地祇たちのソウルフード
金山寺味噌と、熊野と、鈴木さん。
最近、手作りの金山寺味噌を購入したお話をしましたが、金山寺味噌をwikipeidaで調べると、和歌山県の湯浅町が、発祥の地なのだそうです。
Wikipediaには、次のようにも記されています。
なぜ、和歌山の特産品である金山寺味噌が、千葉県や、静岡県でも生産されているのか。
実は、この伝播は、「鈴木姓」の広がりと重なります。
Wikipediaから「鈴木氏」の項目を引用します。
熊野速玉大社の神官を務めた穂積氏の末裔が、12世紀に、鈴木氏を名乗るようになり、熊野古道紀伊路の入り口にある九十九王子(熊野三山への中継地となった99の神社のこと)の一つ藤白王子を拠点にした。
この藤白という土地は、金山寺味噌の誕生の地である湯浅から、ほど近い場所にあります。
湯浅も、藤白も、熊野古道紀伊路の沿線上に位置します。(下の地図の青丸が藤白、赤丸が湯浅)

(画像出典: わかやま観光情報)
熊野詣が盛んに行われた時期と、金山寺味噌が誕生したとされる時期も重なります。
鈴木氏は、黒潮の流れに乗って、伊豆半島(江梨鈴木氏)や房総半島に流れ着いた。
そこで熊野信仰と共に、金山寺味噌を東国へと伝えた可能性が考えられます。
金山寺味噌は、熊野信仰にゆかりの深い食べ物だったのです。
その由来については、宋での修行から帰国した鎌倉時代の僧、心地覚心(法燈国師)が1254年に帰朝し、請われて紀州由良(現:和歌山県日高郡由良町)の鷲峰山興国寺の開山となったため、その近傍の湯浅(現:和歌山県有田郡湯浅町)に伝えた「径山寺(きんざんじ)味噌」が起源とする説が有力だが、空海(弘法大師)が唐の金山寺から持ち帰ったとする説もある。
(出典: Wikipedia「金山寺味噌」)
Wikipediaには、次のようにも記されています。
金山寺味噌(きんざんじみそ)は、和歌山県、千葉県、静岡県等で生産されている味噌の一種。
(出典: Wikipedia「金山寺味噌」)
なぜ、和歌山の特産品である金山寺味噌が、千葉県や、静岡県でも生産されているのか。
実は、この伝播は、「鈴木姓」の広がりと重なります。
Wikipediaから「鈴木氏」の項目を引用します。
鈴木氏
最も有名な鈴木氏として、鈴木基行を祖とする紀伊国藤白(現在の和歌山県海南市)の藤白鈴木氏がある。藤白鈴木氏は穂積姓鈴木氏の嫡流で、12世紀頃に熊野から同じ紀伊国内の藤白に移り住んで以来、王子社(現在の藤白神社)の神官を代々務め、後に武家としても活躍した。三河鈴木氏や雑賀党鈴木氏、江梨鈴木氏など全国に散らばる穂積姓鈴木氏も藤白鈴木氏の分流とされる。
この鈴木氏は熊野神社の勧進や熊野を基地とする太平洋側の海上交通に乗り、神官として東日本を中心とした全国へ広まった。信仰が深まった地域には、その地にある大木に鈴を下げ神社の建設が終わるまでの間、信者はその鈴が下がる木を信仰の対象とした。当時その木を鈴木と呼んだ。そして神社が完成したとき、本殿の切妻の下にその鈴を下げた。現在の神社で見られる本坪鈴はその名残とされ、それが下がる梁木を鈴木と呼ぶ地方もある。
また、海上交通に乗って東日本に移り住んだ鈴木氏の中には商人として活躍した者もおり、室町時代の品川で活躍した鈴木道胤、中野で活躍した鈴木九郎はともに熊野出身とされている。
また、穂積姓鈴木氏の子孫ではなくても、熊野本宮へ信仰心の深い者には鈴木姓を与えてきた。そのため鈴木姓のほとんどは穂積姓鈴木氏の子孫であるとは言いがたい。
(出典: Wikipedia「鈴木氏」)
熊野速玉大社の神官を務めた穂積氏の末裔が、12世紀に、鈴木氏を名乗るようになり、熊野古道紀伊路の入り口にある九十九王子(熊野三山への中継地となった99の神社のこと)の一つ藤白王子を拠点にした。
この藤白という土地は、金山寺味噌の誕生の地である湯浅から、ほど近い場所にあります。
湯浅も、藤白も、熊野古道紀伊路の沿線上に位置します。(下の地図の青丸が藤白、赤丸が湯浅)

(画像出典: わかやま観光情報)
熊野詣が盛んに行われた時期と、金山寺味噌が誕生したとされる時期も重なります。
鈴木氏は、黒潮の流れに乗って、伊豆半島(江梨鈴木氏)や房総半島に流れ着いた。
そこで熊野信仰と共に、金山寺味噌を東国へと伝えた可能性が考えられます。
金山寺味噌は、熊野信仰にゆかりの深い食べ物だったのです。
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