歴史を形作る目に見えない力について(12)

役小角、その野生のレジスタンス(4)
現代にまで続く、日本国の基本的な枠組みを設計したのは、藤原不比等(659-720年)という人物です。彼は、「政治」(ノモス)の領域における巨人であり、日本国のみならず、1300年間途絶えることのない藤原氏繁栄の礎を築きました。

藤原不比等の対極に位置するのが、役小角(伝634-伝701年)です。彼は「非政治」(ピュシス)の領域における巨人であり、隠然たる目に見えない影響力をおよぼして、日本の歴史を内部から変質させてきました。

これまでも簡単に指摘してきましたが、役小角が開いた修験道と、中世日本(武士の時代)の成立には密接な内的な関係があります。

今の私たちが、真に「日本らしい」と認識する文化が開花したのは、平安後期から中世(鎌倉時代・室町時代)や近世(安土桃山時代・江戸時代)にかけてのことですが、このような新しい時代が開かれる上での精神革命を、藤原不比等がその比類なき「政治」力を駆使して律令国家を設計していた白鳳時代に、すでに用意していたのが役小角という「非政治」の分野の天才でした。

宗教や人間に関するある洞察力をもたないと、私たちは、政治や権力に関する知識だけでは、人類の歴史を正しく解き明かすことはできません。

いわゆる陰謀論者は、世界の権力者たちが、一元的に人類の歴史を決定してきたし、これからの未来をも決定しうるかのように語りますが、少なくとも日本に関しては、「政治」の権力を握った人々だけが、その歴史を形作ってきたわけではないことが、本論の考察を通して明らかになっていくはずです。

本論は、また、安倍政権による「政治」の横暴を目の前にしながら、あまりに非力な「非政治」的存在にすぎない私たちにとっての、かすかな希望を探索する目的でも記されています。

さて、役小角に関する最初期の二つの文献は、役小角を律令政府に讒言した二人の人物(一人は神)の名を挙げていました。

一人は、従五位下韓国連広足(じゅごいげ・からくにのむらじひろたり)という律令政府の役人であり、

もう一人は、一言主(ひとことぬし)という、古事記や日本書紀の人代篇で、賀茂氏(役小角の属する氏族)の本拠地である葛城山に登場する謎に満ちた神様です。

この二者については、簡略に、wikipediaの説明を引用させていただきます。

韓国広足

韓国広足(からくに の ひろたり、生没年不詳)は、7世紀末から8世紀の日本にいた呪術者である。姓(カバネ)は連。氏は物部韓国(もののべのからくに)ともいう。役小角を師としたが、699年に小角を告発した。呪禁の名人として朝廷に仕え、732年に典薬頭になった。外従五位下。

事績

韓国氏は古代の有力氏族である物部氏の分かれで、先祖が遣わされた国にちなんで改姓したと伝えられる。在来の氏族ではあるが、その系譜から外来の知識・技能を学ぶに適した伝統があったと思われる。

『続日本紀』によれば、文武天皇3年(699年)5月24日に呪術者の役小角が伊豆島に遠流された。外従五位下韓国連広足は小角を師としたが、後にその才能をねたんで(あるいは悪いことに使われ)、妖惑だと讒言した。この箇所の解釈には、讒言したのは誰か別の人であるとしたり、そもそも広足が小角を師としたくだりが後世の挿入だとする説もある。『続日本紀』には外従五位下とあるが、韓国がこの位を授けられたのは天平3年だから、この時点ではもっと低かったはずである。役小角は修験道の祖として有名な人だが、確かな歴史事実はこの事件のみで、他の事績は伝説に包まれている。妖惑とされた事実の有無・内容については不明だが、「讒言」という評価は『続日本紀』が編纂された100年後までの後世にできたものであろう。

韓国広足は、『藤氏家伝』の「武智麻呂伝」に、余仁軍とともに呪禁の名人として記される。また、大宝令の注釈である『古記』に「道術符禁は道士の法で今辛国連がこれを行なう」とある。この辛国連(韓国連)は、広足のことであろう。広足の呪禁は道教的な術であったと考えられる。

天平3年(731年)1月27日に物部韓国広足は外従五位下になった。翌4年(732年)10月17日に典薬頭に任命された。典薬寮には呪禁博士1人、呪禁師2人、呪禁生6人が配属されていたので、広足は朝廷の呪禁者として勤め、典薬頭に上りつめたのであろう。その後の事績は不明である。

(出典: Wikipedia 韓国広足)


一言主

一言主(ひとことぬし)は、日本の神である。

神話・歴史書の記述

『古事記』(712年)の下つ巻に登場するのが初出である。460年(雄略天皇4年)、雄略天皇が葛城山へ鹿狩りをしに行ったとき、紅紐の付いた青摺の衣を着た、天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを見附けた。雄略天皇が名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えた。天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて一言主神に差し上げた。一言主神はそれを受け取り、天皇の一行を見送った、とある。

少し後の720年に書かれた『日本書紀』では、雄略天皇が一言主神に出会う所までは同じだが、その後共に狩りをして楽しんだと書かれていて、天皇と対等の立場になっている。時代が下がって797年に書かれた『続日本紀』の巻25では、高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争ったため、天皇の怒りに触れて土佐国に流された、と書かれている。これは、一言主を祀っていた賀茂氏の地位がこの間に低下したためではないかと言われている。(ただし、高鴨神は、現在高鴨神社に祀られている迦毛大御神こと味耜高彦根神であるとする説もある)

さらに、822年の『日本霊異記』では、一言主は役行者(これも賀茂氏の一族である)に使役される神にまで地位が低下しており、役行者が伊豆国に流されたのは、不満を持った一言主が朝廷に讒言したためである、と書かれている。役行者は一言主を呪法で縛り、『日本霊異記』執筆の時点でもまだそれが解けないとある。また、能の演目『葛城』では、女神とされている。

信仰

葛城山麓の奈良県御所市にある葛城一言主神社が全国の一言主神社の総本社となっている。地元では「いちごんさん」と呼ばれており、一言の願いであれば何でも聞き届ける神とされ、「無言まいり」の神として信仰されている。このほか、『続日本紀』で流されたと書かれている土佐国には、一言主を祀る土佐神社があり土佐国一宮になっている。ただし、祀られているのは味鋤高彦根神であるとする説もあり、現在は両神ともが主祭神とされている。名前の類似から、大国主命の子の事代主神と同一視されることもある。

(出典: Wikipedia 一言主)


この二者に共通しているのは、役小角と同じ分野(呪術)や、場所(葛城山)で活躍していた人物/神様であるという点です。

同じ分野や場所で活躍していたが故に、役小角とオーソリティー(権威)の座を争わざるをえなくなったこの二者は、役小角を律令政府に讒言し、伊豆の地に追放することに成功し、「政治」的に役小角に勝利します。

この「政治」的な謀略劇を通して、役小角をオーソリティーの座から締め出そうとした二者は、それぞれ次の二つの制度を代表し、また象徴しています。



韓国広足は「官僚制度(律令制度)」を。

一言主は「氏族制度(神祇信仰)」を。

律令政府において、官僚制度を管轄していたのが太政官であり、氏姓制度を支える神祇信仰を管轄していたのが神祇官でした。

日本は、中国から律令制度を導入しましたが、科挙を導入しなかったことから分かるように、中国というグローバルな政治環境の中で練り上げられていった実力主義の官僚制度を完全な形で国内に持ち込んだわけではなく、日本から従来ある氏族制度と、律令的な位階制度をたくみに「習合」させる形で、中国の政治制度を導入しました。だからこそ、律令制度の導入と並行して、従来の氏族制度を維持・強化するために、古事記や日本書紀や風土記を編纂し、各氏族の祖霊崇拝をその主要な要素とする、神祇信仰をオーソライズし体系化する必要も生じたのです。

そして、新しい時代の主要な構成要素となるはずだった二つの制度。

官僚制度からも氏族制度からも爪弾きにされて、伊豆に流されたのが役小角でした。

これは、完全なる「政治」的敗北です。

しかし、役小角の「政治」的敗北は、敗北のまま終わったでしょうか。

答えは、「いいえ」です。
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