歴史を形作る目に見えない力について(4)
偶像の破壊と、根源への遡行。
キリスト教や、イスラム教のような一神教には、「偶像を拝んではならない」とする共通の教えがあります。
目に見えない神の姿を、目に見える形に表してはならないというのですが、仏教も、これに類似した考え方を持っています。
その考え方は、当ブログでも過去に取り上げたことのある、次の禅語に集約されています。
人間の意識が作り出す、神や仏や祖霊や悟りに関するイメージ(image=像)が、概念として固定化されれば、人の心を縛るものとなり、実体からは乖離したものとなってしまう。だから、これらの概念(=偶像)は、不断に破壊されなくてはならず、その破壊を通して、無限に、根源への遡行を続けなくてはならない。
これが上にかかげた禅語の意味です。
同じ趣旨を表した公案(禅問答)に次のようなものもあります。
「仏とはいかなるものか?」と問われたとき、雲門は、「仏」に関する抽象的な理論を展開する代わりに、質問者の心の中に先行して存在している仏の概念(=偶像)を破壊するために、「糞かきべら」という言葉を突きつけます。
糞かきべら(トイレットペーパー代わりに使用されていた)が仏であるはずはなく、仏とはかけ離れたモノ、仏ならざるモノを突きつけることによって、「仏」の概念が破壊され、その概念の破壊を通して、逆説的に、仏の実体が無意識の中から姿を現します。
このように、仏の否定と、仏の出現は、同時に起こります。
仏の存在(=有)と非在(=無)、形あるモノ(色)と形なきモノ(空)は、表裏一体であり、これが、「色即是空・空即是色」という般若心経の言葉の意味でもあります。
日本の古い神道にも、これと同じとらえ方があるように思います。
神道には、仏教の影響から、仏像のような神像を刻み、ご神体とした時代もあったようですが、古くは、岩や石や木や山そのものを神の「依り代」(よりしろ)や「神籬」(ひもろぎ)と考えたそうです。
現代の私たちの合理的な感覚から見れば、ただの石や木や山が神であるはずもありませんが、ただの石や岩や木や山という神の非在こそが、そのまま神の出現の場として古代の日本人には把握されていた。
つまり、徹底した非在の中に、神が姿を現すと考えられていた。
これは、仏教の考え方と似たものがあるかもしれません。
だから、日本にとっての最初の構造改革が行われた白鳳時代に、役小角が修験道を開き、神に在らざる山、神の非在の山を歩き尽くすことによって、意識が作り出す自己の中の偶像を破壊し、その破壊を通して、ただの山と一体となる己の身体の中に、神の出現を体得しようとしていたとき、それは古い神道の実践であるのと同時に、そのまま仏教の修行でもありました。
修験道において、神道と仏教が一つに習合していった所以はここにあると考えられます。
しかし、一人の行者としての、内面の戦いとしての偶像破壊、「無意識」や「非政治」や「自然」への肉薄、すなわち根源への無限遡行は、「神」や「仏」の概念の破壊のみならず、「意識」や「政治」や「人為」にまつわるものすべてを相対化する力をも、同時に秘めざるを得ませんでした。
白鳳時代という、中国から導入された律令制度によって、「意識的」「政治的」「人為的」に、この国が改変されようとしたまさにその時に、「無意識」や「非政治」や「自然」に徹して山にこもった役小角という修験道の開祖の存在は、体制に対する無言の批判力を必然的に帯びざるを得ませんでした。
これが、律令政府によって、役小角が、危険人物として伊豆へと追放されることになった理由です。
目に見えない神の姿を、目に見える形に表してはならないというのですが、仏教も、これに類似した考え方を持っています。
その考え方は、当ブログでも過去に取り上げたことのある、次の禅語に集約されています。
「仏に逢うては,仏を殺し,祖に逢うては,祖を殺し,羅漢に逢うては,羅漢を殺し,父母に逢うては,父母を殺し,親眷に逢うては,親眷を殺して,始めて解脱を得ん。」(『臨済録』)
人間の意識が作り出す、神や仏や祖霊や悟りに関するイメージ(image=像)が、概念として固定化されれば、人の心を縛るものとなり、実体からは乖離したものとなってしまう。だから、これらの概念(=偶像)は、不断に破壊されなくてはならず、その破壊を通して、無限に、根源への遡行を続けなくてはならない。
これが上にかかげた禅語の意味です。
同じ趣旨を表した公案(禅問答)に次のようなものもあります。
雲門、因みに僧問ふ。
如何なるか是れ仏。
門云く、乾屎蕨。
雲門に僧侶が尋ねた、
「仏とはいかなるものか?」
雲門は答えた、
「糞をかきとるためのへらだ。」
(無門関第二十一則)
「仏とはいかなるものか?」と問われたとき、雲門は、「仏」に関する抽象的な理論を展開する代わりに、質問者の心の中に先行して存在している仏の概念(=偶像)を破壊するために、「糞かきべら」という言葉を突きつけます。
糞かきべら(トイレットペーパー代わりに使用されていた)が仏であるはずはなく、仏とはかけ離れたモノ、仏ならざるモノを突きつけることによって、「仏」の概念が破壊され、その概念の破壊を通して、逆説的に、仏の実体が無意識の中から姿を現します。
このように、仏の否定と、仏の出現は、同時に起こります。
仏の存在(=有)と非在(=無)、形あるモノ(色)と形なきモノ(空)は、表裏一体であり、これが、「色即是空・空即是色」という般若心経の言葉の意味でもあります。
日本の古い神道にも、これと同じとらえ方があるように思います。
神道には、仏教の影響から、仏像のような神像を刻み、ご神体とした時代もあったようですが、古くは、岩や石や木や山そのものを神の「依り代」(よりしろ)や「神籬」(ひもろぎ)と考えたそうです。
現代の私たちの合理的な感覚から見れば、ただの石や木や山が神であるはずもありませんが、ただの石や岩や木や山という神の非在こそが、そのまま神の出現の場として古代の日本人には把握されていた。
つまり、徹底した非在の中に、神が姿を現すと考えられていた。
これは、仏教の考え方と似たものがあるかもしれません。
だから、日本にとっての最初の構造改革が行われた白鳳時代に、役小角が修験道を開き、神に在らざる山、神の非在の山を歩き尽くすことによって、意識が作り出す自己の中の偶像を破壊し、その破壊を通して、ただの山と一体となる己の身体の中に、神の出現を体得しようとしていたとき、それは古い神道の実践であるのと同時に、そのまま仏教の修行でもありました。
修験道において、神道と仏教が一つに習合していった所以はここにあると考えられます。
しかし、一人の行者としての、内面の戦いとしての偶像破壊、「無意識」や「非政治」や「自然」への肉薄、すなわち根源への無限遡行は、「神」や「仏」の概念の破壊のみならず、「意識」や「政治」や「人為」にまつわるものすべてを相対化する力をも、同時に秘めざるを得ませんでした。
白鳳時代という、中国から導入された律令制度によって、「意識的」「政治的」「人為的」に、この国が改変されようとしたまさにその時に、「無意識」や「非政治」や「自然」に徹して山にこもった役小角という修験道の開祖の存在は、体制に対する無言の批判力を必然的に帯びざるを得ませんでした。
これが、律令政府によって、役小角が、危険人物として伊豆へと追放されることになった理由です。
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