向心力と遠心力(3)
遠心的な時代、向心的な時代。
「遠心」とは、中心や原点から遠ざかること。
「向心」とは、中心や原点に近づくことです。
自然の中から立ち上がり、文明を形作ってきた人類の歴史は、おおむね、文明の進展を目指して、自然という原点から遠ざかろうとする「遠心」方向の運動として捉えることができます。
日本の歴史も、全体を概観すれば、世界史の例にもれず「遠心」方向の発展を遂げてきたと言えるのですが、日本の歴史が独特なのは、「遠心」運動という世界史の一般的な流れに逆行するような、「向心」的な時代を経た経験をもつ点にあります。
日本における「向心」的時代というのは、熊野詣が盛んになった平安末期から、講と呼ばれた結社を通して、修験道に代表されるような自然への尊崇の姿勢が民衆の間にきめ細かく拡がっていった江戸時代にかけての、中世や近世という時代区分がそれに当てはまります。
平安末期に皇族や庶民の間に流行した熊野詣は、自然という原点回帰の端緒を開いた出来事ですから、「向心」的時代を、「熊野」的時代と呼ぶこともできるかもしれませんし、当ブログで繰り返し用いてきた言葉を使うならば、「地祇」的な時代と呼ぶことも可能です。
神仏分離令を出し修験道を禁じた明治維新以降、日本は、「文明開化」というスローガンの下、自然という原点に背を向けて文明の発展を追求する、「遠心」的な時代に突入し、西洋の列強と覇を競うようになりました。
自然に背を向けた、この「遠心」的な時代にあっても、南方熊楠のような熊野の本質を体現したかのような「向心」的人物が現れて、「遠心」方向への驀進を続ける時代の趨勢に警鐘をならしましたが、日清戦争や日露戦争や第一次世界大戦での勝利は、日本人に「自分たちは正しい道を歩いているのだ」という自信を与えました。
文明と文明とが覇を競う戦争という「遠心」的な時代のただ中で、「怨親平等」「自他平等」という言葉を掲げて興亜観音を建立した松井石根陸軍大将も、南方熊楠と同様、反時代的な、原点回帰の姿勢をもった「向心」的な人物であったと考えられます。
そして、文明の極致が生み出した原子爆弾が日本の上に落とされ、日本人がアメリカ文明の前に膝を屈し、第二次世界大戦に敗れても、平安末期に起きたような、自然という原点に回帰しようという「遠心」から「向心」への劇的な方向転換は、日本人の中には起こりませんでした。
それどころか、戦後の日本人は、アメリカ文明を諸手を開いて受け入れ、「アメリカ(文明)に追いつき、追い越せ」と呼びかけ合って、明治維新から始まった「遠心」的な時代の延長線上を従来にも増して熱心に走り続け、やがて手にした高度経済成長という戦後の成功体験は、日本人に、再び、「自分たちは正しい道を歩いているのだ」という自信を与えました。
しかし、「遠心」的な時代の延長線上に最終的に待ち受けていたのは、「文明」の進展によって日本人が豊かになる社会の到来ではなく、原発という、文明の極致が作り出した施設の事故がもたらしたカタストロフと、グローバル化による国家の消滅と、深刻な格差の広がりと、日本人の貧困化でした。
「神罰が下るぞ」
南方熊楠が、100年前に行った神社合祀反対運動の中で、日本人に警告を発した通りです。
それにも関わらず、いまだに、この国には、高度経済成長の再来が可能なのだという幻想をばらまこうとする言論人たちが跋扈しており、日本人は、自分たちの国に何が起きているのか気づかないまま、だらだらと「遠心」方向に引かれた従来と同じ道を歩き続けようとしています。
平安末期に起きたのと同じような、ラディカルな「自然」という原点への回帰が必要なことに、そろそろ日本人は気づかなくてはならないのではないでしょうか。
日本は、再び「向心」的な時代を迎えなくてはならない。
735万人が失業するという試算が経産省によってなされており、もはや何のためにするのかもわからない「第四次産業革命」を追求するのではなく、豊かさを、自然や大地というわたしたちの足下に見いだそうとする、農業や、林業、水産業といった第一次産業の大切さが再認識されなくてはならない。
TPPのように、高次産業に携わる一部の集団が利益を得るために、自国の第一次産業を犠牲にするようなことをしてはならない。
また、「自然」という原点回帰の中には、自然や大地に直結する「日本の根っこ」とも言うべき、東北の復興と浄化と再生の営みが含まれなくてはならない。
原発という「遠心」的時代の象徴的な施設を再稼働したり、オリンピックという、虚妄の意匠をちりばめた「遠心」的イベントに興じている場合ではないのです。
「向心」とは、中心や原点に近づくことです。
自然の中から立ち上がり、文明を形作ってきた人類の歴史は、おおむね、文明の進展を目指して、自然という原点から遠ざかろうとする「遠心」方向の運動として捉えることができます。
日本の歴史も、全体を概観すれば、世界史の例にもれず「遠心」方向の発展を遂げてきたと言えるのですが、日本の歴史が独特なのは、「遠心」運動という世界史の一般的な流れに逆行するような、「向心」的な時代を経た経験をもつ点にあります。
日本における「向心」的時代というのは、熊野詣が盛んになった平安末期から、講と呼ばれた結社を通して、修験道に代表されるような自然への尊崇の姿勢が民衆の間にきめ細かく拡がっていった江戸時代にかけての、中世や近世という時代区分がそれに当てはまります。
平安末期に皇族や庶民の間に流行した熊野詣は、自然という原点回帰の端緒を開いた出来事ですから、「向心」的時代を、「熊野」的時代と呼ぶこともできるかもしれませんし、当ブログで繰り返し用いてきた言葉を使うならば、「地祇」的な時代と呼ぶことも可能です。
神仏分離令を出し修験道を禁じた明治維新以降、日本は、「文明開化」というスローガンの下、自然という原点に背を向けて文明の発展を追求する、「遠心」的な時代に突入し、西洋の列強と覇を競うようになりました。
自然に背を向けた、この「遠心」的な時代にあっても、南方熊楠のような熊野の本質を体現したかのような「向心」的人物が現れて、「遠心」方向への驀進を続ける時代の趨勢に警鐘をならしましたが、日清戦争や日露戦争や第一次世界大戦での勝利は、日本人に「自分たちは正しい道を歩いているのだ」という自信を与えました。
文明と文明とが覇を競う戦争という「遠心」的な時代のただ中で、「怨親平等」「自他平等」という言葉を掲げて興亜観音を建立した松井石根陸軍大将も、南方熊楠と同様、反時代的な、原点回帰の姿勢をもった「向心」的な人物であったと考えられます。
そして、文明の極致が生み出した原子爆弾が日本の上に落とされ、日本人がアメリカ文明の前に膝を屈し、第二次世界大戦に敗れても、平安末期に起きたような、自然という原点に回帰しようという「遠心」から「向心」への劇的な方向転換は、日本人の中には起こりませんでした。
それどころか、戦後の日本人は、アメリカ文明を諸手を開いて受け入れ、「アメリカ(文明)に追いつき、追い越せ」と呼びかけ合って、明治維新から始まった「遠心」的な時代の延長線上を従来にも増して熱心に走り続け、やがて手にした高度経済成長という戦後の成功体験は、日本人に、再び、「自分たちは正しい道を歩いているのだ」という自信を与えました。
しかし、「遠心」的な時代の延長線上に最終的に待ち受けていたのは、「文明」の進展によって日本人が豊かになる社会の到来ではなく、原発という、文明の極致が作り出した施設の事故がもたらしたカタストロフと、グローバル化による国家の消滅と、深刻な格差の広がりと、日本人の貧困化でした。
「神罰が下るぞ」
南方熊楠が、100年前に行った神社合祀反対運動の中で、日本人に警告を発した通りです。
それにも関わらず、いまだに、この国には、高度経済成長の再来が可能なのだという幻想をばらまこうとする言論人たちが跋扈しており、日本人は、自分たちの国に何が起きているのか気づかないまま、だらだらと「遠心」方向に引かれた従来と同じ道を歩き続けようとしています。
平安末期に起きたのと同じような、ラディカルな「自然」という原点への回帰が必要なことに、そろそろ日本人は気づかなくてはならないのではないでしょうか。
日本は、再び「向心」的な時代を迎えなくてはならない。
735万人が失業するという試算が経産省によってなされており、もはや何のためにするのかもわからない「第四次産業革命」を追求するのではなく、豊かさを、自然や大地というわたしたちの足下に見いだそうとする、農業や、林業、水産業といった第一次産業の大切さが再認識されなくてはならない。
TPPのように、高次産業に携わる一部の集団が利益を得るために、自国の第一次産業を犠牲にするようなことをしてはならない。
また、「自然」という原点回帰の中には、自然や大地に直結する「日本の根っこ」とも言うべき、東北の復興と浄化と再生の営みが含まれなくてはならない。
原発という「遠心」的時代の象徴的な施設を再稼働したり、オリンピックという、虚妄の意匠をちりばめた「遠心」的イベントに興じている場合ではないのです。
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