異常の極み

「自民党は反日政党であり、日本人の長期的な抹殺を目論んでいる」
そのように誰かが考えたとしても、反論できないような政策を、安倍政権は次から次へと繰り出しています。
公共工事で除染土を再利用へ 全国の道路、防潮堤に

東京電力福島第1原発事故に伴う除染廃棄物の減量と再利用に向けた環境省の有識者検討会は7日、東京都内で会合を開き、放射性物質濃度が基準以下となった除染土を全国の公共工事で使うとする再利用の方針案を大筋で了承した。近く同省が正式決定する。

方針案によると、管理責任が明確で、長期間掘り返されることがない道路や防潮堤などの公共工事に利用先を限定。工事中の作業員や周辺住民の年間被ばく線量が1ミリシーベルト以下となるよう、用途や期間に応じて放射性セシウム濃度を1キログラム当たり5千~8千ベクレル以下と定めた。

(出典: 東京新聞 2016年6月7日)


国家が、国民の命や生活を守ろうとせず、率先してこれを傷つけ壊そうとしている。

これが現実に起きていることです。
*
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

過去・現在・未来の「全体」を引き受けて生きる

祝島という島のこと知りませんでした。

古い祭祀を大切に守り続けている島のようですね。

お祭りというのは、過去の伝統と、未来への祈りをつなぐものです。

現在だけを見ると絶望することばかりですが、過去-現在-未来をひとつながりのものとして受け止め、その全体を生きようとするとき、希望が見えてくるように思います。

まさに全体を生きている島民

WJFさんが、「グローバリズムと神道」において、八百万の神等を、国津神と天津神に分けられて、興味深い論考を書かれました。政治の力と非政治の力の相克もなるほどと思いました。でも、もう一つ、マネーの力と非マネーの力というものもあるように思います。平清盛が宋銭を流通させて以来、日本で少しずつ財貨を持つ人々が力を持つようになりました。幕末はすでに士農工商は崩れ、最下身分の商人が武士にカネを貸すことで力をつけ、そんな商人たちを味方につけて幕政改革に成功した西南雄藩がその資金力で幕府を打倒しました。明治には欧米に習って銀行を設立し、いよいよ本格的な資本主義の時代がやって来ました。やがて、金儲けのために戦争が行われるようになり、実体経済とかけ離れたマネーが世界を駆け巡り、ある時はバブルを、ある時には恐慌を引き起こして人びとの暮らしを翻弄しました。
TPPは、マネーを神とする人びとに対して、マネー信仰を否定する地祇たちの抵抗と言っていいのではと思います。
その構図は、原発にも当てはまると思っています。利権に群がる人びととそれを拒否する地祇たちと。

山口県上関町の原発計画に30年以上の反対運動を繰り広げてきた祝島の人びとはそんな地祇の代表と思います。原発を推進するのは原子力村だけではなく、地元の人びともその利権に群がっています。上関町周辺の八漁協のうち、原発に反対するのは祝島漁協だけ。あとの漁民たちは漁業補償金が入るので大賛成なのです。実際、祝島漁協だけが原発建設計画の周辺海域で一本釣り漁法を行っており、あとの漁協は沖合での底引き網漁法で、原発建設による埋め立て工事や温排水による漁業への影響は少ないと考えているのでしょう。上関町の住民も原発マネーの恩恵を授かりたいという思いが強く、福島原発事故後も電源立地交付金を使って原発誘致を進めています。瀬戸内の環境がどうなってもマネーが第一。事故が起きても補償金が入るので困ることはない。このようなマネー信仰者は庶民であっても地祇とは呼べないのではないかと思います。
http://www.iwaishima.jp

福島県民は原発事故によってばらばらにされ、補償金によってさらに分断され、人間関係も破壊されきました。一方、上関町周辺の住民たちも原発がまだ出来上がる前からすでに分断されてしまっています。原発には理不尽さを生みだす虚無があるのです。マネー信仰はこんな虚無をもたらすだけです。
島の暮らしを守り、神楽の伝統を守り、毎日朝陽を拝み、偽の太陽である原発に直感的に反発してきた祝島の人びと。瀬戸内の小さな島がマネーという巨大な虚無と闘ってくださっています。私は彼らこそが日本の希望の光だと思っています。

山口県が中国電力に埋め立て許可を与え、平成23年初頭、中国電力が祝島の人びとの抗議活動を力づくで排除して、海中に土石を投じ始めたまさにその時、311地震と大津波が東日本を襲い、福島第一原発が 爆発したのでした。これは、偶然を超えた因縁を感じます。
今でも、山口県は埋め立て許可の凍結という形を継続し、撤回したわけでなく、いつ工事が再開されるかわからない状況です。日本での原発の新規建設が困難な中、上関町の多くの住民は、新規ではなく着工済みのものとして建設工事再開を望んでいます。
でも、祝島の人びとは粘り強く反対運動を継続しています。
山口県が基盤で、マネー信仰者の安部首相はそんな地祇たちを苦々しく思っていることでしょう。
源平の合戦が瀬戸内で繰り広げられ、熊野水軍が源氏方へついたということから、祝島と熊野水軍が関係しているかもと思い、調べてみたのですが、はっきりとしたことはわかりません。
でも、私と同じように熊野と祝島の関係を探っておられる方のブログがありましたのでご紹介します。
http://blog.murablo.jp/sp/kumano-healing/kiji/204012.html

祝島と上関原発についてはまた折を見て、福島の問題とともに書いてみたいと思います。
https://m.youtube.com/watch?ebc=ANyPxKojQ3SnQY_3ZYsjVeBPb-bnQf7Lur7jnbXjCbQyZE0iZmpWWbylag9kAw5pfoXxm7ReyRt-&v=fn2qN9kp204

https://m.youtube.com/watch?v=YBB7WQ8P4iE

全体を生きる

原発問題を積極的に論じる人たちは、原発問題の専門家であればあるほど、原発という個別の問題だけを見て論じてしまう傾向があります。

しかし、生きていくということは、それ自体が「全体」的、「総体」的な営みなわけですから、福島に生きている人たちと、原発専門家の間にはどうしても齟齬が生じてしまいます。

生きていくこと、それ自体が「全体」的、「総体」的な営みであるというのはどういうことかというと、単に、生きていく上では、仕事のこと、家のこと、家族のこと、様々なことを複合的に考えなくてはならないという現実レベルの話に留まらず、もっと深い含蓄をもつことがらです。

たとえば、私たちが、たまたまある土地で生きている。その出来事が生じている背後には、私たち自身ですら気づいていないような、複雑な縁起の網の目が交錯しています。いわば、私たちの「個」の中に、過去の人々の営みの「全体」がすっぽり含まれています。

日本語にしても同じであり、「猫」とか、「うれしい」とかといった、日本語の言葉の一つ一つに、先人たちの経験の総体がすっぽりと含まれています。

すると、生きていくということは、過去から現在にいたる一つながりの全体性の中を、しかも、私たちの「個」の中に包摂されている「全体」を引き受けて生きていくということになりますから、原発という個別の問題だけで、その土地で生きてよいとか、悪いと言われたときには、生きていくことの全体性、ひいては生きることそのものを否定されたように感じるのも無理はありません。

私たちは、ある土地、ある国に生きる全体性というものを引き受けて、生きていかなくてはならないのですが、全体を見ることから目をそらして、全体の中のある一部分だけをえり好みをしがちです。

その結果、左翼になったり、右翼になったり,反原発の活動家になったり、反安保法制の活動家になったりするわけですが、全体、本当に広く深い意味での全体を引き受けた上で、個別の問題に取り組んでいる人というのはごくわずかか、ほとんど存在していません。

だから、原発を論じるときには、原発だけを見てはならない。

「政治」を論じるときには、「政治」だけを見てはならない。

全体を見て、全体を生きる必要があります。

すみません。

まつぼっくりさん、不快な思いをさせてごめんなさい。放射線の話になると鬱気味になってしまいます。それは様々な体験を経てそうなってしまいました。

まちがった書き込みをしてしまった箇所があるので訂正します。1msvの被曝で癌の増加リスクは10万人に一人と書きましたが1万人に一人でした。これは大きな間違いでした。5万人規模の都市だったら5人が相当するし、子どもたちもいるので、過小評価はできませんね。訂正してお詫び申し上げます。
今中先生は、被曝量の我慢量は自分で決めようとおっしゃってます。ICRPが勧告したもので、公衆の構成員にとってたぶん容認できるだろうということで、我慢量の目安として1msvと言われています。私は小出先生や今中先生の講演会にも行ったし、著作も読みました。お話は分かるのですが、実際、1msvで健康障害の具体的な症例は挙げられていません。一方で、100msvまでは問題ないという高田純先生のような方もいらっしゃって、さらにはホルミシス効果まで言われる方もいます。
私はそのような方たちのことを御用学者だとか東電の回し者なのだとかいうふうには思いません。
何が正しいのかわからないのです。そして、どの説を取るかは一人ひとりの自由だし、それをとやかく言うことはできないと思います。
福島県に住む人々は様々な思いがあるので、ひとくくりにはできません。低線量なのに危険を煽りすぎているという人もいますし、そんなことを気にするくらいならタバコや飲酒などの癌リスク、コンビニで売られている食品の添加物の方を気にしたほうがいいという人もいます。
開沼 博 さんは福島県出身の学者で、「はじめての福島学」という著作が有名です。彼は県民の立場に立って論考を進めていますが、一つの学問になるほど問題は複雑なのだと思います。
私の体験でとても悲しかったのは、ある幼稚園があって、その近くの地面の放射線量が高く、(たぶん1μくらいだったと思いますが、)その人が幼稚園の職員を呼んで、「こんなに高いのよ。こんなところに子どもを遊ばせていいの!?」と責めたことがあります。職員は困って、基準値内で管理しているというようなことを言われました。
正義感や善意で言ったのだろうけど、私は職員に同情しました。どうしようもない現実もあるし、基準値内での管理というのも間違ってない。
ホットスポットを見つけて声を上げていけばきりがありません。そんなことは突き詰めたりしないで、前向きに生きたい。CTスキャンを受ければ10msvくらいは数分で浴びます。10年分を一気に浴びても何も言わないのに、こんなところだけは大きく取り上げる。どこか、もうたくさんという雰囲気はあるのです。
ただ、環境省が示している年間20msvの被曝まではOKという考え方に同調する人はたぶんいないと思います。それを許容すると、原発近辺の双葉町あたりの帰還困難区域でも人が住めるということにもなるでしょう。
今は、福島県産のお米は全袋検査をしてほとんどセシウムは検出されていません。太平洋で試験操業をしていますが、魚からはほとんどセシウムは検出されていません。
でも、福島県産のお米は安い値段しかつかないし、魚も本格的に出荷はできません。
正直、福島県在住の人たちも福島県産のものは避けているというのが現状もあります。

WJFさんがこれまであまり原発について取り上げてこられなかったので、それは逆に私にとってはとても居心地のよいブログでした。でも廃棄物の問題を正面から取り上げてくださったとき、私の中で感情のスイッチが入ってしまいました。それで感情的な文章を書いてしまい、親切なまつぼっくりさんにも不快な思いをさせてしまい、頭が冷えた今は後悔しています。

原発は一度事故を起こせば、こんなことになるということになる。

だから、原発の問題はきちんと向き合わなければならない。反原発=左翼という構図で語られることが多いので、それも払拭しなければならない。原発に反対することにイデオロギーは関係ないです。

イデオロギーに関係なく、原発問題で苦闘している人々は福島以外にもおられます。機会があれば、またそのことについて書いてみたいと思います。



蛇足ながら

一応の収束を迎えたところで、大変恐縮ですが、最後にもう一度だけ書かせて頂きたく願います。

私は最初のコメントからして「皆様も」と書いたように、この件については、福島県及び福島の人たちと一口に言っても、様々な地域、様々な立場、考え方の人がいるので、全ての福島の人たちの代弁者=恭二様とするわけにもいきませんし、国民全体にも関わってくる問題なので、恭二様だけではなく、不特定多数の人間の、主に理性や知性を念頭に、要は感情・気持ではなく思考を重視して、主に参考資料の提示という形で書かせて頂きました。
要は、このコメントを含め、恭二様を含めた読者全てを「対等の人間」と見做して、通常通りコメントしているに過ぎません。
(恭二様「個人」の気持に特別に配慮しながら書ける程の技量も時間的余裕も私にはありませんし。)
その上で、いつものように政府の姿勢、説明がいい加減なまま、本案を実施することになれば、またしても行政のみならず福島県及び県民にも、現時点では何らかの批判が及ぶことは容易に推測出来ましたし、調べたらやはり最初のコメントを書いたときから既にそうなっていたので、こしき様も書かれたように「国民を分断する愚策」でしかないと判断し、政府の姿勢を改善することが必要だと考えたのもあり、今迄のようなコメントを書かせて頂きました。
また、山本太郎議員の記事も国会でもこういうやり取りがあったという「参考資料」として提示したわけで、「彼だから・彼の言動すべてに賛同しているから」提示したわけではありません。
更には、「穢れを嫌う日本人」説についても私自身はそうではなく、「日本の原子力行政及びその関係者に対する不信が根底にある」と書かせて頂きましたし、他のコメント投稿者やこちら以外での反対派の方々の何割かも、表現は異なれども同様なのではないかと思われました。
(しかも、本件のみならず、原発・原子力・放射能関連問題については従来から様々な意見が出ているのをみても、「穢れを嫌う日本人」ばかりではないことが理解できるのではないでしょうか。)

>福島の人たちがどんな思いで暮らしているのかわからない
>その根底には高見から人を見下ろす差別の心がある
>「福島産」というだけでやはり差別されそうな気もします。
>穢れを嫌う日本人なら仕方がないですが。
>バカにする
>他人事のように善意の高みから福島のことを語っている

確かにそういう人間も何割かは存在していると思いますが、今回のやり取りにおける恭二様は、ご自分と「意見」が食い違う人達を、主に貴方の従来からの予断や偏見に基づいて一括りにした上での感情論や人格攻撃によって説得しようとしているように思えました。
(その余裕もない程の状況であるので仕方がないこととは思いますが、どうも私のコメントや提示した資料も、きちんと腰を据えて読んでもらえていないとしか思えませんでした。)
しかしながら、そのような思考・言動パターンが当事者「にも」根付いてしまった結果どうなるかは、今迄の様々な差別問題、社会問題から容易に推測できることと思います。

■「避難・賠償・除染・原発・放射線・子どもたち」 – 開沼 博
(※途中までしか読めないので結論がどうなっているのかはわかりません。)
http://webronza.asahi.com/journalism/articles/2015021400002.html
>「あと、とにかく気を使ってしまう。何か不謹慎なことをやってしまったりしないか心配。企画書書くにしても、一言一句、『こういう言い方してもいいのかな』とか『実態とズレていないか』『だれかを傷つけたりしないか』と気を使ってしまう」
>「仮に、そういうハードルをクリアしたとして、実際に始めることになったとしても躊躇してしまう最も大きな理由は手離れが悪いこと。『被災地支援始めました』と言うのはいい。でも、一度手を付けたらもうやめられなさそう。やめたら『もう飽きたのか、捨てるのか』とかえってイメージが悪くなる。ならばはじめから関わらないという選択をしてしまう」

尚、

>山本太郎さんは嫌いではないのですが、彼の放射線に関する意見を聞いていると、まるで福島には人が住んではいけないような印象を受けます。
>京都大学原子炉研究所の今中先生も年間1msvというのは10万人に一人癌が発生する確率があるかないかというくらいのもので、二人に一人が癌でなくなる現在の日本の現状から見ると、社会的に許容範囲であると言われています。

とのことでしたので、今中氏の見解を調べてみました(恭二様が書かれた話は、どのような文脈上での発言かも知りたかったのですが、今のところ見つけることが出来ていません)。
■除染という環境破壊、科学の限界と研究者の役割
http://webronza.asahi.com/national/articles/2015111900004.html
>よく、福島で住めるのかと聞かれます。でも、それは何とも言えない。分からないのです。すぐに死ぬならば、危険というけれど、そうではない。『よくわからない』を相手にしたときに判断するのがみなさんは苦手です。わかったように話す人はたくさんいるけれど……。住むかどうかはその人の社会的、個人的判断です。
■1ミリシーベルトの被曝リスク 今中哲二
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/etc/13-10-3Nitiben.pdf
>自然放射線はともかく、年間1ミリシーベルトという人為的な被曝の影響は、“公衆の個々の構成員のだれにとっても多分容認できるレベル”とは言い難い。

言葉足らずの上、うまくまとめられませんでしたが、後は自分のブログで書くべきだと思われますので、こちらでは以上とさせて頂きますが、正直なところ、恭二様のコメントを拝見し、あらためて、人間をここまで追い詰めるような環境に住まわせること自体に問題があるとしか、私には思えなくなりました。

地祇の中の地祇

今回の問題の背後には、福島を、日本の国土全体から分離して考える発想が、福島の外部に暮らす日本人の中にも、福島県民の中にも存在しているのではないかと思います。

福島の外側に暮らす人間は、原発事故は福島に限定された問題であり、くさい物にふたをするように福島を隔離しておけば済む他人事だと誤解してはいないか。

除染土の拡散に反対する人々の中に、福島に除染土を押しつけておけばよいという意識があるならば、それはあってはならないことです。

また、それと鏡写しのように、福島に暮らす人たちも、自分たちが日本から孤立した犠牲者のように感じてしまってはいないか。

単なるレトリックではなく、実際問題として、日本の国土全体に広域に拡散されつつある放射性物質の問題は、福島に限定される問題ではなく、日本の国土全体が被っている被害です。

その意味で、福島は日本であり、日本は福島であると言えます。

福島と日本は一つに連続している。そのことに気づくならば、福島の除染土を全国にばらまくことは、福島そのものを汚すことに他ならないことに私たちは思い至ります。

(おなじことは、基地問題に苦しむ沖縄にも当てはまります。)

日本の地方と地方は、歴史の深部にあるネットワークで深く結ばれていることについて、私はもっと勉強をし、考察を深めていきたいと思います。

>福島県に住む人々の苦闘をもっと知ってほしいと思います。そして、原発とは何なのかということを私なりに考えていきたいと思っています。

ぜひ、これからも福島の実情を、積極的に、また率直にお聞かせ下さい。

グローバリズムという、文明の極致を目指して原点から遠ざかろうとする遠心方向の力が加わる中で、東北という土地は、熊野のような聖地と同じく、日本人が立ち戻るべき原点が密集した土地であると思います。

東北という土地が、深い痛手を受けたことは、日本人の心のあり方にとっても大きな意味をもっています。

福島の原発事故を通して、日本人の間に、東北という土地を、異物のように切り離そうとする意識が拡がるならば、日本人はますます根無し草のようになり、グローバル化という名の文明の暴走を加速化させていってしまうでしょう。

日本人が、原点に戻ろうとすることがますます大切になります。

東北は、日本人にとってのふるさとして回復され、そのかけがえのなさが再発見されなくてはならないと思います。

大地を受け継ぐ

WJF様、コメントありがとうございます。いつも大切なことを学ばせていただいてる場所で、その主人に対して反論することは私の性分には合わないのですが、今回だけはちょっと筆が滑ってしまいました。
今日は仙台へ「大地を受け継ぐ」というドキュメンタリー映画を観に行ってました。
https://www.youtube.com/watch?v=ljQZA-5EW8Q
主人公の男性は、福島県で農家を営む男性です。原発事故後、農業ができないことに絶望して命を絶った父の家業を継いだ方です。
彼は言いました。
「生産者だからこそ、福島県産のものは食べたくないという消費者の方の気持ちはよくわかる。」と。
この寛大さを前にして、私は、県外の人にも低線量被ばくなら問題ないだろうと思っていたことを恥ずかしく感じた次第です。
 それから、WJFさんの9項目のレスのうち、特に、6についてはぐうの音もでないものでした。というのも、除染というものがいかに難しく、困難なものであるかということを私は身を持って体験しているからです。せっかく苦労して除去したものを再び環境に戻すということのために除染を行ったわけではない。確かにその通りだ。その理屈で行けば、福島県で除去したものをまた福島県で環境へ戻すということとと同じことです。賽の河原のような虚しさがありますね。
さすがです。
福島県に住む人々の苦闘をもっと知ってほしいと思います。そして、原発とは何なのかということを私なりに考えていきたいと思っています。

恭二様

1. 福島の方のみならず、私たち日本人が、郷土を愛し、郷土に根を下ろして生きたいと思うことは、当然のことであると思います。

2. 福島も日本の国土の一部である以上、福島が汚されたということは、日本の国土が汚されたことを意味します。

3. 現実に、東日本の広域に降下した放射性物質の問題は、福島に留まらず、日本人全体が多かれ少なかれ、現在もその影響を被っています。メルトダウンした核燃料を冷却するために水を注入し続けなくてはならず、冷却水による海洋汚染は今後も留めようもなく続いていきます。三重水素(トリチウム)のように水素に擬態して、水や水蒸気として体内に取り込まれ、生命体の一部を構成してしまう核種も存在します。

4. したがって、福島県民が直面している問題は、仮にそのことを多くの日本人が意識していないとしても、日本人全体が実際に直面している問題であり、日本列島に生きる限り、高みの見物をきめこむことができる人は存在しません。

5. 福島の方のみならず、私たち日本人が、この国土の上で命をつないでいくためには、日本の国土や私たちの身体が受けたこの「穢れ」は、あくまでも「浄化」されなくてはならないものです。

6. 放射性物質は、本来外界に出てはならない物質が出てしまったものなのですから、「浄化」のためには、 放射性物質を除去し、隔離し、遮蔽するのが原則であり、そもそも、そのために除染を行ったはずです。

7. 除去し、隔離し、遮蔽するためにわざわざ集めた除染土を、全国に拡散させることは、放射能の影響がどんなに微少であるとしても、その発想は「浄化」という本来目指す方向と逆の方向を示しています。そのことによって、日本の国土も、福島の土地も、浄化されることはありません。

8. 幸い日本は島国ですから、日本の本土から遠く隔たった無人の離島に除染土を集約して保管するなど方法は他にあるはずです。

9. 福島は日本の国土の一部なのですから、ふるさとを汚された福島県民の怒りや悲しみは、日本人のすべてが共有しなくてはならないものですが、だからといって、除染土を全国に拡散させることで、日本の国土全体を汚してよいということにはなりません。

善意がすれ違う

福島では地表面で1マイクロ超なんてザラにあります。今更驚かないし、外部被曝に寄与するのは空間線量率です。ベクレルが問われるのは内部被曝で、例えば近くに8000ベクレルの物質があってもそれによって空間線量率がどれだけあるのか、そこからどれだけ離れていて、どれだけの外部被曝があるのかが気になるのです。8000ベクレルのものを口に入れるわけではありません。ベクレルを気にするのは野菜などの食べ物です。1kgあたり100ベクレルの基準値ですが、これはできるだけ少ないもの選ぶようにしています。実際、飲料水も含め、そんなに高い数値のものは出ていません。山菜やきのこなどは高いものは確かにありますが。
山本太郎さんは嫌いではないのですが、彼の放射線に関する意見を聞いていると、まるで福島には人が住んではいけないような印象を受けます。現実に福島で放射能のある環境で暮らしている人たちへの差別を助長していないか、もし、お会いすることができたら話してみたいとも思います。
福島で苦闘しながら生きている者たちがその現実を語れば、福島県民は権力者に利用されているだけだと返される。バカにするのもいい加減にしてほしい。国や東電、専門家、知識人といった人びとを信じてきた結果がこの有様です。それは福島県の人たちだけでなく全国の人たちもそうでしょう。でも、そんな人たちが、今は他人事のように善意の高みから福島のことを語っているように思えます。

福島県民は利用されているだけなのではありませんか

恭二様

度々失礼いたします。
まず最初に、私は日頃から恭二様のコメントには共感できるものが多く、興味深く拝見しておりましたので、あまり厳しいことを書きたくないというのが本音でしたし、ある程度の覚悟はしていたとはいえ、貴方からも【今回の「除染土再利用」案】に賛成出来ない日本国民は人間として無理解かつ無責任であると責められ続けていることに、私自身も苦悩しながら書いているということは何卒ご了承下さい。
(福島の悲惨な現状や復興について色々と思うことは多々あれども、様々なケースがあり一括りにして語れませんし、書いても虚しくなるので恭二様や福島県民に対する同情や共感なども含め略します。また貴方の書かれている放射能関連の説には反論・異論も出ているので何とも言えません。因みに新しく公開されたコメントを読んで、当初から感じていた沖縄県の問題にも共通するものをより深く感じました。)
但し、気持や現状がわかるということと、本件に賛成することとは一度切り離して考えてみて頂きたいとも思います

本題に入ります。

>私はそのような人たちをあまり好きにはなれない。私たちはここで生きると決め、現実にここで生きている。この現実の重さをわかってもらえてないと思うからです。

私はこれを拝見し、思わずこちらの記事を連想させられました。

■福島「放射性物質」土壌汚染調査 8割の学校で驚愕の数値が!(★阿修羅♪版)
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/209.html
■福島「放射性物質」土壌汚染調査 8割の学校で驚愕の数値が!(地震・災害) – 女性自身(元記事なので調査結果の詳細資料あり)
http://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/disaster/23272_3
>さらに福島では、お母さん同士の人間関係の分断が進む、悲しい現実もある。澤田さんは、「ほかの子供も被ばくさせたくないという思いから、ママ友たちに測定結果を伝えたのだが、うちひとりから「私たちは、放射能があろうとなかろうと、福島で生きていく。将来、福島は安全だったね、って証明するんだから、測定なんてしないで」と言われ、以来、関係はギクシャクしたままだ。
(略)
>「放射能をばらまいた国や東電が、そんなことなどなかったかのように振る舞うのは、それ自体が暴力で、国家による国民に対するハラスメントです。そして、ひとたびハラスメントの構造に取り込まれると、暴力を受けている側は、その事実と向き合うことができなくなるのです」
>そこでできた傷は「盲点」のようになってしまうという。
>「親から虐待されている子供が、自分では虐待の事実を認識できないのと同じです。自分が誰かに痛めつけられている、という事実と向き合うのは、とても恐ろしく勇気がいる。ですから、多くの被害者が、汚染と被ばくの事実から目を背け、加害者に加担します。事実と向き合い声を上げている人が、向き合えない人と対立するのはそのためです」

それから、これは私だけでないと思われますが、福島の復興の在り方、方向性そのものについても、以前から根本的に何かがおかしいと感じていたのですが、単純な政治や行政の拙さを理由とするのではなく、以下のような意図が(も)主要関係者の根底にあるからだと考えると妙に腑に落ちるものがあったので、ここに転載させて頂きます(「安倍 原発 セールス」などで検索しても総合的に)。

■汚染土壌の再生利用は世界に前例の無い一大ナショナル・プロジェクト
http://oshidori-makoken.com/?p=2059

>筆者は、原子力の平和利用を推進する国際シンポジウムを取材した際、出席していた研究者にこんなことを言われたことがある。
>「福島の原発事故のリスクを、除染して住む、と福島の住民が受け入れ、それを世界に発信することは重要」
>筆者は驚き、その後、原子力を推進する研究者複数に取材し、親しくなった後で確認していった。
>まとめるとこうである。
>「今まで『事故は起こらない』と原発をセールスしてきた。

しかし福島の事故後のセールスは『事故が起こっても大丈夫』と原発を売っていく。

>なので、福島第一原発事故後、住民が除染をして住み続ける、というモデルケースを世界に発信することは重要。
>広島と長崎があった日本だからこそ、被ばくの恐怖を知っている日本だからこそ、
>福島の原発事故後『大丈夫』と発信することに意味がある。」
>2012年にこの件を取材した筆者は、本当にそんな考えがあるのだろうか、と半信半疑だった。
>しかし、2014年に、年間20mSvで住民は避難解除となった。
>そして、2016年に、全国で汚染土壌の再生利用という世界に前例の無いプロジェクトが始まる。
>最終処分量を減らすため、再生利用量を増やす、ということは実質、全国に埋設して最終処分をするということである。

(関連資料として)
■「参議院議員 山本太郎」オフィシャルサイト | 2016.4.13復興特別委員会「汚染廃棄物、うすめて広くバラマキます」
https://www.taro-yamamoto.jp/national-diet/5801

まだ検討中のこともありますし、丁寧に書いている余裕がないのでこれで失礼させて頂きますが、この件についても真剣に議論がなされ、原発を誘致したり、原発の再稼働に賛成することに対する国民の覚悟も合わせて、日本の原子力行政、震災復興の在り方等が、全国的にあらためて問い直されることを願います(現実的にどうなるかの予想は大凡ついているとはいえ。)

親切が人を傷つける

〉子供たちには罪がないです。
現実に福島に住んでいる子供たちもいることに想いを馳せることができれば簡単にはそんな「正論」をはくことができるでしょうか。福島の子供達は毎日ガラスバッチを首に下げ、街を歩けば空間線量を電光掲示するモニタリングポストの数値を目にし、田園風景の中にフレコンバッグが積まれる仮置き場を眺めているのです。親が悪いのですか?避難せよというのですか?子供に罪はない、百も承知です。だけど、現実にここで生きていくしかないし、生きていくと決めているのです。年間1msv以下を目指して生きているのです。原子力災害を被ってからというもの、福島に対して様々なことが言われてきました。最近、思うのです。親切や正義というものが人を傷つけることもあるのだと。
その根底には高見から人を見下ろす差別の心があると感じます。福島の人たちがどんな思いで暮らしているのかわからないまま、簡単に言葉を吐き出す。気楽でいいね、もうたくさんだという思いです。
このたびの政策は愚策であることは承知してます。福島県の人びとの苦しみを他県にまで拡げる必要はない。ちゃんと放射性物質を除去して使用すべきだと。
でも、そんな除去済みの土壌であっても、「福島産」というだけでやはり差別されそうな気もします。穢れを嫌う日本人なら仕方がないですが。

国民を分断する愚策

天災という地震が、自民党をはじめとする原子力政策の杜撰から、取り返しのつかない人災に至っているなか、復興の目処が立たず長期にわたり放射能被害を直接被る福島県の皆さまには同胞として、心から同情申し上げます。

しかしながら今回の政府の政策決定には承服しかねます。

福島の麗しき郷土を汚染しつくしそれを解消できない責任逃れから、それをさらに日本全国の土地に広域に分散し子々孫々に至るまで不浄なる汚染に晒すことになる今般の政策決定には、ただただ浅ましき下劣なその場しのぎの心性しか感じることができません。

たとえ10万人に一人が発症するという低レベル放射線の健康被害という証拠が正しいとしても、確率の問題として矮小化すべきではありません。なぜなら、その一人があなたの子供だったらという思いを馳せてみて、その根拠に承服されるのでしょうか?

そんな親がいるはずはありません。
そんなことを承服する親を子供が信じてくれますか?

福島に住むことなく、さらに寄り添うことなく政策決定をする非情かつ心が腐っている連中の世迷言に騙されてはなりません。

恭二さま

申し訳ないが、政府が信用できない以上、
あなた様の意見には賛同できかねます。
子供たちには罪がないです。
なるべく拡散しないことが鉄則です。

大変恐縮ですが、やはり一番の問題は政府の信用問題です。

いきなりで申し訳ございませんでした。

10%の責任

私たちが暮らしている日常に、除染廃棄物の仮置場が多数あります。それは、最初は三年で中間貯蔵施設へ移すという取り決めでした。最終処分場は30年後までに作るということでも、「仮置き」は30年ではなく、3年です。
出来るだけ早く移動してほしいというのが福島に住む多くの人びとの願いではないかと思います。
他県からやって来た学者や活動家などは、帰還しないほうがいいとか、低線量でもあぶないと言って、また県外へと帰って行きます。親切心や正義感で言っているのかと思いますが、私はそのような人たちをあまり好きにはなれない。私たちはここで生きると決め、現実にここで生きている。この現実の重さをわかってもらえてないと思うからです。わたしたちは、年間1msv以下の被曝なら問題ないと思っている。でも、県外の人は1msv以下でもダメだという。
そんな時、いつも思うのです。
今の福島の悲惨な現状に対して、責任の90%は東電と国にあると思う。しかし、残りの10%は国民にも責任があるのではないか。それを許し、自らも恩恵に与ってきた人たちも。だから、1msv以下のものなら引き受けてくれてもいいのではないかと。
こんなことを書くと東電の回し者と思われるかもですが、原発には反対なのです。
そのことはまた書いてみます。

公害問題

そもそも、この手のニュースでどの核種が検査されているのか
検査してるといっても、ヨウ素やセシウムばかり、それでも検査してるだけ良いというのでしょうが
未だにセシウムばかりが目立って報道されています、他の核種は?

μSV/hで数値化した所で、内部被爆と外部被爆の違い

放射性物質は拡散させない封じ込めが基本中の基本となってるはずですが
何故拡散しようとするのか
通常時の規制値が大原則のはずですが
規制の数値も緊急時という言い訳で、今現在も捻じ曲げられている異常性


全国に拡散しておけば、健康被害が生じた際に、他地域との違いが
分からなくなり、責任を回避できるという事でしょう


過去に幾多とあった公害問題で辿ってきた道です

恭二様

ご丁寧なコメント有難うございます。
先のコメントは、他の方からも恭二様が書かれたようなご意見、ご指摘が出るのは予想しつつ、敢えて書かせて頂いたものでした。

>実を言いますと、私は福島県で働いてまして、お知らせいただいたことはほぼ承知しています。
>その気持ちはわかります。汚らわしいものが付着している物をちょっとでも持ち込まれるのは嫌なのだと思います。でも、福島に住む人たちの現状を、他県の方がどれだけ理解してくださっているのか、そこがとてももどかしいのです。
>私たちがどんな思いで生活しているのか、他県の方に理解してくれというのも無理なことかもしれない。日本人特有の穢れを嫌う思想が根底にあるのなら、年間1msv以下でもだめだというのはしかたがないことかもしれませんね。

但し、私の場合
>日本人特有の穢れを嫌う思想が根底にある
のではなく
>日本の原子力行政及びその関係者に対する不信が根底にある
(原子力行政だけではありませんが、「蟻の穴から堤も崩れる」、この繰り返しになっているように感じます。)
ことをご理解頂きたく思います。
また、たとえ現状を理解していたとしても、現時点において選択肢がこれしかないとは思えませんし、具体的に考えてみても腑に落ちない点が多いので、ここで感情にまかせて妥協すべきではないと考え、このように書かせて頂きました。
>科学的にも納得でき安心できるだけの十分な説明や、万が一問題が生じた際の責任の所在なども明確にしてもらってからではないと不安

また
>中間貯蔵施設の建設も遅々として進まない
件については、一般的な報道によると、環境省による地権者との交渉を含めた用地取得が難航しているのが主な理由かと思われますが、これについても再検証の余地があると思います。
■除染廃棄物を本格輸送 中間貯蔵施設予定地に 福島(2016.4.19)
http://www.sankei.com/affairs/news/160419/afr1604190019-n1.html
■福島の中間貯蔵施設 用地契約は“1%未満” (2015/09/25)
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000059322.html
>福岡大学名誉教授・浅野直人座長:「そのぐらいの手間が掛かるということを十分に認識してかかっていなかったのでは。政府を挙げて、もっと真面目に考えてやらないといけない」
(タイトルが扇情的ではありますが)
■恐怖の除染廃棄物の全国拡散が今、始まる→福島の汚染土を日本各地へ
http://www.sting-wl.com/20160608.html
>福島県の中間貯蔵施設への搬入が開始されたのが先ほども言いましたが去年2015年3月13日です。この日から30年以内に国は、福島県外の最終処分場に除染廃棄物を運び出す義務を負っていますが30年とは具体的には2045年3月12日までです。

>まだ28年以上もあるのです。

>これが例えば30年の期限まで数年と差し迫っているのであれば環境省の主張も理解できます。しかしまだ28年以上あるのです。30年期限の時計が動き出してから…たった1年3ヶ月で最終処分場に必要な規模の敷地の確保ができないとギブアップする、だから福島県内の除染廃棄物の最大45パーセント…約半分を日本全国にばら撒こうと言い出す。これは、いくらなんでもおかしいです。(引用ここまで)


とりあえず、私自身はまだ調査中、検証中ということで、今回の「除染土の再利用案」に賛成できるかどうかについては保留とさせて頂きます。

まつぼっくり様

情報を提供してくださってありがとうございます。
実を言いますと、私は福島県で働いてまして、お知らせいただいたことはほぼ承知しています。
ただ、私の町では除染をしてもやはりまったく元通りには戻りません。もともと0.05~0.07μsv/hの空間線量率だった場所で、除染後もまだ0.15μsv/hの空間線量率があります。でも、年間の放射線量が1msv以下(0.23μsv/h)なので、大丈夫だと思っています。いや、正直、無理にでも思っている状況です。そんな人たちが大勢いるのです。京都大学原子炉研究所の今中先生も年間1msvというのは10万人に一人癌が発生する確率があるかないかというくらいのもので、二人に一人が癌でなくなる現在の日本の現状から見ると、社会的に許容範囲であると言われています。
現在、除染をしても1msv/年以下にならない場所はたくさんあって、そこには現実に子供も含めて人が住んでいます。その人たちも、ガラスバッチを身に着け、実際の被曝量を測定し、年間1msvに至らないことを確認して生活しています。事故前は気にする必要のない放射線の数値というものを毎日気にしなくてはならない状況は理不尽極まりないことです。
一方で、県外では、年間1msv以下の線量でもだめだと言われます。そんな低線量率のものを建築材として使うことはだめだといいます。その気持ちはわかります。汚らわしいものが付着している物をちょっとでも持ち込まれるのは嫌なのだと思います。でも、福島に住む人たちの現状を、他県の方がどれだけ理解してくださっているのか、そこがとてももどかしいのです。
 実際、除染物の減容化プラントを作って、セシウムと土壌を分離させ、その土壌を公共事業等に使用するという話もあり、その試験プラントも飯館村で稼働しています。でも、間に合わない。いつまでたっても、あの黒いフレコンバックのピラミッドは私たちの日常に存在しているのです。
この中にはほとんど放射性物質が含まれないものもあります。少しでもこれをなくしてほしいというのが多くの福島県人の願いです。私たちがどんな思いで生活しているのか、他県の方に理解してくれというのも無理なことかもしれない。日本人特有の穢れを嫌う思想が根底にあるのなら、年間1msv以下でもだめだというのはしかたがないことかもしれませんね。

No title

記事の内容から外れてしまいますが、先日のアベの「立法府の長」発言が、国会議事録において
「行政府の長」に訂正されていたという記事に唖然としました。
嘘まみれの現政権のこと、この件においても、どのような卑劣な行為に及ぶか、考えただけで怖気が走る思いです。
もう、何一つ、アベ自民の言葉は信用できないのです。
それだけのことを、彼らはしてきた。
もう、いい加減にしろ。

除染土再利用参考資料

この件に関しては(も)、科学的にも納得でき安心できるだけの十分な説明や、万が一問題が生じた際の責任の所在なども明確にしてもらってからではないと不安なので、現在調査中なのですが、よければ皆様もどうぞ。

■「8,000Bq/kg以下の除染土を公共事業で再利用」方針の矛盾と危険性(解説と資料を掲載しました)
https://foejapan.wordpress.com/2016/05/02/8000bq_problem-3/

■一億総被ばくの国家プロジェクト… 8,000ベクレル/kg以下の除染土を 全国の公共事業に!?
https://foejapan.wordpress.com/2016/04/15/8000bq_problem/

■「8000ベクレル除染土を再利用」方針の撤回を求めて…署名提出と政府交渉報告 https://foejapan.wordpress.com/2016/05/04/8000bq_problem-%EF%BC%94/
(政府の回答が実に頼りないのが気になります)

■FoE Japan | 【院内集会と政府交渉】「8000ベクレル/kg以下の除染土の公共事業への再利用」方針の撤回を Part II(6/8)
http://www.foejapan.org/energy/fukushima/evt_160608.html
>環境省は、福島第1原発事故後の除染で出た汚染土に関し、8,000ベクレル/kg以下の汚染土を、全国の公共事業で利用する方針を打ち出しています。
しかし、原子炉等規制法に基づく規則においては、原発の解体などによって発生したコンクリートや金属などの再生利用の基準は100ベクレル/kgとなっています。
原発敷地内から発生された100ベクレル/kg以上の廃棄物は、厳重に保管・処分されるのです。今回の環境省方針は、この80倍というゆるい基準であり、本来であれば、集中管理すべき放射性廃棄物を、 日本全体に拡散する方針で、大問題です。

No title

>年間1msvの被曝はほとんど健康に影響を及ぼさない
福島では甲状腺がんの子供が増えているし
他の病気もろくに調査していない現状では本当に影響を及ぼさないかはわからない
大体問題ないなら元の場所に戻せばいいだけ
わざわざ全国に拡散する必要はない

忸怩たる思い

福島県内には除染廃棄物が入ったフレコンバックがあちこちで山積みされています。周辺住民にとってはできるだけ早くどこかへ持ち去ってもらいたい。だけど、中間貯蔵施設の建設も遅々として進まない。
このような状況の下、低線量であれば公共工事で使ってもらってほしいと思っています。
年間1msvの被曝はほとんど健康に影響を及ぼさない。8000br/k以下の物質は普通に処分されているのが現状です。また、福島県内には1msv以上の空間線量率の中で暮らしている人たちもたくさんいます。
確かに、平時では異常な政策だと思います。私はこのような悲惨な状況に陥らせてしまった原発の建設にも強く反対します。
だけど、今回の政府の方針には反対する気にはなれません。除染廃棄物の減容化は多くの福島県民は望んでいることと思います。
WJFさんのことはこれからも応援したいと思っていますが、今回の記事には反論させていただきました。
安倍政権、自民党が最悪の売国政権であることは変わりませんが。
WJFプロジェクトについて
ご寄付のお願い
作品リスト
政治的立場
WJFプロジェクトは、日本の主権、伝統、国柄を守る保守的な観点から、安倍政権が推し進めるTPP参加、構造改革、規制緩和、憲法改正、安保法制、移民受入などのグローバル化政策に反対しています。
TPP交渉差止・違憲訴訟の会
YouTube
WJFプロジェクトの動画作品は以下のYouTubeのチャンネルでご覧になれます。

お知らせ
アクセス・カウンター


今日の一言
蓮舫の二重国籍問題のジレンマ

違う入り口を選んだハズなのに、ドアを開けると、同じ出口につながっている。
最新記事
コメント
<>+-
アーカイブ


RSSリンク
RSSリーダーに下のリンクを登録されると、ブログの記事やコメントの更新通知を受け取ることができます。