中沢新一と南方熊楠(3)

なぜ都人らは熊野を目指したのか。
1990年台の半ば、オウム真理教が地下鉄サリン事件を引き起こした際、中沢新一氏は、マスコミから激しいバッシングを浴びました。

オウム真理教の信者らが、中沢新一氏と、中沢氏の師であるチベット仏教の僧侶ケツン・サンポ師との共著、『虹の階梯 - チベット密教の瞑想修行』を聖典のように取り扱っていたこと。中沢新一氏側も、事件以前に、オウム真理教を評価する発言を行ったことがあったためでした。

当然のことながら、犯罪に手を染めるカルト宗教を肯定することはあってはならず、オウム真理教の反社会性を見抜けなかったことは、中沢氏の若気の至りであったと言えるでしょう。

しかし、私たちが注意深くあらねばならぬことは、オウム真理教のような反社会的なカルト宗教を否定する余り、勢い余って、宗教が一般的にもっている、現実の社会や文明を相対化する視座全般を否定することがあってはならないということだと思います。

犯罪行為に手を染めたオウム真理教の信徒たちは、確かに大きく道を踏み外しましたが、彼らが、バブル時代や、バブル時代の熱狂からまだ十分に冷め切っていなかった90年代の日本社会に向けた懐疑のまなざしが的外れであったと、私たちは言い切ることができるでしょうか。

オウム真理教の信者たちはテロリズムによって時代に対して異議申し立てを行いましたが、彼らがそのような事件を起こさなくとも、虚妄の時代は、その後二十年かけて、自らがらがらと音を立てて崩れ去っていきました。

オウム真理教の信者たちが、時代に疑いの目を向け、チベット仏教を通して、ある「根源への遡行」を試みた点はよいとしても、彼らの過ちと不幸は、根源の側から現実の社会に回帰する道筋が完全に断たれており、そのため、彼らが根源の世界で見たものを、現実社会の中で生産的な仕方で表現することができなかった点にありました。

現実社会を否定して根源的な別世界にいったきりになってしまっても、また逆に、宗教的なものを全否定して、現実社会のみに留まっても、世界や人間が本来抱えている「全体性」は大きく損なわれてしまいます。

宗教と現実が二つに分裂していく近代に特徴的なこの事態は、熊野詣に代表されるような日本人の伝統的なあり方と大きく異なっています。

熊野詣は、二つの運動からなる。

一つは、京都という「文明」の中心地から、熊野という「自然」の聖地に向かおうとする求心運動であり、

もう一つは、熊野という「自然」の聖地から、再び、京都という「文明」世界に戻ろうとする遠心運動である。

平安末期という、古代から中世へと移行する時代の転換点において、人々は、「文明」と「自然」の間の、遠心方向と求心方向の小刻みな往還運動を繰り返した。

その往還運動の中から、「自然」を背景にした新しい権力が立ち上がり、政治を再定義し、時代を更新するという出来事が生じた。

(出典: WJFプロジェクト「向心力と遠心力(2)」2016年06月08日 )


「自然」に根ざす目に見えない根源的な世界と、「文明」が追求する目に見える現実の世界。

この二つの世界を一つにつないで初めて、世界は「全体性」をもって姿を現し、人間は全人的に生きられるようになり、日本文明はその本来あるべき姿を取り戻し、我々は近代の病理から脱却することができる。

中沢新一氏が様々な作品の中で執拗に繰り返すこのテーゼは、オウム真理教の事件に関する氏の個人的な反省がどこかで反映されているのかもしれませんが、決して中沢氏のセンチメントに基づく個人的な着想ではなく、南方熊楠が生涯を通して追求した生き方でもあり、また、中沢新一や南方熊楠という個を超えて、日本人の過去の歩みの全体が明瞭に示している形でもあります。

この観点から、熊野詣という歴史的事象を改めて振り返るとき、その意義がくっきりとうかびあがってきます。

後鳥羽上皇の1201年の熊野詣に随行した藤原定家の『熊野御幸記』によれば、熊野詣は、京都から熊野まで往復するのに三週間を要する過酷な旅でした。

なぜ、平安後期以降、都人らはこぞって熊野に向かったのか。

自然なら平安京の周辺にふんだんにあったではないか。

なぜそれは、貴船や鞍馬や高雄や比叡山や、奈良や吉野や伊勢ではなく、熊野でなければならなかったのか。
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