三橋貴明氏の弁明
「構造改革(TPP)」を行う政党の「財政出動」は讃えられるべきか。
昨日、13日午前2時18分、WJFプロジェクトは「参院選に向けた新たなミスリード」というタイトルの記事を公開し、昨今の三橋貴明氏の言論が、TPPのような「構造改革」の問題を放置する一方、「財政政策」に集中している傾向に触れ、これが、来る参院選に向けて、消費税増税延期や大規模な経済対策を行うであろう自民党への支持を呼びかけるための布石である可能性を指摘しました。
三橋氏は、上の記事を読まれたのか、あたかもWJFの指摘に応答するかのように、昨日、「財政政策と構造改革」と題した記事を上げ、なぜ今、「財政政策」を特化して論じる必要があるのか弁明されています。
三橋氏の説明に、注意深く耳を傾けてみたいと思います。
三橋氏の説明を下のように要約することができます。
さて、三橋貴明氏のこの主張は正しいものでしょうか。
デフレ下とインフレ下では正しい経済政策が異なるというのは、三橋氏のかねてよりの主張ですが、
という主張は,本当に正しいものでしょうか。
いいえ。
デフレ下では「間違っている規制緩和(構造改革)」が、インフレ下であれば「正しい規制緩和(構造改革)」に転じるという考えは、根本から誤っています。
なぜか。
そもそも規制とは、雇用や価格を調整したり、インフレギャップやデフレギャップを埋めるために導入されたり撤廃されたりするものではないからです。
三橋氏があげた「安全保障」という特定の分野のみならず、すべての規制は、「インフレか、デフレか」という経済状況とはまったく無関係に、「国民の安全」という観点から一義的に導入されてきたものです。
例として、三橋氏が取り上げた運輸業界を取り上げてみましょう。
なぜ従来、大型のトレーラーの連結走行は、規制によって禁じられてきたのか。
いうまでもなく、この規制は、運輸業界の人手不足や人余りを解消するために導入されたわけではありません。
山がちな日本の地理的な特徴や、そこに建設されるカーブや曲がり角が多く道幅の狭い日本の道路事情に合わせて、安全な通行を担保し、事故を未然に防ぎ、トラック運転手や道路を使用する国民全般を危険から守るために規制が設けられています。
トラックの規制のみならず、食品に関する規制も、輸入に関する規制も、労働に関する規制も、農業生産に関する規制も、投資に関する規制も、建築に関する規制も、あらゆる規制は、すべて「国民の安全」という観点から作られています。
規制を撤廃すべきか否かという問題は、「国民の安全」を守る上で有効なのか否かという観点から論じるべきであり、現在の経済状況が、インフレなのかデフレなのかによって判断すべきものではありません。
インフレになろうが、デフレになろうが、山がちな日本の地理的条件が、大型の連結トレーラーの運転に適した、アメリカのような大平原に変化するわけではありません。
従って、三橋氏の言うように、インフレだからといって、「国民の安全」を守るために必要なものとして作られてきた規制の緩和や撤廃や改正が、自動的に「正しい規制緩和」に転じるはずがないのです。
仮に三橋氏の言うように規制緩和(構造改革)が、本当に人手不足の解消につながったとしても、その規制の撤廃が国民の安全を犠牲にして行われるものならば、それは「間違った規制緩和(構造改革)」です。
そもそも、規制を撤廃すれば、人手不足の解消につながるという発想自体が疑わしいのではないでしょうか。
人手不足は、生産効率の向上や、労働環境の改善、賃金の向上という企業の自助努力によって解消すべきものなのであり、そのような形で解消されてこそ、インフレは次なる経済成長への誘因として機能します。
景気がよくなり、仕事が増えれば、人手が足らなくなるのは自然なことです。
ここで、規制緩和(構造改革)のような余計な介入を政府が行わないかぎり、人手不足に直面した企業は自分たちの努力でなんとか解決しなければなりません。
企業は人を集めるために賃上げをせざるを得なくなり、賃上げは消費の活性化をもたらし、消費の活性化は需要の増大をもたらし、需要の増大は企業にさらなる成長をもたらします。
企業が成長すれば、再び人手が足らなくなる。その人手不足を、再び企業の自助努力で克服していく。このようにして日本の経済は一歩一歩、大きく成長してきたはずです。
しかし、人手不足が発生しているからといって、企業の自助努力を促す代わりに、政府が規制緩和(構造改革)という余計な介入をおこない、一人のトラック運転手が従来の二倍の貨物を輸送することを可能にするような規制の改正を行ったらどうなるか。
一人のトラック運転手が従来の二倍の貨物を運ぶということは、労働者の負担が従来の二倍に増えることを意味します。
これは人手不足という問題を、企業努力ではなく、労働者への一方的なしわ寄せによって解決することを意味します。
このように労働環境や労働条件が悪化すれば、人はますます運輸業界に集まらなくなります。
すると、新興国から低賃金の単純労働者を受け入れる、さらなる規制緩和(構造改革)を求める声が高まります。
企業が賃上げをすることなく、人手不足が解消できてしまうならば、消費は低迷し需要は減退します。需要の減退によって、人手不足はやがて解消されるかもしませんが、インフレだからといって企業の自助努力を促す代わりに規制緩和(構造改革)を行えば、デフレ不況への大きな、誘因となります。
そして、これこそが、構造改革(規制緩和)を重ねて、消費を収縮させてきた、90年代以降の日本がたどってきた道のりではありませんか。
前回の記事で、私は、安倍政権が参院選に向けて「積極財政」を採用することにより、
という従来のアベノミクスが、
という三つの経済政策の組み合わせに一時的に転じたとしても、「構造改革」が実行される限り、大きな違いはないと述べました。
「構造改革」によって外国人労働者や派遣労働者が増え、外国企業が日本の公共事業に参入し、投資の自由化に伴い外国人投資家による日本企業への締め付けがますます強まり、資本の原理が強化され、日本企業の役員も外国人が占めるようになり、過当競争が激化し、一人のトラック運転手が二台分の荷物を運ばなければならないような状況が作り出された上で、政府がどんなに需要を創出したとしても、末端の国民の生活は上向かず、消費が活性化することは考えられないからです。
しかし、三橋先生の主張に基づけば、「金融緩和」+「積極財政」の組み合わせにより、デフレを克服し、一定のインフレ率を実現させることに成功しさえすれば、安全保障のような限られた例外を除く規制緩和(構造改革)は、自動的に「正しい規制緩和」に転じ、正当化されることになります。
すると、リフレ派の考えに基づく従来のアベノミクスと、三橋氏の主張とでは、「金融緩和」だけでインフレ率を達成するのか、「金融緩和」+「財政政策」の二つでインフレ率を達成するのかの違いでしかなくなってしまいます。
インフレ下であれば規制緩和(構造改革)は「正しい規制緩和」に転じるのだから、とにかく「財政政策」に特化し、積極財政だけを行っていればよいという発想は、規制が作られた本来の意義や目的を完全に忘却し、企業の便益になりさえすれば国民の安全を犠牲にしてもよいと考えるに等しいものであり、これは新自由主義者の発想とほとんど変わらないものです。
まして、安倍政権が、「成長戦略の切り札」「成長戦略の柱」と読んできたTPPという規制緩和(構造改革)は、三橋氏がかねてから述べられてきた通り、「日本国の主権の喪失」を意味するものです。
インフレ下であり、人手不足が発生しているならば、「日本国の主権の喪失」は「正しい規制緩和」に転じると三橋氏はお考えなのでしょうか。
インフレであろうがデフレであろうが、「日本国の主権の喪失」が「正しい規制緩和」になりうるはずがないのは、わざわざ言うまでもない自明のことがらです。
以上の点により、「インフレ下で規制緩和は正しいものに転じる」などといい、TPPや国家戦略特区のような「構造改革(規制緩和)」の危険性を黙殺しながら、参院選に向けて「財政政策」を単一争点化しつつある三橋貴明氏の昨今の言論姿勢は、まったく誤った姿勢であると申し上げざるをえません。
景気が落ち込んでいる目下の状況下で、財政出動や減税が行われなくてはならないのは当然なのですが、「積極財政」がすべての問題を解決するかのような幻想を振りまいたり、「積極財政」を理由に自民党に支持を呼びかけるようなことがあってはなりません。
自民党は、TPPという「日本国の主権の喪失」「日本の破滅と解体」「日本の亡国」を実現させようと熱心に画策しているからです。
財政出動をやろうが、消費税増税を延期しようが、日本に終わりをもたらそうとしている政党を支持していいわけがないでありません。
従って、上の三橋氏の記事の最後の一文は、
次のように書き換えられるべきです。
三橋氏は、上の記事を読まれたのか、あたかもWJFの指摘に応答するかのように、昨日、「財政政策と構造改革」と題した記事を上げ、なぜ今、「財政政策」を特化して論じる必要があるのか弁明されています。
三橋氏の説明に、注意深く耳を傾けてみたいと思います。
(前略)
需要不足に対する施策が、「介入主義的な財政政策の導入」はともかく、なぜ構造改革なのか、相変わらずさっぱりわかりません。
現時点で需要があるにも関わらず、政府の規制が「壁」となり、投資が妨げられているというならば、まだしも規制緩和という構造改革を実施する意味が理解できます。具体的な例をあげておくと、運送業界です。
国土交通省は、トラックのドライバー不足への対策として、荷物を積み込む大型のトレーラーを連結した走行が可能になるよう規制を緩和する方針を明らかにしました。一人のドライバーが、大型トラック2台分の荷物を一度に運べるようにすることで、人手不足、インフレギャップを埋めるという話で、これは正しい規制緩和です。
それに対し、構造改革派が求めているのは、需要が不足している状況で参入障壁を取り払い、「他の国民の所得を奪う」ことを促進する規制緩和になります。スティグリッツ教授の資料にもありましたが、
『https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kokusaikinyu/dai1/gijisidai.html
適切な需要なしには、サプライサイドの改革は失業を増加させるだけで、経済成長には寄与しない。
低生産性部門からゼロ生産性、つまりは人々を失業に追いやるだけ。
供給は、それ自体の需要を作り出さない。
実際にサプライサイドの改革は需要を弱め、GDPを低下させる。』
のでございます。
世の中には頭が弱い連中が少なくなく、三橋がスティグリッツ教授同様に、
「需要が不足している分野での構造改革(規制緩和)は間違い」
と主張し、さらに需要に対し供給能力が不足している運送業界の規制緩和は「正しい」と書くと、すかさず、
「ダブルスタンダードだ!」
などとやってくるわけでございます。三橋は「デフレギャップ環境下での規制緩和は間違い。インフレギャップ下での規制緩和は正しい」と、極々当たり前のことを言っているに過ぎません。
もちろん、インフレギャップだろうがデフレギャップだろうが、安全保障上の理由から規制緩和をしてはいけない分野もあります。たとえば、自衛隊や警察が人手不足、インフレギャップになったとして、
「ならば、外国人を自衛隊に入隊させる規制緩和をやろう」
などとやるわけにはいきません。日本の自衛隊員の不足を、仮想敵国の中国人で埋めることの愚かしさは、幼稚園児でも理解できるでしょう。(別に、中国人でなくとも、外国人である時点で自衛隊に入隊させてはいけません)
要するに、全ての政策は単なる手段であり、正しい時期もあれば、間違っている時期もある。せめて「安全保障」と「インフレ期・デフレ期」の二つのパラメータだけでも、政策を立案する際には考慮すべき、という話です。
というわけで、現在の日本あるいは「世界」に必要なのは、大規模な「財政政策の導入」になります。金利がどれだけ低迷しようとも、需要がない状況では民間企業はカネを借りないのです。
(中略)
この状況を受け、「政府の財政出動による国内需要の創出」ではなく「構造改革」を強調する場合、その人は余程、情報の認識能力がないか、もしくは何らかの別の目的(自らの利益拡大など)があるとしか思えないのです。
「政府の財政出動による需要創出を支持する」と、思われた方は、↓このリンクをクリックを!
(出典: 三橋貴明ブログ「財政政策と構造改革」2016年4月13日)
三橋氏の説明を下のように要約することができます。
・規制緩和(構造改革)が常に間違っているわけではなく、正しい時期もあれば、間違っている時期もある
・デフレ下での規制緩和(構造改革)は間違っているが、インフレ下での規制緩和(構造改革)は正しい
・安全保障のように、デフレかインフレかに関わらず、規制緩和(構造改革)をしてはならない分野もある
・デフレを克服するために、政府の財政出動による需要創出を行わなくてはならない
・「構造改革」よりも「財政政策」を強調すべきである
さて、三橋貴明氏のこの主張は正しいものでしょうか。
デフレ下とインフレ下では正しい経済政策が異なるというのは、三橋氏のかねてよりの主張ですが、
デフレ下での規制緩和(構造改革)は間違っているが、インフレ下での規制緩和(構造改革)は正しい
という主張は,本当に正しいものでしょうか。
いいえ。
デフレ下では「間違っている規制緩和(構造改革)」が、インフレ下であれば「正しい規制緩和(構造改革)」に転じるという考えは、根本から誤っています。
なぜか。
そもそも規制とは、雇用や価格を調整したり、インフレギャップやデフレギャップを埋めるために導入されたり撤廃されたりするものではないからです。
三橋氏があげた「安全保障」という特定の分野のみならず、すべての規制は、「インフレか、デフレか」という経済状況とはまったく無関係に、「国民の安全」という観点から一義的に導入されてきたものです。
例として、三橋氏が取り上げた運輸業界を取り上げてみましょう。
なぜ従来、大型のトレーラーの連結走行は、規制によって禁じられてきたのか。
いうまでもなく、この規制は、運輸業界の人手不足や人余りを解消するために導入されたわけではありません。
山がちな日本の地理的な特徴や、そこに建設されるカーブや曲がり角が多く道幅の狭い日本の道路事情に合わせて、安全な通行を担保し、事故を未然に防ぎ、トラック運転手や道路を使用する国民全般を危険から守るために規制が設けられています。
トラックの規制のみならず、食品に関する規制も、輸入に関する規制も、労働に関する規制も、農業生産に関する規制も、投資に関する規制も、建築に関する規制も、あらゆる規制は、すべて「国民の安全」という観点から作られています。
規制を撤廃すべきか否かという問題は、「国民の安全」を守る上で有効なのか否かという観点から論じるべきであり、現在の経済状況が、インフレなのかデフレなのかによって判断すべきものではありません。
インフレになろうが、デフレになろうが、山がちな日本の地理的条件が、大型の連結トレーラーの運転に適した、アメリカのような大平原に変化するわけではありません。
従って、三橋氏の言うように、インフレだからといって、「国民の安全」を守るために必要なものとして作られてきた規制の緩和や撤廃や改正が、自動的に「正しい規制緩和」に転じるはずがないのです。
仮に三橋氏の言うように規制緩和(構造改革)が、本当に人手不足の解消につながったとしても、その規制の撤廃が国民の安全を犠牲にして行われるものならば、それは「間違った規制緩和(構造改革)」です。
そもそも、規制を撤廃すれば、人手不足の解消につながるという発想自体が疑わしいのではないでしょうか。
人手不足は、生産効率の向上や、労働環境の改善、賃金の向上という企業の自助努力によって解消すべきものなのであり、そのような形で解消されてこそ、インフレは次なる経済成長への誘因として機能します。
景気がよくなり、仕事が増えれば、人手が足らなくなるのは自然なことです。
ここで、規制緩和(構造改革)のような余計な介入を政府が行わないかぎり、人手不足に直面した企業は自分たちの努力でなんとか解決しなければなりません。
企業は人を集めるために賃上げをせざるを得なくなり、賃上げは消費の活性化をもたらし、消費の活性化は需要の増大をもたらし、需要の増大は企業にさらなる成長をもたらします。
企業が成長すれば、再び人手が足らなくなる。その人手不足を、再び企業の自助努力で克服していく。このようにして日本の経済は一歩一歩、大きく成長してきたはずです。
しかし、人手不足が発生しているからといって、企業の自助努力を促す代わりに、政府が規制緩和(構造改革)という余計な介入をおこない、一人のトラック運転手が従来の二倍の貨物を輸送することを可能にするような規制の改正を行ったらどうなるか。
一人のトラック運転手が従来の二倍の貨物を運ぶということは、労働者の負担が従来の二倍に増えることを意味します。
これは人手不足という問題を、企業努力ではなく、労働者への一方的なしわ寄せによって解決することを意味します。
このように労働環境や労働条件が悪化すれば、人はますます運輸業界に集まらなくなります。
すると、新興国から低賃金の単純労働者を受け入れる、さらなる規制緩和(構造改革)を求める声が高まります。
企業が賃上げをすることなく、人手不足が解消できてしまうならば、消費は低迷し需要は減退します。需要の減退によって、人手不足はやがて解消されるかもしませんが、インフレだからといって企業の自助努力を促す代わりに規制緩和(構造改革)を行えば、デフレ不況への大きな、誘因となります。
そして、これこそが、構造改革(規制緩和)を重ねて、消費を収縮させてきた、90年代以降の日本がたどってきた道のりではありませんか。
前回の記事で、私は、安倍政権が参院選に向けて「積極財政」を採用することにより、
「金融緩和」+「緊縮財政」+「構造改革」
という従来のアベノミクスが、
「金融緩和」+「積極財政」+「構造改革」
という三つの経済政策の組み合わせに一時的に転じたとしても、「構造改革」が実行される限り、大きな違いはないと述べました。
「構造改革」によって外国人労働者や派遣労働者が増え、外国企業が日本の公共事業に参入し、投資の自由化に伴い外国人投資家による日本企業への締め付けがますます強まり、資本の原理が強化され、日本企業の役員も外国人が占めるようになり、過当競争が激化し、一人のトラック運転手が二台分の荷物を運ばなければならないような状況が作り出された上で、政府がどんなに需要を創出したとしても、末端の国民の生活は上向かず、消費が活性化することは考えられないからです。
しかし、三橋先生の主張に基づけば、「金融緩和」+「積極財政」の組み合わせにより、デフレを克服し、一定のインフレ率を実現させることに成功しさえすれば、安全保障のような限られた例外を除く規制緩和(構造改革)は、自動的に「正しい規制緩和」に転じ、正当化されることになります。
すると、リフレ派の考えに基づく従来のアベノミクスと、三橋氏の主張とでは、「金融緩和」だけでインフレ率を達成するのか、「金融緩和」+「財政政策」の二つでインフレ率を達成するのかの違いでしかなくなってしまいます。
インフレ下であれば規制緩和(構造改革)は「正しい規制緩和」に転じるのだから、とにかく「財政政策」に特化し、積極財政だけを行っていればよいという発想は、規制が作られた本来の意義や目的を完全に忘却し、企業の便益になりさえすれば国民の安全を犠牲にしてもよいと考えるに等しいものであり、これは新自由主義者の発想とほとんど変わらないものです。
まして、安倍政権が、「成長戦略の切り札」「成長戦略の柱」と読んできたTPPという規制緩和(構造改革)は、三橋氏がかねてから述べられてきた通り、「日本国の主権の喪失」を意味するものです。
インフレ下であり、人手不足が発生しているならば、「日本国の主権の喪失」は「正しい規制緩和」に転じると三橋氏はお考えなのでしょうか。
インフレであろうがデフレであろうが、「日本国の主権の喪失」が「正しい規制緩和」になりうるはずがないのは、わざわざ言うまでもない自明のことがらです。
以上の点により、「インフレ下で規制緩和は正しいものに転じる」などといい、TPPや国家戦略特区のような「構造改革(規制緩和)」の危険性を黙殺しながら、参院選に向けて「財政政策」を単一争点化しつつある三橋貴明氏の昨今の言論姿勢は、まったく誤った姿勢であると申し上げざるをえません。
景気が落ち込んでいる目下の状況下で、財政出動や減税が行われなくてはならないのは当然なのですが、「積極財政」がすべての問題を解決するかのような幻想を振りまいたり、「積極財政」を理由に自民党に支持を呼びかけるようなことがあってはなりません。
自民党は、TPPという「日本国の主権の喪失」「日本の破滅と解体」「日本の亡国」を実現させようと熱心に画策しているからです。
財政出動をやろうが、消費税増税を延期しようが、日本に終わりをもたらそうとしている政党を支持していいわけがないでありません。
従って、上の三橋氏の記事の最後の一文は、
この状況を受け、「政府の財政出動による国内需要の創出」ではなく「構造改革」を強調する場合、その人は余程、情報の認識能力がないか、もしくは何らかの別の目的(自らの利益拡大など)があるとしか思えないのです。
次のように書き換えられるべきです。
この状況を受け、「構造改革」ではなく、「政府の財政出動による国内需要の創出」を強調する場合、その人は余程、情報の認識能力がないか、もしくは何らかの別の目的(自らの利益拡大など)があるとしか思えないのです。
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