

左翼だから悪だとか、共産主義だから反日だといった、外国から借り受けた近代主義的な思い込みを、あなたがたはいつになったら脱却し、本来の日本人らしい感性と常識を取り戻すのでしょうか。

共産主義的なものを否定することは、日本文明の根底にある縄文的なものを否定することです。

とすれば、あまりに潔癖な反共や反左翼こそが、反日なのではないのですか?

何も物を知らぬちょこぼ氏よ

>ちょこぼ氏よ

なるほど。
日本人には歴史や伝統を深くわきまえておられる天皇陛下しか新憲法の起草者たる資格を持った人間は居ない、
=つまり自発的に天皇陛下が現憲法の下で「憲法を改正したい」などと仰せになるはずもないので「日本人の中には一人もそんな権利を持った人物は存在しない」ということになるが、
アメリカ人は、どんなに日本の歴史や伝統に無知で無理解で、共産主義者であると疑われていても、
「無条件で無茶苦茶な憲法をでっち上げる権利がある」
と言いたい訳か(苦笑)
言い換えれば、「天皇陛下よりも、アメリカ人の方が偉くて格上」と言っているのに等しいのだが、TPPなどに反対する割にそういう矛盾には気がつかないらしい。

ちなみに、日本国憲法の男女平等条項を書いたベアテ=シロタ嬢や、責任者のケーディス大佐が「共産主義者」であるのはとっくに立証されており、
マッカーシーの「赤狩り」で引っかかって公職追放に遭っていることも恐らく知らないのだろう。
日本国憲法の起草者たちの大半は、マッカーシーの赤狩りに引っかかるような名うての共産主義者ばかりであった。
たとえば、男女平等条項を思いついたベアテ=シロタ嬢などは次のように述べている。

「ワイマール憲法とジャコバン憲法、スターリン憲法を参考にした。特にスターリン憲法は私を夢中にさせた」

ギロチン狂のロベスピエールや虐殺狂のスターリンに心酔するような女性の書いた憲法が危なくないと思えるのだから、全く笑わせてくれる。

むしろ、日本国憲法のくだらなさを立証するよりも、
「日本国憲法の素晴らしさ」こそを立証する責任と義務が在るんじゃないのかな?

・元首が誰だか判らない
・なのに天皇条項について八条まで費やして書いてある
・国事行為以外の行動はしてはいけないと書いてあるのに、普通に「皇室外交」という物が行われている
・日本国を代表する国旗、国歌、国花の記載が無い
・憲法制定の経緯についての説明文が無い
・皇祖・皇宗に対する告文も無い
・九条を文字通り解釈したら、自衛隊すら憲法違反になってしまう
・当然、中国やロシア、北朝鮮、韓国などに領海・領空侵入されようとも撃墜や強制停止といった行為すら許されない
・男女は脳の構造から身体の構造まで全く異なるのに「男女平等」扱い

良いことが書いてあれば、どこのナニ人が書いた物でも良いと言うのであれば、
アメリカからの独立なんぞ百万年経っても不可能だわな。
というか、アメリカからの独立以前に、日本国が滅亡しとるわ!
第一、「日本の歴史や伝統を、古代史から現代まで俯瞰して書けるような人=つまりは天皇陛下しか新憲法起草の権利は無い」という言葉に矛盾しているのだが。
それとも、ちょこぼ氏の中では、日本人の書いた大日本帝国憲法よりも、
日本人差別主義者と共産主義者、戦勝国意識に凝り固まったケーディス大佐たち、アメリカ人の方が、
「日本の歴史や伝統を俯瞰して書けるような人」
だとでも言い出すのか(爆笑)

最後に、論語に書いてある孔子の言葉を引用しておく。

子路曰わく、衛の君、子を待ちて政を為さば、子将に奚をか先にせん。
子曰わく、必ずや名を正さんか。
子路が曰わく、是有るかな、子の迂なるや。奚ぞ其れ正さん。
子曰わく、野なるかな、由や。君子は其の知らざる所に於ては、蓋闕如たり。
名正しからざれば則ち言順わず、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中らず、刑罰中らざれば則ち民手足を措く所なし。
故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子、其の言に於て、苟もする所なきのみ。
(孔子の弟子、子路が質問した。「先生が衛の国の政治を率いるとすれば、まず何から手をつけますか?」
孔子は答える。「まずは名義、名前の定義付けからしっかりするだろう」。
子路「これだからウチの先生は迂遠なんだから……。何でそんな回りくどいことが必要なんです?」
孔子「ガサツだな、子路は。君子は自分の知らないことには口出ししない者だ。
もし名の秩序が正しくなければ、言葉の意味が混乱するではないか。
言葉の意味が混乱すれば、何事もできなくなってしまう。
何事もできないとなれば、礼儀や音楽といった文化が盛んになることも無い。
文化が盛んでなければ、刑罰をもって公正に人を裁くことができなくなる。
刑罰が公正でなければ、人々は安心して体を休めることもできなくなってしまうだろう。
だから君子は、正しい名をもって正しく話すのだ。
一度話したら必ず実行せねばならない。慎重に言葉を選び、軽々しい口を利いてはならんのだ。」)

安倍晋三もそうだが、自民党の問題は「名を正さない」という点にある。
その結果が、安保法案であり、自民党の憲法草案ではないか。
馬鹿馬鹿しいにも程があるツッコミはいい加減にしていただこう。

無効論について

あなたがた無効論者のみなさんが、どんなに

「大日本帝国は天皇主権をうたっていない」
「大日本帝国憲法は君主制を定めていない」


と唱えようとも、大日本帝国憲法には次のように書かれています。

第1条: 「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
(大日本帝国は万世一系の天皇がこれを統治す)

第4条:天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リテ之ヲ行フ
(天皇は国の元首にして統治権を総覧しこの憲法の条規によりてこれを行う)


そして、大日本帝国憲法に立脚する当時の日本政府の公式な見解も、「大日本帝国憲法は天皇主権を定めたもの」と解釈しています。

"恭しく惟みるに、我が國體は天孫降臨の際下し賜へる御神勅に依り昭示せらるる所にして、萬世一系の天皇國を統治し給ひ、寶祚の隆は天地と倶に窮なし。されば憲法發布の御上諭に『國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ』と宣ひ、憲法第一條には『大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス』と明示し給ふ。即ち大日本帝國統治の大權は儼として天皇に存すること明かなり。若し夫れ統治權が天皇に存せずして天皇は之を行使する爲の機關なりと爲すが如きは、是れ全く萬邦無比なる我が國體の本義を愆るものなり。近時憲法學説を繞り國體の本義に關聯して兎角の論議を見るに至れるは寔に遺憾に堪へず。政府は愈々國體の明徴に力を效し、其の精華を發揚せんことを期す。乃ち茲に意の在る所を述べて廣く各方面の協力を希望す。"

(出典 「第1次国体明徴声明」1935年, 昭和10年)


"天皇は統治権の主体であらせられるのであって、かの統治権の主体は国家であり、天皇はその機関に過ぎないという説の如きは、西洋国家学説の無批判的の踏襲という以外には何らの根拠はない。天皇は、外国の所謂元首・君主・主権者・統治権者たるに止まらせられるお方ではなく、現御神(あきつみかみ)として肇国以来の大義に随って、この国をしろしめし給うのであって、第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのは、これを昭示せられたものである。外国に於て見られるこれと類似の規定は、勿論かかる深い意義に基づくものではなくして、元首の地位を法規によって確保せんとするものに過ぎない。"

(出典: 文部省「国体の本義」1937年, 昭和12年)


明治維新を体験した世代がほとんど亡くなってしまったから、このような解釈が生まれたのだとおっしゃいますが、そもそも明治維新は「大政奉還」「王政復古の大号令」から始まっています。明治体制が、天皇が政治権力を武家政権から奪還した「王政復古」の時代であったというのは、明治体制下に生きた人々の共通の歴史認識であり、「国体明徴声明」や「国体の本義」が、その歴史認識から逸脱していたわけではありません。

その証拠に、明治維新直後から、天皇親政を行った後醍醐天皇や南朝の再評価が行われ、1869年に護良親王を祀る鎌倉宮が創立されたのを筆頭に、南朝関係者を祭神とする建武中興十五社が次々に建設されていきました。そして、明治天皇が、後醍醐天皇を祀る吉野神宮の創立を命じたのは、大日本帝国憲法が公布された1889年のことです。後醍醐天皇の親政を支えた楠木正成は、明治体制下で一貫して忠臣として讃えられ、日本人のあるべき姿として教育の場で繰り返し取り上げられていました。

仮に、大日本帝国憲法を書いた伊藤博文や井上毅が死んでしまったから、このような間違った解釈が生まれたというあなたの説を採るとするならば、伊藤博文や井上毅が生きていない今の日本に、まして、大日本帝国憲法を復活させてはならないということになります。大日本帝国憲法は、それ自体の中に、誤った解釈や国家の暴走を抑止する仕掛けが備わっていなかった欠陥を抱えた憲法であったということになるからです。

>出雲の大国主命ですら祀る神に入れるか入れないかで揉めた挙げ句、 結局、大国主命は祀らないと決まったというほどのグダグダな物だったのだ。

神道事務局祭神論争で、大国主を祀らないことを決めたのは明治天皇ご自身です。「決まった」のではなく、明治天皇がその大権によって「決めた」のです。伊勢神宮に八咫鏡を奉斎するのに先だって、大神神社における大国主の祭祀を確立した崇神天皇とは対照的に、地祇的なもの縄文的なものを軽視し、天神的な国家的原理に傾倒していくこの姿勢は、明治体制下に一貫して見られるものであり、大日本帝国憲法も、この時代風潮と無関係ではありません。

>日本人が「日本のために」書いた大日本帝国憲法と、 日本のことにまるっきり無知な上に、戦勝に驕っているアメリカ人が「劣った猿の弱体化の為に」書いた日本国憲法と、 果たしてどっちが「日本的」であるか?

大日本帝国憲法は本当に、「日本のため」に書かれたものでしょうか。大日本帝国憲法は、「日本のため」になる時代や体制を生み出すことに成功したでしょうか。

明治維新以前の1863年に、後に長州五傑と呼ばれた伊藤博文や井上馨らをイギリスに招いたのは、駐日イギリス領事であったエイベル・ガウワーや、ジャーディン・マセソン商会のウィリアム・ケズウィックです。彼らはイギリスの国益のために伊藤博文や井上馨らをその傀儡として育てました。

司馬遼太郎は、明治維新をヒロイックに描きましたが、実際には、長州藩や薩摩藩は、イギリスの傀儡に過ぎず、日清戦争や日露戦争は、日本人の血の代価を払って、イギリスの代理戦争を戦わされたにすぎませんでした。

このような話を「陰謀論」と笑うとしても、西洋化によって、日本の伝統的な姿が大きく歪められた明治体制下の日本が、日本にとって立ち返るべき理想や原型になりうるはずがありません。

また、天皇陛下ご自身は、上の記事の中でお言葉を引用したとおり、日本国憲法の方が、大日本帝国憲法よりも、日本的だとおっしゃっています。

"なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば,日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合,伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。"

(出典: 宮内庁「天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年)」2009年4月8日)


「海外に軍隊を送らない」「対外戦争を戦わない」という日本の伝統に即して見ても、平和主義をうたう日本国憲法は、日本の伝統的な国柄に深く合致しています。

参考記事:
「海外に軍隊を送らない」という日本の伝統
http://wjf-project.info/blog-entry-923.html


なぜアメリカ人がにわかに作った憲法が、偶然にも、日本の国柄に合致していたのか。その理由については、以前下のように記したことがあります。

"日本国憲法は、アメリカから与えられたもの、確かにその通りである。

しかし、そこにはある僥倖が働いたと言わざるを得ない。

禍転じて福となる、そんな奇跡が起きたのだ。

それは、英霊たちの執念がそうさせたのだと私は信じる。

「俺たちは、若くして散っていかなくてはならない。しかし、俺たちの代わりに、生きてくれ。そして、平和で豊かな国を再建してくれ」

そういう英霊たちの強い願いが、日本国憲法が生まれる過程の中に働いた。

日本国憲法を起草者の一人は、ウクライナ系ユダヤ人の音楽家の娘としてウィーンに生まれ、少女時代の10年間を日本で過ごしたアメリカ国籍の若き女性、ベアテ・シロタ・ゴードンだった。

ベアテは、5歳だった1929年の時に、父が東京音楽学校に赴任することになったため、一家で日本に渡り、15歳になった1939年まで日本で過ごした。日本での生活の中で、彼女は日本語も習得した。

16歳でアメリカに留学したベアテは、日本のことにまったく不理解なアメリカ人の級友に囲まれて、そこで自分が「愛国者の日本人」「半分以上日本人」となっていたことに気づいたという。

日米開戦前の1940年に休暇で日本に戻ってきたときには、ベアテは、「まさに自分の国への“帰国”だった」と感じたという。

1941年の日米開戦後も、ベアテの両親は日本に留まって音楽を教え続けたため、終戦まで、アメリカで勉学を続けたベアテとの連絡が完全に途絶えることになった。

21歳の1945年に、ベアテは、アメリカ国籍を取得。大学卒業後は、ニューヨークで、タイム紙のリサーチャー(記事の素材調査員)の仕事を得た。

1945年8月15日、終戦。

両親のいる日本への帰還を希望したベアテは、日本でできる職を探した。

当時、日本語を話せる白人はごくわずかしかいなかったため、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の民間人要員(リサーチャー)として採用され、1945年のクリスマスに厚木飛行場に到着した。

22歳でGHQ民政局に所属し、GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして、日本国憲法の草案の作成に携わった。

このように、日本国憲法の起草を外国人が行ったことは、まぎれもない事実である。

しかし、社会契約説に立つ人工国家、フランスやアメリカと異なり、伝統的に、憲法のような字句の上に国家を根拠付けようなどという発想をまったく持たない「言挙げせぬ国」の住人である我々日本人にとって、ベアテのような、少女時代の10年間を日本で過ごし「愛国的な日本人」を自認していた憲法の代筆者を得たことは、本当に、唾棄すべき不幸な出来事だっただろうか。

私は、まったくそうは思わない。

不幸中の幸い。

禍転じて福となる。

ベアテ・シロタ・ゴードンのように、子が親に寄せるような素朴な愛情を日本に寄せる憲法の代筆者を、いまでも、私たちは見つけることはできないだろう。

戦後日本の復興と平和と繁栄を願った英霊たちの執念のような思いが、そのような僥倖を引き起こさせたのだと私は信じる。

日本をより一層アメリカに組み込もうとしている、保守・愛国の皮を被った似非日本人たちに憲法をいじらせるぐらいなら、「愛国的日本人」ベアテが書いた日本国憲法を大切に保持していたほうがずっとましである。"

(出典: WJFプロジェクト「日本国憲法は英霊たちの贈り物」(2015年5月26日)
http://wjf-project.info/blog-entry-769.html

No title

>アメリカ人が一週間ででっち上げた現憲法なんぞ、滅ぼされるべきであると私は考える
誰が書こうが良い憲法を残すのは当たり前
しかも今の憲法のどこが駄目なのかが全く書かれていない
それとも売国自民党が書いた国民を縛る新憲法の方が良いとでも?

よりにもよって

「国体の本義」を持ち出すとは笑止千万。
何故なら、自分で「昭和12年」と書いている通り、
この頃の日本と言えば天皇機関説問題の三、四年後、
二・二六事件の一年後の世界ではないか。
少なくとも明治維新を肌身で体験した世代はほとんど亡くなり、
元老の西園寺公望が一人踏み留まっているような状態。
それでも西園寺の言葉すら人々に届かなくなり、日本が支那事変に突入して行くといった、そういう時期ではないか。
対外的な部分を見れば、ムッソリーニ=イタリアがエチオピア征服を成し遂げ、ヒトラー=ドイツは着々と軍事力を増強しており、日独伊三国防共協定が締結された頃。
(既に日独間には前年に日独防共協定が締結済)

そんな時代に出版されたパンフレットは、
「大日本帝国憲法を書いた伊藤博文や井上毅などの公式見解を代弁した物とは呼べない」
と考えるのが常識であろう。
むしろ、エチオピアを征服した「ローマ帝国の復興」を掲げるイタリアや、「ドイツ民族至上主義」を掲げるドイツに対抗する為に、
そして何よりも二・二六事件を引き起こす原因の一端となった天皇機関説論争に完全にケリを付ける為に「国家の都合で書き上げられた」と見なすべきであろう。
全くお話にならない。

大日本帝国憲法がもし本当に「天皇親政」で「君主制」の憲法であったのであるなら、
どうして平和を愛好される天皇陛下の大御心が通用せず、
また親米英で反ファシズム(反独伊)、反共産主義、反統制経済の天皇陛下の大御心が通用せず、
日本はあなたが自分で書いたように何度も戦争に巻き込まれたのか、
天皇陛下の御希望とは全く異なる方向に日本が作り替えられていったのか、
さっさと説明してもらいたい。

・廃仏毀釈という、中国の文化大革命にも似た、自国の歴史や文化に対する集団的な破壊行為。
・神社合祀という、縄文時代の祭祀に連なる名もなき古層の神々の否定と、鎮守の森の破壊。
・「八紘一宇」という、神武東征や四道将軍という日本建国神話の、アジア全域に対する拡大解釈。
・それまで対外戦争をめったに戦うことのなかった平和国家日本が、明治維新以降、頻繁に明け暮れるようになった対外戦争の数々

>これらの、逸脱行為は一切生じていなかったはずです。

全て「大日本帝国憲法」とは一切何の関係も無いではないか(苦笑)

まず幕末の廃仏運動の原因は、お寺が幕府行政の末端を担っていた(寺請制度)、
また仏教側がそれを良いことに腐敗していたことも知っておくべきではないか。
そもそも、この時、未だ大日本帝国憲法は存在していない!
存在していない大日本帝国憲法が、過去の出来事についてまで責任を負わねばならないのか?

二点目も大日本帝国憲法とは一切何の関係も無い。
確かに明治維新直後に神社神道を復古、もしくは宗教化させる為に色々手を突っ込んだ時期も存在したが、
その時には大日本帝国憲法は存在しないし、「名も無き古層の神々」どころか、出雲の大国主命ですら祀る神に入れるか入れないかで揉めた挙げ句、
結局、大国主命は祀らないと決まったというほどのグダグダな物だったのだ。
国学者や神道家に統一見解が在った訳ではないし、まして国家に統一見解が在った訳もなく、
結局出来上がった、いわゆる「国家神道」とは、「宗教ではない」と政府が公式見解を出してバチカンに説明するほど訳の判らん物に仕上がってしまったのだ。
(ちなみにバチカンはこの日本政府の説明に納得し、日本の信者に神社参拝を行えと命じている。未だに訂正していない)

また、植民地になりたくないのであれば経済力と軍事力を付けるというのがこの時代の話だ。
大日本帝国憲法に一切無関係に、鎮守の森の破壊やら、入会地の没収、または対外戦争などといった事態は起こっただろう。
日本が戦争をどんなに望まなくても、外国が戦争を望めば一発で戦争になるのだから。
そういう時代背景を忘れてもらっては困る。

そして「アジア全域」とやらへの拡大解釈を責めるが、
そもそも「アジア全域」とやらで、「独立」していたのは何カ国存在したのか言ってみろ。
タイは英仏の「緩衝地帯」としてお情けで生かされてたような物だし、
支那は事実上米英仏ソの属国同然だったし、
日本と満州国、トルコくらいではないか。
(世界の23カ国から承認されていた満州国の「独立」を認めないのであれば日本だけということになるし、トルコは歴史的にアジア志向よりもヨーロッパ志向が強いので「アジアの国」というイメージが薄い)

そして、アジアを征服していた米英仏蘭の諸国が、
こぞって日本に対して経済制裁を科していた事実についてはなにゆえ無視するのか?
日本が必要とする物資を平和的に供給してくれていたのであれば、
日本は何も戦争を起こす必要など無かったのだ。
それなのに欧米諸国は「黄禍論」などという自分たちで勝手に作り上げた幻影に恐れおののき、
「田中上奏文」などという、日本のことにまるっきり無知な外国人がでっち上げた偽書に踊らされて、
日本と日本人を徹底的に差別し、迫害し、加えて経済制裁まで科してきたのではないか。
その事実をなにゆえ無視するのか?
あまりにも卑怯すぎると言わざるを得ない。

結局、この帝国主義の時代においては、大日本帝国憲法であろうがなかろうが、
たとえ現憲法であったとしても、戦争は避けられなかっただろうし、
万が一避けられていたとしたら、日本は共産主義国家の仲間入りをしていただろう。
(こんな不備と欠陥だらけの憲法で、共産主義という思想の輸出攻勢に耐えられるはずがないし、直接、軍事的にソ連に征服された可能性すら在る。何せ、ソ連の目標は日本までの侵略完遂=ウラジ・オストク=東を征服せよであるのだから)

で、最後に確認なのだが、現憲法を書いたアメリカ人には、日本の歴史や伝統に対する深い造詣や思想が在り、それらを踏まえた上で今の憲法を書いたとでも言い出すのか?
そうではないのか、どっちか答えよ。
日本人が「日本のために」書いた大日本帝国憲法と、
日本のことにまるっきり無知な上に、戦勝に驕っているアメリカ人が「劣った猿の弱体化の為に」書いた日本国憲法と、
果たしてどっちが「日本的」であるか?
聞くまでも無い問いであろうが。

大カトーの逸話にならって、この論考を締めくくる。

「ともあれ、差別主義と戦勝国意識に凝り固まったアメリカ人が一週間ででっち上げた現憲法なんぞ、滅ぼされるべきであると私は考える」。

真正保守とはさん

「真正保守」を自称し、日本国憲法無効論を唱えるみなさんが、どんなに

「大日本帝国憲法は天皇主権ではない」
「大日本帝国憲法は君主制ではない」


とおっしゃっても、昭和12年に文部省が作成し発行したパンフレット「国体の本義」は、鎌倉時代から江戸時代までの武家政権の時代を、

「我が国体に反する政治の変態」
「且は我国体に戻り且は我祖宗の御制に背き奉り浅間しき次第」
「中世以降の如き失体」


と断じて全否定すると共に、

「延喜・天暦の聖代に倣つて世を古に復さんと志し給うたことは、種々の文献に於てうかゞふことが出来る。実に建武の中興は、遡つては大化の改新と相応じ、降つては明治維新を喚び起すところの聖業」

と述べて、大化の改新や律令制発足当時の日本、延喜・天暦の治、建武の新政といった、天皇が親政を行った(ように見える)時代を絶賛し、明治維新を、これらの時代に連なるものとして讃えています。

"源頼朝が、平家討減後、守護・地頭の設置を奏請して全国の土地管理を行ひ、政権を掌握して幕府政治を開いたことは、まことに我が国体に反する政治の変態であつた。それ故、明治天皇は、陸海軍軍人に下し賜へる勅諭に於て、幕府政治について「且は我国体に戻り且は我祖宗の御制に背き奉り浅間しき次第なりき」と仰せられ、更に「再中世以降の如き失体なからんことを望むなり」と御誡めになつてゐる。源氏の滅後、執権北条氏屡々天皇の命に従はず、義時に至つては益々不遜となつた。依つて後鳥羽上皇・土御門上皇・順徳上皇は、御親政の古に復さんとして北条氏討滅を企て給うた。これ、肇国の宏謨を継ぎ給ふ王政復古の大精神に出でさせられたのである。然るにこの間に於ける北条氏の悪逆は、まことに倶に天を戴くべからざるものであつた。併しながら三上皇の御精神は、遂に後宇多天皇より後醍醐天皇に至つて現れて建武中興の大業となつた。当時皇室に於かせられて、延喜・天暦の聖代に倣つて世を古に復さんと志し給うたことは、種々の文献に於てうかゞふことが出来る。実に建武の中興は、遡つては大化の改新と相応じ、降つては明治維新を喚び起すところの聖業であつて、これには天皇を始め奉り諸親王の御尽瘁と共に、幾多の忠臣の輔佐があつた。即ち忠臣には、北畠親房・日野資朝・日野俊基等を始め、新田義貞、楠木正成等があつて、回天の偉業が成就せられた。わけても楠木正戌の功業は、永く後人の亀鑑となつてゐる。太平記には「主上御簾を高く捲かせて、正成を近く召され、大義早速の功、偏に汝が忠戦にありと感じ仰せられければ」、正成畏まつて「是君の聖文神武の徳に依らずんば、微臣争か尺寸の謀を以て強敵の囲を出づべく候乎」と奉答したと見えてゐる。まことにこれ、忠臣の精神と事業とが我を没して、天皇の大御心、肇国の大精神を奉体し、そこより出づる純粋精神・純粋行なることを示すものである。かの湊川神社に於ける墓碑に「嗚呼忠臣楠子之墓」とあるのは、この楠木氏の精忠を永く後世に伝へるものである。以上の如き建武中興の大業も、政権の争奪をこととして大義を滅却した足利尊氏によつて覆へされた。即ち足利尊氏の大逆無道は、国体を弁へず、私利を貪る徒を使嗾して、この大業を中絶せしめた。かくて天皇が政治上諸般の改革に進み給ひ、肇国の精神を宣揚せんとし給うた中興の御事業は、再び暗雲の中に鎖されるに至つた。"

(出典: 文部省「国体の本義」 http://www.j-texts.com/showa/kokutaiah.html)

しかし、「権力」と「権威」が一体化せずに並び立つ二元性こそに、また、天皇が政治を執らず、「政治」という表舞台の背後にある「後戸の空間」に控えることに、日本や天皇の本来性があるならば、平安時代のほとんどの時代、鎌倉時代から江戸時代にかけての日本の中世や近世の時代、また現在の象徴天皇制は、あるべからざる「我が国体に反する政治の変態」であるどころか、むしろ、そこにおいて、本来あるべき日本の姿が現れていたとは言えないでしょうか。

律令体制下の日本も,明治体制下の日本も、「縄文から現代に至る日本人の歴史的歩みの全体」の一部として欠くべからざるものではありますが、「我が国体に反する政治の変態」という言い方が可能ならば、皇帝が絶対的な権力をもって一元的に国家を統治した中国で作られた律令制を導入した直後の日本や、プロイセン憲法や西洋の君主制をまねて作られた大日本帝国憲法下の明治体制こそが、「我が国体に反する政治の変態」であり、日本の本来性に背く、大きな逸脱が含まれていたと思います。

大日本帝国憲法が本当に、日本のあるべき本来の姿を記しているものであったのならば、明治体制下で

・廃仏毀釈という、中国の文化大革命にも似た、自国の歴史や文化に対する集団的な破壊行為。
・神社合祀という、縄文時代の祭祀に連なる名もなき古層の神々の否定と、鎮守の森の破壊。
・「八紘一宇」という、神武東征や四道将軍という日本建国神話の、アジア全域に対する拡大解釈。
・それまで対外戦争をめったに戦うことのなかった平和国家日本が、明治維新以降、頻繁に明け暮れるようになった対外戦争の数々

これらの、逸脱行為は一切生じていなかったはずです。

明治体制を安易に理想化し、それを復古させようとするのではなく、保守的な観点から、また「縄文から現代に至る日本人の歴史的あゆみの全体」という全体的な視点から、この特殊な時代を、全否定したり排除したりことなく大らかに包摂すると同時に、総括していく姿勢が必要です。

「国体の本義」のように、大化の改新や、延喜・天暦の治や、建武の新政や、明治体制という特定の時代を、日本の歴史の全体の中から切り出して、それらを理想化するのではなく、歴史の全体を俯瞰し、より深いところに、日本の本来性をもとめる姿勢が大切であると思います。

そのような姿勢こそが「真正保守」と呼ばれるべきです。

大日本帝国憲法が天皇親政だの君主制だのとは笑止千万

大日本帝国憲法が「天皇親政」だとか、「君主制」の憲法だとか、
明らかにあなたが、大日本帝国憲法を読んだことが無いのが判る。

第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
(=この憲法に従わない限り、たとえ天皇陛下の御命令であっても無効である)

第5条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
(帝国議会の協賛が無ければ、立法権の行使も不可能である)

第6条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
(天皇陛下は内閣が上奏してきた法案を「裁可」することしか出来ない=御自分の意思などを直接ぶつけることはほとんど不可能であった)

第8条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
2 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
(議会閉会中に突発事故が起きた場合は勅令によって議会の代わりを代行するが、この勅令は次の議会において審査される上、もし否決された場合はその効力を失う)

第9条 天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス
(読んで字の如し。たとえ天皇陛下の御命令であろうとも、命令だけで法律を変えることなどできない。内閣や議会の支持、協賛が無ければ不可能である)

第10条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル
(たとえ天皇陛下であろうとも憲法や法律の「下位」に在る=絶対王政や天皇親政の完全否定)

実際、憲法の条文だけに限らず、歴史上の事実においても「憲政の常道」という形で天皇陛下が直接政治に口出しするようなことなど二度の例外を除いて無かった。

一、二・二六事件の時
この時は首相と副首相(大蔵大臣の高橋是清)が死亡したと思われていた混乱状態であり、
カリスマ性を持つ指導者が必要不可欠であった。
(のちに首相は生きていることが判明し、以後は首相と陸相の指導によって=天皇陛下は黙って手を引いて反乱は鎮圧されている)

二、終戦の「御聖断」の時
この時は終戦派と継戦派で激論が絶えず、首相にも決められなくてサジを投げられたので天皇陛下が「御聖断」を下された。
(つまり、首相が責任放棄したから天皇陛下が尻拭いをさせられただけ)

要するに、大日本帝国憲法の統治下に在っても、日本が天皇親政国家に変貌したことなど一度も無い。
日本国憲法の善し悪しについて語るよりも、
または日本国憲法と大日本帝国憲法の比較について語るよりも、
まずは大日本帝国憲法それ自体について調べ直すのが正しいのじゃないのかな?

なお、天皇陛下御自身の御言葉を持ち出して自分の言葉の補強としているが、
大日本帝国憲法の制作者である伊藤博文や井上毅などが、
果たして「日本や皇室の歴史や伝統をわきまえないで憲法を書いた」とでも言い出すつもりか?
少なくとも、現憲法を作った、日本の歴史に全く無知、無理解、無関心の非日本人であるアメリカ人なんぞよりは、
日本の歴史、皇室の伝統などを踏まえた上で憲法を書いたと考えるのが自然であろう。

そもそも言うも愚かしいのだが、憲法自体に「告文」や「憲法発布勅語」が付随しており、
そこにて何度も「皇祖」「皇宗」「祖宗」への呼びかけが書いてある憲法を捕えて、
「この憲法は日本的ではない」
「日本の歴史や伝統に合致していない」
などと何の資格が有って決めつけることが出来るのか?
是非納得の行く説明を願いたい。

象徴は皇室存続の知恵

これ、日本語訳が不適切ですね。
「基づく」⇒変更できる定義である、というニュアンスが生まれてしまう。
戦後だったので、サヨクが納得するような民主的な表現を選んだのでしょう。

英文では deriveng his position 〜 とありますので
「(国民の総意)を源とする」が正しいです。
源とする…つまり、ブログ主様の仰る
「歴史的に、このようなものである、という事実の表明」
ですね。

皇室に手をかける政治家の末路は寂しい。
安倍を許さない。
WJFプロジェクトについて
ご寄付のお願い
作品リスト
政治的立場
WJFプロジェクトは、日本の主権、伝統、国柄を守る保守的な観点から、安倍政権が推し進めるTPP参加、構造改革、規制緩和、憲法改正、安保法制、移民受入などのグローバル化政策に反対しています。
TPP交渉差止・違憲訴訟の会
YouTube
WJFプロジェクトの動画作品は以下のYouTubeのチャンネルでご覧になれます。

お知らせ
アクセス・カウンター


今日の一言
蓮舫の二重国籍問題のジレンマ

違う入り口を選んだハズなのに、ドアを開けると、同じ出口につながっている。
最新記事
コメント
<>+-
アーカイブ


RSSリンク
RSSリーダーに下のリンクを登録されると、ブログの記事やコメントの更新通知を受け取ることができます。