分からないことについては沈黙する
情報発信を行う主体としての責任。
WJFプロジェクトは、これまでSTAP細胞の問題を一度も取り上げてきませんでした。
マスコミや大衆がこぞって、小保方晴子氏に対して激しいバッシングを行っていた時にも、小保方晴子氏を批判もしなければ擁護もしませんでした。
「嘘つきだらけの国、恥ずかしい国」というサブタイトルをもつ「悲しい国」という記事を書いて、昨今の嘘つきたちを列挙した記事を書いたこともありますが、その中でも、小保方晴子氏を取り上げていません。
STAP細胞の問題を一切語らずにきた理由は単純であり、誰が正しいことを言っているのか、一次的なソースを確認して自分の頭で判断するだけの科学的な資質を持ち合わせていないからです。
現在、小保方氏に対する評価が変わりつつあるようですが、現段階でも、小保方氏をどのように見なしたらよいのか、明証性をもって論じる資格を私は残念ながら持ち合わせてはいません。
小保方氏を叩く側であれ擁護する側であれ、第三者が述べている、二次的、三次的な意見を鵜呑みにして、それに同調することはとても簡単なことです。
服を選ぶように、自分を心地よくしてくれる意見を選べばよいだけのことだからです。
しかし、それはWJFプロジェクトのスタイルではありません。
WJFプロジェクトは、小さなブログを運営し、ささやかな動画を作っているにすぎませんが、情報発信を行う以上は、自分が世の中に流す情報について責任を持たなくてはならないと思っています。
その責任がある以上は、石橋を叩くように慎重に情報を吟味した上で発表するように心がけています。
このような所作を守っているので、それほど大きくは、過去に行った発言について、あとから訂正しなくてはならないような事態には至っていません。
しかし、ネットを見回すと、事実を確認する面倒な手間や時間を惜しんで、安易な思い込みや決めつけを放言するだけの言論に溢れています。
そのような質の悪い言論は、かえって扇情的な力をもつので、思い込みが思い込みを呼び、デマがデマを呼んで、増幅していきます。
その結果、人々が何かをこぞって支持したり、逆に何かをこぞって叩いたりする事態に至るわけですが、そのような時ほど、私たちは自分の態度決定に関して慎重であるべきであると思います。
マスコミや大衆がこぞって、小保方晴子氏に対して激しいバッシングを行っていた時にも、小保方晴子氏を批判もしなければ擁護もしませんでした。
「嘘つきだらけの国、恥ずかしい国」というサブタイトルをもつ「悲しい国」という記事を書いて、昨今の嘘つきたちを列挙した記事を書いたこともありますが、その中でも、小保方晴子氏を取り上げていません。
STAP細胞の問題を一切語らずにきた理由は単純であり、誰が正しいことを言っているのか、一次的なソースを確認して自分の頭で判断するだけの科学的な資質を持ち合わせていないからです。
現在、小保方氏に対する評価が変わりつつあるようですが、現段階でも、小保方氏をどのように見なしたらよいのか、明証性をもって論じる資格を私は残念ながら持ち合わせてはいません。
小保方氏を叩く側であれ擁護する側であれ、第三者が述べている、二次的、三次的な意見を鵜呑みにして、それに同調することはとても簡単なことです。
服を選ぶように、自分を心地よくしてくれる意見を選べばよいだけのことだからです。
しかし、それはWJFプロジェクトのスタイルではありません。
WJFプロジェクトは、小さなブログを運営し、ささやかな動画を作っているにすぎませんが、情報発信を行う以上は、自分が世の中に流す情報について責任を持たなくてはならないと思っています。
その責任がある以上は、石橋を叩くように慎重に情報を吟味した上で発表するように心がけています。
このような所作を守っているので、それほど大きくは、過去に行った発言について、あとから訂正しなくてはならないような事態には至っていません。
しかし、ネットを見回すと、事実を確認する面倒な手間や時間を惜しんで、安易な思い込みや決めつけを放言するだけの言論に溢れています。
そのような質の悪い言論は、かえって扇情的な力をもつので、思い込みが思い込みを呼び、デマがデマを呼んで、増幅していきます。
その結果、人々が何かをこぞって支持したり、逆に何かをこぞって叩いたりする事態に至るわけですが、そのような時ほど、私たちは自分の態度決定に関して慎重であるべきであると思います。
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