向心力と遠心力(2)
「文明」と「自然」の間の小刻みな往還。
花の都を振り捨てて
くれくれ参るはおぼろげか
且つは権現御覧ぜよ
青蓮の眼をあざやかに
(出典: 後白河上皇『梁塵秘抄』260)
平安末期、京都という「文明」と「政治」の華やかな表舞台を後にして、熊野という「自然」と「非政治」の隠国(こもりく)に向かおうという動きが、皇族から庶民に至るまで、あまねく人々の間に拡がった。
人々は「蟻の熊野詣」と呼ばれるほどの行列をなして熊野へと向かい、白河上皇は9回、後白河上皇は34回、後鳥羽上皇は28回もの熊野詣を重ねたと伝えられる。
「すべての道はローマに通ず」(omnes viae Romam ducunt)という古い格言に言い表されているように、道というものが、おおむね、さらなる「文明」の進展を目指す遠心運動として開かれて来た中で、またシルクロードに代表されるように、道が「文明」と「文明」の間を切り結ぶものとして開かれてきた中で、熊野古道は、「文明」から「自然」という原点に回帰しようとする求心運動を通して開かれたという点で、世界史において極めて特殊な道だった。
大航海時代に、西洋人たちが、彼らの「文明」世界から非文明世界に向かって切り開いていった海洋の道も、確かに「文明」と「自然」を切り結んだかもしれないけれども、それはあくまで「自然」の征服を目指す「文明」の遠心運動の延長線上に開かれた道なのであって、熊野古道とは、その本質を異にしている。
しかし、熊野詣は、自然への回帰という求心運動に尽きるわけではない。
熊野詣は、二つの運動からなる。
一つは、京都という「文明」の中心地から、熊野という「自然」の聖地に向かおうとする求心運動であり、
もう一つは、熊野という「自然」の聖地から、再び、京都という「文明」世界に戻ろうとする遠心運動である。
平安末期という、古代から中世へと移行する時代の転換点において、人々は、「文明」と「自然」の間の、遠心方向と求心方向の小刻みな往還運動を繰り返した。
その往還運動の中から、「自然」を背景にした新しい権力が立ち上がり、政治を再定義し、時代を更新するという出来事が生じた。
参考記事: 「歴史を形作る目に見えない力について(10)」
グローバル化と第四次産業革命がもたらす、今後ますます酸鼻を極めていく21世紀という時代の荒野は、選ばれた少数の人々を、文明の極致を目指す遠心方向への競争に駆り立てる一方、大多数の人々を「文明」や「政治」の世界から疎外し、「自然」と「非政治」の領域に置き去りにするだろう。
本来、「政治」と「非政治」を媒介する役割を担っていたはずの民主主義は全くみせかけのものとなり、機能不全に陥る。「文明」と「自然」は二つに切断され、あらゆるものが自動化されたクリーンでスマートな環境の中に生きる人々と、大地に這いつくばって泥をすするように生きることを強いられる人々の二極化が進む。
しかし、これで話が尽きるわけではないことを、歴史は私たちに示している。
疎外され、隔離された「自然」と「非政治」の中から、やがて新しい「文明」と「政治」が立ち上がる。
この新しい時代の夜明け前に、私たち日本人に求められることは、「文明」と「自然」、「政治」と「非政治」の間の小刻みな往還。
それぞれの場所、それぞれのやり方で、いわば、小さな「熊野詣」を敢行しながら、我慢強く物事を営むこと。
そのことを通して、「文明」と「自然」、「政治」と「非政治」とを切り結ぶあの古道を、日々新たな道として、自覚的に、世界に提示しなおすこと。
日本人こそが、そのような道を持つのだから。
だからこそ、あの道は、世界にとって、かけがえのない遺産なのだから。
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