「対称性の構図」が瓦解する中で

右翼が左翼になり、左翼が右翼になる新しい状況。
古代より、日本の歴史は、「天神的原理」という体制翼賛的な「右翼的」原理と、ヤマト王権を相対化する契機に他ならない「地祇的原理」という「左翼的」原理、この二つの拮抗する原理が重層的に組み合わさることによって展開してきたことを、「グローバリズムと神道」という記事のシリーズで解き明かしてきました。

国譲りによって、一旦は、歴史の深部へと仕舞い込まれた「地祇的な原理」は決して消滅することなく、平安末期の「強訴」(ごうそ)や、中央集権的な古代の律令政府(朝廷)から、地方分権的な中世の武家政権(幕府)への政権交代によって、歴史の表面に再び姿を現しました。

しかし、日本における「地祇的原理」は、「左翼的」なものではあっても、厳密な意味では「左翼」そのものとは異なりました。

正真正銘の「左翼」の運動であった、海外におけるブルジョワ革命やプロレタリア革命が、古い体制(アンシャン・レジーム)の転覆と、王の抹殺を引き起こしたのとは対照的に、日本では、武家政権へと政治が委譲された時代にも、決して朝廷は廃絶されませんでしたし、また逆に、明治維新の大政奉還によって、武家政権から再び朝廷へと政治権力が返還された時にも、武家政権を司った将軍や旗本や大名たちが処刑されるようなことはありませんでした。

このことは、中国においては、「徳を失った現在の王朝に天が見切りをつけたとき、革命(天命を革める)が起きる」とする、「易姓革命」の思想に基づいて、政権交代が、(「禅譲」というわずかな例外はあったものの)、基本的には武力による前王朝の廃絶と追放を通して、圧倒的な「非対称性の構図」を実現することによってなされたのとは対照的に、日本においては、出雲という旧王朝の政治的権力を宗教的権威として祭り上げることを通して、ヤマト王権の新体制の中に平和裏に組み込み、旧権力と新権力の間に「対称性の構図」を実現する、「国譲り」という政権交代の独特な原型が確立されていたことと決して無関係ではありません。

「易姓革命」を唱える儒教という中国の合理主義思想は、17世紀にイエズス会士らによって翻訳され、ヨーロッパに紹介されると、啓蒙主義の思想家たちに受け入れられ、彼らの革命思想の確立になんらかの影響を与えたと言われています。

その啓蒙思想家らの革命思想が、ブルジョワ革命やプロレタリア革命を引き起こす引き金となったのですから、極端な言い方をすれば、中国の「易姓革命」の思想こそが、近代以降、全世界へと拡散されていった近代化革命の、一つの原型となったいうことができます。

古代の中国から出発した「革命」の波は、ヨーロッパに渡ってフランスやアメリカにブルジョワ革命を、ロシアにプロレタリア革命を、そして地球を一周して二十世紀の初頭に再び中国へと戻って、辛亥革命というブルジョワ革命を引き起こし、それが国共内戦という一種のプロレタリア革命を経て、現在の中華人民共和国を生み出しました。

このように「革命」を経てきた世界の国々の中で、いにしえからの万世一系の皇室の維持を可能にした「国譲り」という独特の政権交代の原型をいまだ根底に抱える日本という国は、強いコントラストをもって浮かび上がります。

つまり、日本における「左翼的」なものは、どう転んでも、本当の意味の「左翼」にはなり得ません。

日本における「左翼的」なものは、「国譲り」に由来する、伝統的な「対称性の構図」の中で成立するものであるのに対し、世界における真の「左翼」は、「易姓革命」の思想の温床ともなった、支配と被支配の圧倒的な「非対称性の構図」の中で生じるものだからです。

しかし、現在、新しい状況が生まれています。

日本においては、天神と地祇の間に、出雲と大和の間に、旧政権と現政権の間に、政治と宗教の間に、政治と非政治の間に、支配者と被支配者の間に、朝廷と幕府の間に、国家と国民の間に、文明と神話の間に、社会と自然の間に、伝統と革新の間に、富む者と貧しい者の間に、農業と非農業の間に、共同体と個人の間に、国際主義と国家主義との間に、「対称性の構図」が伝統的に描かれてきたかもしれない。

しかし、現在起きていることの意味が、日本の支配層を含む世界の支配者たちが、国境を超えて一つに結託し、その権力を不可逆なやり方で、圧倒的なレベルにまで高めると同時に、残りの大衆層を二度と抵抗することが許されない完全な被支配の次元に突き落とすという「非対称性の構図」の実現であるならば、日本において古代から維持されてきた、国家と国民、政治と非政治の「対称性の構図」は、外部からの力によって、完全に崩されつつあります。

そのときに、日本人は、伝統的な所作の形を崩すことなく、単に「左翼的」な穏健な姿勢で、グローバルな権力に抵抗するだけでは十分ではなくなっていくことでしょう。

日本人は、国を守る「右翼」であるためには、グローバルな権力に対しては、本当の意味の「左翼」や「革命家」として振る舞わざるをえない状況が生まれていくことでしょう。

同時に、このことは、従来「左翼的」にしかすぎなかった日本の左翼が、グローバルな権力との対峙を通して、図らずも日本の古い体制を守ろうとする「右翼」として振る舞まうようになることと表裏一体です。
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No title

>日本の支配層を含む世界の支配者たちが、国境を超えて一つに結託し
>その権力を不可逆なやり方で、圧倒的なレベルにまで高めると同時に
>残りの大衆層を二度と抵抗することが許されない完全な被支配の次元
>に突き落とすという「非対称性の構図」の実現であるならば

ほんとこれ。

歴史を振り返ると、支配者と被支配者の構図はあるものの、両者には力の均衡があった。
敗者も本気で抵抗すれば天地をひっくり返すことができた。
だからこそ、人類は基本的人権を勝ち得ることができた。

でもテクノロジーの進歩が人知れずパンドラの箱が開いてしまう。
いつの間にか状況が変わり、今まで通用していた歯止めの仕組みはいつの間にか無効になってしまっているのだ。
この状況の変化に勝機を見出したものが敗者を圧倒的に引き離してしまうようになった。
竹槍で装甲車には勝てないし、団結するにも情報交換の場はネットにしかなく、これは統制されている。
挙句、被支配者は監視され、情報を選別して与えられ、何重にも洗脳され、食料生産を始めとする各種の生存手段を奪われている。
やがて考える自由も無くなるだろう。
臨界点を超えてしまった。
しかしこれは人類の宿命なのだ。いずれ訪れるターニングポイントだった。

支配者はどのような世界を作り出そうとしているのだろうか?
お金や物質によるマインドコントロールで人類を支配するには環境負荷が大きすぎる。
かといってマインドコントロールを失えば支配者は力を失う。

だから支配者は人類の大幅な削減を行うに違いない。それも自然な形を装って。
その後、選ばれた人間の理想郷を作り出すのだろうか?
その場合、誰が選ばれた人間なのだろうか?あなたは本当に選ばれた人間なのだろうか?
あなたが誰かをだまして支配者陣営についていると思っていても、あなたももっと上の人に利用されているだけかもしれない。

もう一つ忘れてはならないのは、力の均衡を失った世界では、敗者はなされるがままという事である。
支配者の理性と他者愛を持って、これを克服しなければ、地上に地獄を誕生させる結果となる。
選ばれた人間たちもまた、対立や疑心暗鬼に陥って争うであろう。
彼らの作りだした地獄に彼らもまた落ちていく危険性に気が付くべきである。

人類が作り出す世界がどこに収れんするのか。天国なのか地獄なのか、それは他者愛と理性と自己愛のバランスによって既に決定されているのかもしれない。


吉田松陰を思い出す

>日本人は、国を守る「右翼」であるためには、グローバルな権力に対しては、本当の意味の「左翼」や「革命家」として振る舞わざるをえない状況が生まれていくことでしょう。
これは、吉田松陰を思い出させます。
WJFさんにとって、吉田松陰の評価はどうなのかわかりませんが、彼も、当時は、「左翼」「革命家」として振舞った思想家であると思います。
私は、明治維新を否定も肯定もしません。でも、吉田松陰が萩でたった2年間、松下村塾を開いただけで、伊藤博文はじめ、多くの志士に強い影響をもたらしたこともまた事実です。人々の意識は短期間でも大きく変わり、大きなうねりになる可能性だってあると思うのです。それも人工的にではなく、日本人の深いところに潜在している魂を呼び起こすことによって。
WJFさんがブログ閉鎖宣言をした後の短い期間、私も含め、多くの人々に影響を及ぼしたのではないかと思います。
願わくば、引き続きともに学ぶことができたらと思います。
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