「南京虐殺」問題の難しさ(1)
動画の進捗報告。
この記事のシリーズでは、「南京虐殺」関連動画の研究・調査・制作の経過をお知らせします。
「南京虐殺」問題は、改めていうまでもなく、何重もの意味で、難しさを抱えた問題です。
1. 南京攻略戦に至ったプロセスが混沌としている。
欧米の帝国主義、それを模倣した日本の帝国主義、日中が共有した興亜思想、近代化を模索しながらも伝統的な大中華主義を払拭できなかった中国人の国家観と、国民国家的な日本人の国家観との対立、日本と国民党を戦わせようとした共産主義者(コミンテルン)の策謀、対日戦争を国民党にけしかけていたドイツ、遅れてやってきたアメリカ・・・これらの糸が複雑に絡み合いながら、1937年の盧溝橋事件、第二次上海事変、南京攻略戦へと至ります。このプロセスは混沌としていますが、元寇や白村江の戦いなどのわずかな例外を除いて戦争をすることのなかった日本と中国(支那の諸王朝)が、19世紀以降、さかんに争うようになった事実の中に、本質的な問題が含まれています。
2. 南京攻略後に起きた出来事を正確につきとめることが難しい
歴史的事実を明らかにするためには一次的な資料によらざるをえませんが、上記のように様々な勢力の意図と策謀が混沌とした渦をなしていた当時の中国で作られた資料の意義や信ぴょう性を精査する、資料批判の作業が困難を極めます。また、人間が、広域で起きていることを同時に観察することができない以上、それらの一次資料そのものが多くの伝聞から作られています。それらの資料を渉猟しつつ「客観的な歴史的事実」を再構築することは大変手間のかかる作業です。
3. 事実を偏りなく語ることが難しい
「客観的な歴史的事実」を突き止めえたとして、その事実を、あらゆるイデオロギーを払拭した中立的な立場で語ることが困難を極めます。
4. 動画に構成することが難しい
「客観的な歴史的事実」を確認し、それを偏りのない立場で語る中立的な姿勢を身に付けえたとして、それを、見る人にわかりやすく、興味を引く動画にまとめることが困難を極めます。
これらの様々な困難を乗り越えて、WJFプロジェクトは、「南京虐殺」問題に関して、動画を通して何事かを語ろうとしているわけですが、ある明確な方針を策定しました。
それは、中支那方面軍司令官として南京攻略戦を指揮し、南京攻略直後の1938年2月に陸軍を離れ、伊豆の熱海に隠棲して、日中双方の戦争の犠牲者を弔うために興亜観音を建て、日々祈りを捧げていた松井石根大日本帝國陸軍大将が、東京裁判で南京事件の責任を問われ、B級戦犯として処刑された際に残した辞世の歌を動画作りの原則とすることです。
ここでいう「自他平等の誠の心」というのは、日本人の戦争犠牲者も、中国人の戦争犠牲者も、平等に弔おうとした松井石根自身の心であったと思います。
松井石根大将自身が、「自他平等の誠の心」を唱え、特定の立場やイデオロギーを超えようとしておられたのですから、不偏不党の客観的な動画を作ろうとするうえでは、この松井石根大将自身の視点をもって、南京虐殺問題を動画にすることがもっとも簡便なやり方であると気付きました。
したがって、この動画は、日本人をデモナイズ(悪魔視)することによって中国人側を美化する動画にはならないことは言うまでもありませんが、その反対に、中国人側をデモナイズ(悪魔視)することによって、日本人側を美化する動画にもなりません。
動画は次のような冒頭からはじまります。

松井石根大将の姿が、興亜観音の姿に重なっていきます。

この動画は、さらに、松井石根大将の「自他平等の誠の心」や、その視点を動画にしようとするWJFプロジェクトの立場すらも相対化するあるカラクリを仕込んでありますが、それについては後に明らかにします。
(つづく)
「南京虐殺」問題は、改めていうまでもなく、何重もの意味で、難しさを抱えた問題です。
1. 南京攻略戦に至ったプロセスが混沌としている。
欧米の帝国主義、それを模倣した日本の帝国主義、日中が共有した興亜思想、近代化を模索しながらも伝統的な大中華主義を払拭できなかった中国人の国家観と、国民国家的な日本人の国家観との対立、日本と国民党を戦わせようとした共産主義者(コミンテルン)の策謀、対日戦争を国民党にけしかけていたドイツ、遅れてやってきたアメリカ・・・これらの糸が複雑に絡み合いながら、1937年の盧溝橋事件、第二次上海事変、南京攻略戦へと至ります。このプロセスは混沌としていますが、元寇や白村江の戦いなどのわずかな例外を除いて戦争をすることのなかった日本と中国(支那の諸王朝)が、19世紀以降、さかんに争うようになった事実の中に、本質的な問題が含まれています。
2. 南京攻略後に起きた出来事を正確につきとめることが難しい
歴史的事実を明らかにするためには一次的な資料によらざるをえませんが、上記のように様々な勢力の意図と策謀が混沌とした渦をなしていた当時の中国で作られた資料の意義や信ぴょう性を精査する、資料批判の作業が困難を極めます。また、人間が、広域で起きていることを同時に観察することができない以上、それらの一次資料そのものが多くの伝聞から作られています。それらの資料を渉猟しつつ「客観的な歴史的事実」を再構築することは大変手間のかかる作業です。
3. 事実を偏りなく語ることが難しい
「客観的な歴史的事実」を突き止めえたとして、その事実を、あらゆるイデオロギーを払拭した中立的な立場で語ることが困難を極めます。
4. 動画に構成することが難しい
「客観的な歴史的事実」を確認し、それを偏りのない立場で語る中立的な姿勢を身に付けえたとして、それを、見る人にわかりやすく、興味を引く動画にまとめることが困難を極めます。
これらの様々な困難を乗り越えて、WJFプロジェクトは、「南京虐殺」問題に関して、動画を通して何事かを語ろうとしているわけですが、ある明確な方針を策定しました。
それは、中支那方面軍司令官として南京攻略戦を指揮し、南京攻略直後の1938年2月に陸軍を離れ、伊豆の熱海に隠棲して、日中双方の戦争の犠牲者を弔うために興亜観音を建て、日々祈りを捧げていた松井石根大日本帝國陸軍大将が、東京裁判で南京事件の責任を問われ、B級戦犯として処刑された際に残した辞世の歌を動画作りの原則とすることです。
「世の人にのこさばやと思ふ言の葉は自他平等に誠の心」
ここでいう「自他平等の誠の心」というのは、日本人の戦争犠牲者も、中国人の戦争犠牲者も、平等に弔おうとした松井石根自身の心であったと思います。
松井石根大将自身が、「自他平等の誠の心」を唱え、特定の立場やイデオロギーを超えようとしておられたのですから、不偏不党の客観的な動画を作ろうとするうえでは、この松井石根大将自身の視点をもって、南京虐殺問題を動画にすることがもっとも簡便なやり方であると気付きました。
したがって、この動画は、日本人をデモナイズ(悪魔視)することによって中国人側を美化する動画にはならないことは言うまでもありませんが、その反対に、中国人側をデモナイズ(悪魔視)することによって、日本人側を美化する動画にもなりません。
動画は次のような冒頭からはじまります。

松井石根大将の姿が、興亜観音の姿に重なっていきます。

この動画は、さらに、松井石根大将の「自他平等の誠の心」や、その視点を動画にしようとするWJFプロジェクトの立場すらも相対化するあるカラクリを仕込んでありますが、それについては後に明らかにします。
(つづく)
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