日本に課せられた人類史的役割

日本人が、ことさらには、自覚していなくとも。
網野善彦(1928-2004)は、2000年に出版された『「日本」とは何か』という書物の中で、次のように書くことをはばからなかった、「左翼」の歴史学者です。

長崎に原爆が投下された日から五十四年の年月を経た一九九九年八月九日、日本国の国会は、日の丸を国旗、君が代を国歌とする、政府の提出した国旗・国歌法案を、自民党・自由党・公明党と民主党の一部の賛成によって、圧倒的多数で可決、成立させた。

この法案の提案者、賛成者にとって、これは一九四五年八月十五日の敗戦以後の、長年の「懸案」の解決であり、「国」を愛する心を日本人が持つことに寄与したいという意図で、法案成立が強行されたのであろう。

私自身は、戦争中、友人を殴打、足蹴にしてはばからぬ軍人や軍国主義的教官の横暴を体験しており、その背後にたえず存在した日の丸・君が代を国旗・国歌として認めることは断じてできない。

それは個人の感情といわれるかもしれないが、この法律は二月十一日という戦前の紀元節、神武天皇の即位の日というまったく架空の日を「建国記念の日」と定める国家の、国旗・国歌を法制化したのであり、いかに解釈を変えようと、これが戦前の日の丸・君が代と基本的に異なるものでないことは明白な事実である。このように虚偽に立脚した国家を象徴し、讃えることを法の名の下で定めたのが、この国旗・国歌法であり、虚構の国を「愛する」ことなど私には不可能である。それゆえ、私はこの法に従うことを固く拒否する。

(出典: 網野善彦『「日本」とは何か』)


このような、「反日」的な歴史学者さえも、日本という国家が、人類史において特殊な使命をもった国家であることを認めないわけにはいきませんでした。

網野善彦は、同じ書物を次のような文章で締めくくっています。

日本という国号をもつ国家、それと不可分に結びついた「天皇」をその称号とする王朝は、もとよりさまざまな変遷を経ているとはいえ、ともあれ千三百年余の間、間違いなくつづいてきたのである。これは人類社会、世界の「諸民族」の歴史の中でも、あまり例のない事例であることは間違いない。しかしそれだけに、逆にいって、この国家と王朝の歴史を真に対象化し、徹底的に総括することができるならば、それは人類社会の歴史全体の中での「国家」そのもののはたした役割、また「王朝」の持ってきた意味を、根底から解明し、その克服をふくむ未来への道を解明するうえで、大きな貢献をすることができるのではなかろうか。

また「微視的」にみても、この総括をはたし切ることなしに、「日本」という国名と結びついた「日の丸」、「天皇」と不可分な「君が代」を法的に国旗・国歌とした最近の事態を根本的に覆すこともできない、と私は考える。しかし「巨視的」にみると、これは現代日本人のみが、その肩に負う歴史そのものによって、否応なしに担っている大きな課題であり、もしもその解決をみごとになしとげることができるならば、我々は人類全体の前進のためにすばらしい寄与をすることが可能となろう。

もとよりこれは長い時間の必要な、また困難の多い道であるとはいえ、「日本」という国号の当否、「天皇」自体の存廃までも十分に視野に入れ、勇気を持って着実に前進するならば、「日本論」の展望は、必ずや明るく広々とひらけてくるものと、私は確信している。

(出典: 網野善彦『「日本」とは何か』)


網野善彦は、国家なき世界の実現という「人類全体の前進」のために、現代の日本人は、世界最古の国家「日本」を、対象化し、徹底的に総括する使命をもつと言うのですが、私は、網野善彦氏とは全く違う意味で、日本は、人類史において果たすべき、重要な役割を課せられた国だと考えています。

その役割とは、国家のない未来を到来させるための役割でないことは言うまでもありませんが、逆に国家主義が席巻する世界を実現したり、「○○推進」や「反○○」の旗頭になるような政治的な役割でもありません。

あえて、例えるならば、世界各地に放置された涸れ井戸を再生させ、地下水を呼び戻すための非政治的な役割です。

網野善彦は、『無縁・公界・楽』という書物のまえがきに次のように記しています。

歴史学を一生の仕事とする決意を固めるのと、ほとんど同じころ、私は高等学校の教壇に立った。私にとって、これが初めての教師経験であり、生徒諸君の質問に窮して教壇上で絶句、立ち往生することもしばしばであったが、その中で次の二つの質問だけは鮮明に記憶している。

「あなたは、天皇の力が弱くなり、滅びそうになったと説明するが、なぜ、それでも天皇は滅びなかったのか。形だけの存在なら、取り除かれてもよかったはずなのに、なぜだれもそれができなかったのか」。これはほとんど毎年のごとく、私が平安末・鎌倉初期の内乱、南北朝の動乱、戦国・織豊期の動乱の授業をしているときに現れた。伝統の利用、権力者の弱さなど等々、あれこれの説明はこの質問者を一応、だまらせることはできたが、どうにも納得しがたいものが、私自身の心の中に深く根を下ろしていったのである。

もう一つの質問に対しては、私は一言の説明もなしえず、完全に頭を下げざるをえなかった。「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか。ほかの時代ではなく、どうしてこの時代にこのような現象がおこったのか。説明せよ。」

この二つの質問には、いまも私は完全な解答を出すことができない。

(出典: 網野善彦『無縁・公界・楽』)


網野善彦が答えられなかったという、この二つの問いと、日本に課せられた人類史的役割とは、深く関連し合うものだと思います。

私たちは、この役割をナルシズムに歪められることのない醒めた目で、できるだけ知的に把握する必要があります。

「グローバリズムと神道」というカテゴリーの記事は、その役割を解明するための糸口や、理解の枠組みを模索するために書かれています。
*
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

WJFプロジェクトについて
ご寄付のお願い
作品リスト
政治的立場
WJFプロジェクトは、日本の主権、伝統、国柄を守る保守的な観点から、安倍政権が推し進めるTPP参加、構造改革、規制緩和、憲法改正、安保法制、移民受入などのグローバル化政策に反対しています。
TPP交渉差止・違憲訴訟の会
YouTube
WJFプロジェクトの動画作品は以下のYouTubeのチャンネルでご覧になれます。

お知らせ
アクセス・カウンター


今日の一言
蓮舫の二重国籍問題のジレンマ

違う入り口を選んだハズなのに、ドアを開けると、同じ出口につながっている。
最新記事
コメント
<>+-
アーカイブ


RSSリンク
RSSリーダーに下のリンクを登録されると、ブログの記事やコメントの更新通知を受け取ることができます。