中沢新一と南方熊楠(1)

断片ではなく、世界の全体性を見る。
私は、中沢新一という宗教学者に少なからぬ影響を受けていることを、最近になって深く自覚するようになりました。

とはいっても、この方の言葉をオウム返しにしているというのではなく、自分が述べていたことと同じ趣旨のことを、この方が他の場所で述べていることに後から気づいたり、自分がぼんやりと考えていたことを、より的確な文章で記しているのを読んで、共感を深めたりすることが多々あるという意味です。

一つの例として、本日初めて拝見した下の動画で、中沢氏は、私が「向心力と遠心力(3)」という記事で述べようとしたことと、同じ趣旨のことを述べています。
人によっては五十年、百年先から今の日本を見たときに、ここで何か大きい変化が起こったとみるだろうと思うかも知れないけれど、五年、十年で見えてくるものがあって、日本の歴史がぼきっと折れたんですよ。太平洋戦争の敗北で折れなかったもの、別の形で発展を遂げていったものが、今度はぼきっと折れて、そこからどっちに芽が出ていくかという重要な分岐点に今来ちゃってるんですね。今まで通りのラインで行きましょうという人たちが、やっぱりこれからしばらくするとわーと発言をしてくると思うんですね。原発が危ない危ないというけれど、原発をなくしてしまったら、日本のエネルギー自給率は大変低いし、30%を原子力が占めているんだから、産業全体が沈滞していって、日本は縮小していって、そんなことはできないと。これは、原発推進をずっとやってきた産業界自体の考え方でもあるだろうし、そういう人たちが、これからも同じラインで行こう、行けば日本はまた復興するぞということを言うと思うんです。しかし、それは不可能なんです、もう。 (中略) もうしばらくすると分かってくると思うんですね。いままで通りには行かないんですよ。日本が今までみたいに豊かで、割合脳天気でいられなくなるんです。いままでのようにはいかなくなる。中国に対しても、アメリカに対しても、国際的なポジションにおいても、今までとは違うものがこれから始まるといことを覚悟しなくてはならない。そのとき、これから、どういうふうな日本人が生きていく道をとっていかなきゃいけないかということを、今一生懸命さぐっておかないと、またあんな不幸なことがあったけど、日本は復興しちゃいますよ、ということをやると、今度こそ日本は根こそぎやられていってしまうと思いますね。今起きていることはどういうことなのかということを文明史的にかなり大きな射程で見ていかなきゃならないと思うんですね。


中沢氏は、敗戦でも途絶えることのなかった一つの大きな文明史的な時代の区分が、2011年の福島第一原発の事故を受けて途絶えた。そのことに日本人が気づかずに、根本的な価値観の転換を避けて、従来と同じ道を歩き続けようとすると大変な荒廃が待ち受けているという趣旨のことを述べています。

中沢新一氏のこの指摘を踏まえて、三橋貴明や藤井聡らの言説を見るとき、彼らが、「またあんな不幸なことがあったけど、日本は復興しちゃいますよ」「今まで通りのラインで行きましょう」というタイプの言論を展開し、従来と変わらない戦後の自民党政治の枠組みの中に人々を留め置こうとしていることが、くっきりと見えてきます。

また、私は、2014年に初めての熊野詣を行った頃から、このブログで、「政治」と「非政治」というを言葉をさかんに使うようになりましたが、先日、若冲展を見にいった際に、雨の中で三時間列に並びながら読んでいた、中沢新一氏の『精霊の王』という本の中に似たような言葉を発見して大変驚きました。

そこで彼(田邊元)は自ら進んで、寂光を放つ西田哲学の後戸の場所に立て籠もったのである。そこで彼は激しい思考の舞踏をもって、その後戸の場所を振動させようと試みた。コーラ(場所)的な思考に静態への傾きを持ち込みかねない「絶対矛盾的自己同一」ではなく、あらゆるレベルで有と無がめまぐるしい転換を繰り返す「絶対転換」をもって、後戸の空間の原理とするのだ。自分の立っている空間の前では、光満ちるお堂の中で、すべてを包摂する哲学の真理が語り出されている。しかし、薄暗い後戸の空間に依拠する自分は、そこで思考の鈴を激しく振動させながら、むしろ哲学ならぬ「非哲学」を語り続けよう。ここは一体コーラなのか。そうでもあり、そうでもないような気もする。しかし、この後戸の場所が一つの普遍に通じていることだけは、間違いあるまい。

興味深いことに、近代に誕生した「日本哲学」は、生まれてまもない頃に、すでに芸術や宗教の領域で実現されてきたあの二重構造をとることになったのである。前面には「正しさ」や「威力」や「真理」を体現する者たちが、寂光の中に立つ。ところがその背後には、後戸とも呼ばれる空間がそなえつけられて、そこで質料をそなえた身体と思考が、有と無がめまぐるしい勢いで転換を興しながら、激しい振動を発するのだ。

田邊元の哲学的思考がそこで「後戸の芸能」ならぬ「後戸の哲学」としての実践をおこなった。真理を語るのが哲学であるとすれば、「後戸の哲学」はもはやできあがった真理を語るのではなく、真理そのものが生まれ出てくる前哲学的な空間を、実践的につくりだそうとするという意味で、一つの「非哲学」であると言うことができるだろうが、それこそ、これまでの哲学者は世界をただ解釈してきただけであるが、我々は世界を変える実践を行うのであると言ったマルクスの「非哲学」に、これはつながっていく思考である。

田邊元は哲学における猿楽の、みごとな演者であったのかも知れない。その思考は偉大な西田幾多郎の哲学思考をミミックしながら、それを別のものに変容させてしまおうとしたからだ。もしも田邊哲学に守護神などというものがいるとしたら、それは間違いなく宿神であろう。

(出典: 中沢新一『精霊の王』)


うっとりするような見事な文章ですが、私が「政治」と「非政治」という言葉で言おうとしてきたことは、中沢新一氏の的確な文章を拝借すれば、まさに、

政策を語るのが政治であるとすれば、「後戸の政治」はもはやできあがった政策を語るのではなく、政策そのものが生まれ出てくる前政治的な空間を、実践的につくりだそうとするという意味で、一つの「非政治」であると言うことができるだろう


という意味であり、

すでに芸術や宗教の領域で実現されてきたあの二重構造


という、ものごとを成り立たせる日本の伝統的な構造を踏襲しながら、全体的な視野の中で、政治の問題を根本から考えたいという意味でした。

もちろん、このようなシンクロが起きるのは、私が過去に読んだことのある中沢氏の作品が、私の無意識に働きかけているからに違いないのですが、それだけではなく、中沢氏の言葉を借りるならば、

人は自分の思考法の中に潜在している構造と同じ形をした思考に出会うと、すぐさまそれを自分のものとして認める傾向がある。

(出典: 中沢新一『精霊の王』)


ことも無視できない要因としてあげることができるのではないかと思います。

熊野という、日本の歴史にとっての、まさに「後戸の空間」を訪れたときに、「非政治」の力が「政治」に及ぼす圧倒的な力を、私はこの身にひしひしと感じないわけにはいきませんでした。そこで自分の身体を通じて感じ取ったことを率直に言葉にしたとき、それが、たまたま、中沢新一氏が述べていたことと重なったのだと思います。

中沢新一氏の文章は時に難解ですが、突き詰めれば、この方は、ある一つのシンプルなことがらを繰り返し述べていることに気づきます。

それは、

目に見えるものごとの背後には、そのものごとをあらしめている、「後戸の空間」とも呼ぶべき、目に見えない深層の領域がある。

その深層の領域は、縄文時代のような太古の歴史や、私たちの無意識につながっている。

だから、前面に形となって現れている目に見えるものごとと、その背後にある目に見えない領域という二つのものを俯瞰してはじめて、私たちは、世界の全体性を正しく把握することのなるのだ。


という考えです。

おそらく、この発想にも私は深い影響を受けており、「縄文から現代に至る日本人の歴史的あゆみの全体」といった表現の中にそのことは現れています。

ちなみに、中沢新一氏は、このような考え方を、南方熊楠から受け取ったと語っています。(この点については次回詳しく取り上げます。)

最近、中沢氏は、南方熊楠の思想を紹介してきた功績や人文学における幅広い業績を称えられて、和歌山県田辺市にある南方熊楠邸に隣接して設けられている南方熊楠顕彰館から、第26回南方熊楠賞を受賞されました。


南方熊楠邸


南方熊楠顕彰館

第26回南方熊楠賞【人文の部】選考報告

第26回南方熊楠賞人文の部は、候補者としてあげられた6名の中から慎重に審議した結果、南方熊楠賞の受賞者に中沢新一氏を選考した。

第26回南方熊楠賞選考委員会は、幅広い分野で活躍を続ける中沢新一氏を選んだ。中沢氏は、1950年に山梨県で生まれ、東京大学文学部宗教学科を卒業。その後、東京大学大学院人文科学研究科宗教学の修士課程・博士課程へと進んだ。中央大学教授、多摩美術大学教授を経て、現在は明治大学教授・野生の科学研究所所長に着任し、活動を続けている。

中沢氏は、著作『チベットのモーツァルト』(せりか書房、1983年)を発表して、1980年代にはニューアカデミズムの若き旗手として一世を風靡するとともに、宗教学という分野を世に知らしめる役割を果たしたと言える。『森のバロック』(せりか書房、1992年)で南方熊楠について語り、『フィロソフィア・ヤポニカ』(集英社、2001年)では西田幾多郎・田辺元を語るなど、日本特有の思想・哲学についても深く探求した事績をもつ。さらに、『カイエ・ソバージュ』(Ⅰ~Ⅴ、講談社選書メチエ、2002年~ 2004年)の一連の著作では、人類規模の巨視的で独創的な思想を展開し、高い評価を得た。その一方で、ジュリア・クリスティバやクロード・レヴィ=ストロースなどの著作を翻訳し、国内の思想研究にも大きく寄与している。

宗教学を足掛かりとして、人類学や民俗学のフィールドにも歩みを進め、現在は対称性人類学と呼称される領域を提示しており、従来の学問の枠組みにとらわれない研究成果を実現している。特に、独自のアート感覚あふれるフィールドワークの手法を用いる「アースダイバー」は、注目すべき取り組みである。中沢氏は、『アースダイバー』(講談社、2005年)、『大阪アースダイバー』(講談社、2012年)を世に出しており、現在は『週刊現代』にて「アースダイバー 神社編」を連載中である。「神社編」では、諏訪大社の深層や対馬神道へと迫る考察を続けており、平成28年からは倭人系海人への言及が始まった。思想アートとでも評すべきこの取り組みは、現代人にとって新しい知見と感性を切り開く可能性をもっていると思われる。

中沢氏の独創性とトリックスター的な役割は、人文学のみならず、多くの分野に影響を与えた。中でも今回は「アースダイバー」に関する一連の研究が受賞の大きな要因となった。また、選考会においては、民俗学の本質についても的確に把握している姿勢を評価する意見も出た。

中沢氏は、『チベットのモーツァルト』でサントリー学芸賞、『森のバロック』で読売文学賞、『哲学の東北』で斎藤緑雨賞、『フィロソフィア・ヤポニカ』で伊藤整文学賞、『対称性人類学』で小林秀雄賞、『アースダイバー』で桑原武夫学芸賞と、数多くの受賞歴がある。しかし、今回の南方熊楠賞の受賞は、各別の思いがあるのではないかと推察する。中沢氏は以前から熊野に対して深い敬意をもって発言を繰り返しており、南方熊楠への憧憬も吐露している。そのためか、今回は選考委員の意見がまとまるのも早かった。

以上により、同氏を第26回南方熊楠賞受賞者に選考した。

(出典: 南方熊楠顕彰館)


中沢新一氏にふさわしい受賞でした。

この受賞の知らせを受けて、中沢新一氏は次のような謝辞を田辺市に送りました。

「南方熊楠」という名前を初めて知ったのは中学生の時でした。父親の書庫で中山太郎の『学界の偉人 南方熊楠』という本を読んで、私は驚愕しました。『ほら吹き男爵の冒険』のような(この本は少年時代の私の愛読書でした)痛快な冒険譚もさることながら、日本男児が徒手空拳、当時の世界最高の知性界を向こうに回して一歩も引くことなく、高級きわまりない知的遊戯で圧倒しさっていく、その颯爽たる勇姿に、少年の私はすっかり心を奪われたのです。こんな日本人がいたのだ。こんな人に自分もなりたい。

それ以来、南方熊楠は私の最高のヒーローとなりました。私が人類学を学び、神話の研究に打ち込んだのは、南方熊楠の『十二支考』や『燕石考』を読んで感動したからです。私が生物学を学ぼうとしたのも、南方熊楠が偉大な粘菌学者であったからです。私がチベットにまででかけて仏教を学んだのは、南方熊楠が自分もそうしてみたいと書いていたからです。私が西洋の学問を盲信しなかったのは、南方熊楠の精神に忠実であろうとしたからです。

そういう私ですから、自分に南方熊楠の名前を冠した賞が与えられると知った時の喜びは、筆舌に尽くせないものでした。

(出典:中沢新一『熊楠の星の時間』あとがき)


中沢新一氏に興味のある方は、中沢新一語録という非公式のツイッターを御覧下さい。魂を揺さぶられる、深い洞察に満ちた言葉の数々に触れることができます。

(続く)
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