歴史を形作る目に見えない力について(6)

国家が抱える二律背反。
国家というものが、歴史的・文化的・民族的背景を同じくする集団による、対外的な自己同一性の表明であるとするならば、国際的な標準とみなされている既存の国家の概念や形式とすりあわせることによって、それを行う必要があります。

この観点から見れば、律令体制、明治体制、戦後体制の日本が、対外的な危機に直面した時、外国の政治制度を採用することで国家再編を計ったことは、やはり、必然的なことであり、不可避なことであったと思います。

しかし、その際に、「意識的」「政治的」「人為的」に、外国から新しく導入された制度が、日本人が長い時間をかけて、「無意識的」「非政治的」「自然的」に醸成してきた文化や精神と大きく乖離するものであるならば、そこに深刻な摩擦や葛藤を引き起こすことになります。

まして、TPPのように、国家と国家が、ひたすらお互いの「すりあわせ」に狂奔し、ひとつながりとなった膨張した国家(=TPP連邦)を誕生させようとするならば、国家と、その内部に生きる人々との乖離と断絶は、絶望的なまでに拡大してしまいます。

律令体制が着々と準備されていた白鳳時代における、役小角の伊豆への追放とは、国家と、その内部に生きる人間との摩擦の一例に他ならなかったわけですが、役小角のみならず、律令制によって、大きな権力と権威を保証されたはずの天皇(皇室)と、律令政府(藤原氏)の間にも、律令制導入の直後から大きな亀裂が生じました。

律令体制の完成によって始まる奈良時代(710-794)とは、長屋王の変や、恵美押勝の乱で知られるとおり、皇室と藤原氏が政争を繰り返した時代であり、藤原氏の実質的な家祖である藤原不比等が設計した律令体制の枠組みから逃れ、記紀の編纂によって整備された神祇信仰に背を向けるかのように、天皇や皇族が、時には狂信的なまでに仏教へと傾倒していった時代でした。聖武天皇の大仏建造や、聖武天皇の娘である称徳天皇(孝謙天皇)が起こした宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)は、このような歴史的文脈の中で理解する必要があります。

天皇みずからが、律令体制(=藤原氏体制)から逃れようとしたのですから、律令制の批判は、必ずしも皇室の批判を意味するわけではありません。

「意識的」「政治的」「人為的」に立ち上げられた「国家」(=天神的原理: 外国の制度と結びつく傾向がある)
「無意識的」「非政治的」「自然的」に先行して存在する「クニ」(=地祇的原理: 土着の姿に回帰しようとする)

この二つは、相互に浸透し融和していく必要があるのですが、片方の原理ばかりが優勢になるとどういうことになるのか、一つの例を取り上げたいと思います。

その例とは、支那事変が始まった年である1937年の3月に文部省によって発行された『国体の本義』というパンフレットです。

このパンフレットの内容については、今後も、様々な角度から論じていきたいと思いますが、本日は、律令体制と、その崩壊後に現れた武家政権を、『国体の本義』がどう解釈しているかを紹介するにとどめます。

まず、『国体の本義』は、記紀神話が物語る、大国主の「国譲り」が、江戸幕府から明治天皇への大政奉還や版籍奉還の原型であったと指摘しています。

かくて国土を奉献せられた大国主ノ神は、大神より荘麗な宮居を造り与へられて優遇せられた。而して大国主ノ神は、今日出雲大社に祀られ、永遠に我が国を護られることとなつた。我等は、こゝに徳川幕府末期の大政奉還及びその後の版籍奉還によつて、源頼朝の創始した幕府が亡び、大政全く朝廷に帰した明治維新の王政復古の大精神の先蹤を見るのである。

律令制や武家政権に関しては、次のように語っています。

推古天皇の御代に定められた冠位十二階の制度は、氏族専横のときにあつて、天皇中心の大義、一視同仁の大御心を明らかにせられ、何人もすべてその志を遂げて聖業を翼賛し奉るべきことを御示しになつたものである。又憲法十七条に於ては、和の精神を始め、国に二君なく民に両主なき事を昭示遊ばされ、君民公私の道理を明らかにし給うてゐる。この君臣の大義、一視同仁の御精神の大化の改新に於て現れたものを見るに、中ノ大兄ノ皇子の奉答文には「天に双日なく、国に二王なし。是の故に天下を兼ね併せて、万民を使ひたまふべきは唯天皇のみ」とあり、又天皇は国司に「他の貨賂を取りて民を貧苦に致さしむることを得ず」と詔らせられてゐる。

かくて大化の改新は、氏族の私有せる部民田荘を奉還せしめ、一切の政権を挙げて朝廷に帰し、陋習打破のために外来の思想・制度をも参酌せられたのであるが、大化元年の詔には、

当に上古の聖王の跡に遵ひて、天下を治むべし。

と仰せられ、又同三年の詔には、

惟神も我が子治さむと故寄させき。是を以て天地の初より君と臨す国なり。……是の故に今は随在天神も治平くべきの運に属りて、斯等を悟らしめて、国を治め民を治むること、是を先にし是を後にす。今日明日、次ぎて続きて詔せむ。

と宣はせられ、惟紳肇国の大義によつて、現御神にまします天皇を中心とする古の精神に復さんとする宏謨を示し給うた。又蘇我石川麻呂が「先づ以て神祇紙を祭ひ鎮めて、然して後に応に政事を議るべし」と奏せるが如きは、古来の祭政一致の体制に則とらんとするものである。かくの如く復古維新の精神によつて改革が行はれ、天業が恢弘せられて行くところに、我が惟神の大道の顕現を見ることが出来る。

この改革は大化年代を以て完成せられたのではなく、更に文武天皇の御世に及んでゐる。即ち諸般の法令は、近江令によつて纒められ、次いで大宝の律令制度となり、更に養老の修正を見た。天武天皇は、大いに神祇を崇敬せられ、又上古の諸事の撰録及び後葉に伝ふべき帝紀の編纂に著手せしめ給うた。この御精神御事業は、継承せられて、後に古事記の撰録、日本書紀の編纂となつた。

先に蘇我氏の無道僭上が除かれ、我が国本来の大道に復帰したことを述べたのであるが、称徳天皇の御代には、僧道鏡が威権朝野を圧して非望を懐くに至つた。併しながらこれに対して、和気ノ清席呂が勅によつて神の御教を拝し、毅然たる精神を以て、一身の安危を忘れ、敢然立つてその非望を挫いた。清麻呂の復命した神の御教は、続日本紀に、

我が国家開闢より此来、君臣定りぬ。臣を以て君と為ること未だ之れ有らざるなり。天ツ日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除くべし。

と見えてゐる。清麻呂は、これによつてよく天壌無窮の皇位を護り、皇運扶翼の大任を果したのであつて、後に孝明天皇は、清麻呂に護王大明神の神号を賜うたのである。

源頼朝が、平家討減後、守護・地頭の設置を奏請して全国の土地管理を行ひ、政権を掌握して幕府政治を開いたことは、まことに我が国体に反する政治の変態であつた。それ故、明治天皇は、陸海軍軍人に下し賜へる勅諭に於て、幕府政治について「且は我国体に戻り且は我祖宗の御制に背き奉り浅間しき次第なりき」と仰せられ、更に「再び中世以降の如き失体なからんことを望むなり」と御誡めになつてゐる。

源頼朝よりはじまる武家政権は、「我が国体に反する政治の変態」であり、明治天皇は、「再び中世以降の如き失体なからんことを望むなり」と宣うたと『国体の本義』は記しています。

しかし、本当に、律令体制の瓦解と、武家政権の誕生は、日本の歴史において、在るベからざる異常な事態であったのか。

むしろ、律令制という、中国大陸から「意識的」「政治的」「人為的」導入された日本人のもともとのあり方とは異質な国家制度の下に深く仕舞い込まれていた「無意識的」「非政治的」「自然的」な力が、時間をかけて歴史の表面に湧出し、「国家」の中に、再び「クニ」を出現させようとした出来事ではなかったか。

皮肉なことに、「地祇的な原理」(無意識的、非政治的、自然的に先行する傾向性)を置き去りにして、「天神的な原理」(=国家主義)が一人歩きをする先にあるものは、TPPのような、国家の膨張による、国家そのものの消滅です。そのとき、国家は、糸の切れた凧のように、空のかなたに上昇し、やがて人々の目からは、見えなくなってしまいます。

国家を維持するためには、『国体の本義』が掲げているような、「地祇的な原理」を軽視し「天神的な原理」ばかりを称揚する、皇国史観・国家神道・国家主義を、外国から借り受けた東京裁判史観や、左翼的な立場から批判するのではなく、神道や仏教のような、日本人の古い伝統的な考え方に即し、さらに、その古層への扉を開きながら、根底から瓦解させ、相対化していく必要があると思います。

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