【再掲】騙すことと騙されること

騙す人々と、騙される人々の共犯関係。
この記事は、2015年7月5日の記事「騙すことと騙されること」の再掲です。元安倍信者も、元三橋信者も、伊丹万作の文章を読んでしっかり反省しましょう。

「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。


多くの国民が、安倍政権を「救国政権」と錯誤し支持するように、組織的な大衆扇動が仕掛けられました。

大衆扇動それ自体は、昨今始まった問題ではなく、明治時代に日本に民主主義や新聞や雑誌といったメディアが導入されて以来、つねに私たちの国につきまとってきた問題でした。

大衆扇動において、意図的かつ組織的に騙す側に立つ人々が存在するのは事実なのですが、騙される大衆の側に着目すると、単に「騙された」といって済む問題ではないようです。

終戦直後に、大衆が騙されることの問題を考察した興味深い文章が残されています。

映画監督の伊丹十三の父であり、同じ映画監督として活躍した伊丹万作が、病死するわずか一ヶ月前の1946年8月に発表した文章です。

(下線は私が付したもの。以前、当ブログでも紹介した、1958年の第19回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した日本映画「無法松の一生」は、伊丹万作の脚本に基づいています。)

(前略)

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

(中略)

少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。

(中略)

もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。

だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

(中略)

我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

(後略)

(出典: 伊丹万作「戦争責任者の問題」1946年8月)

安倍政権を批判する人たちが増えてきましたが「なぜ騙されたのか」という真摯な反省や分析を行なわないまま、一方的に「騙された」被害者のように振る舞う人たちが多く見受けられます。

さらにひどい例になると、明らかに騙した側に立った言論人を指差して、自分たちと同じ騙された被害者側に含めて、糾弾も反省もせず済まそうとする人々も見受けられます。

「保守言論人たちも自分と同じように騙されていたはずだ」
「保守言論人たちですら騙されていたんだから、自分が騙されていた事も仕方がない」

というように、「安倍に騙されていた自分を免罪したい意識」と、「保守言論人たちを免罪したい意識」は表裏一体のものであると思います。

このような人々にとっては、「安倍に騙されていた自分」を免罪するために、保守言論人は「騙していた人々」ではなく、自分と同じように「騙された人々」でなくては困るのです。

保守言論人たちが「騙していた人々」だとすると、自分が彼らに騙されていたという事実に直面しなくてはならなくなるため、保守言論人たちを「騙されていた自分」たちの陣営に引き込む事で、事実との対峙を回避しようとします。

(出典: WJFプロジェクト「「騙していた人々」を擁護する「騙されていた人々」の心理のカラクリ」2014年6月18日)

「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。


心して、受け止めたい言葉です。

それにしても、日本人騙されすぎですよ・・・。

日本人は正直で人が良いからだとか、水に流すのは美徳だとか、耳触りのいい言葉に流されて、うやむやにして”なかったこと”にしたり、忘れ去ったり、お花畑に逃げ込むのではなく、この世界には平気で人を騙すような輩が山ほど存在していて、自分は騙されるような愚か者なのだという事実を受け入れて欲しいです。そこからしか前進する道はないのですから。

厳しい言い方をすれば、騙すことも罪ならば、騙されることもまた罪なのです。騙す人の利益に加担したという罪は小さくないと思います。

(出典: WJFプロジェクト「本物を見抜く目: 三橋貴明、また嘘をつく」のしかまきさんによるコメント)

どんな狂気と愚かさが安倍政権を作ったか。そして亡国の危機をまねいてしまったか。反省が必要なのは、私も含めて、誰も彼もです。時代が時代なら、多くの人々が腹を切らなければならない局面です。しかし、何の謝罪も方向修正も総括もなされていないのが現状です。安倍政権を支持し、また支持を煽った人々の多くが、未来に対する深刻な加害者となりました。にもかかわらず、何の自省も反省も行われていません。まるで誰も何の過ちも犯さなかったかのように皆が知らんぷりを決め込み、安倍政権の危険性を認めるましな人々であっても、騙した責任を安倍晋三一人に押し付けて、自分たちは騙された犠牲者のフリをしています。」

(出典: WJFプロジェクト「どんな狂気と愚かさが安倍政権を作ったか」2013年10月23日)

参考記事:
WJFプロジェクト「自省と反省」(2014年7月25日)
WJFプロジェクト「ネトウヨ脳のまま安倍政権を叩く人々」(2014年9月18日 )
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No title

三橋系エントリーの質の高さにはいつも感服する。
ここが広まったら彼は困るだろうね。
反論のレベルが完全に三橋本人より上で、完全論破のレベルだ。

ところで騙されるといえば水島さんだが、ようやく安倍不支持を言い出したね。
何をいまさらと失笑すると同時に、これまで騙されていたせいでどれだけ日本がひどい目に合ったか、自覚してほしいと思うが無理だろうな。

ここは日本の政治ブログの中でもかなり本質を突いていると思っている。
末永く続けてほしいものだ。

詐欺手法のカラクリ

日本人は無垢な所為か、詐欺師の手口を知らない人が多く、それが騙される大きな原因だと思います。
詐欺師の基本的な手口は、まずウマイ話または脅しのネタで釣る → 依存させる → 他の選択肢は無いのだと洗脳する → 他の選択肢に気づいた者は脅す → 更に要求を加え従わせる → これで洗脳サイクルの完成。
例えば、オレオレ詐欺の古典的な例ですと、「お孫さんが事件を起こした」と人物Aが一報を入れる→次に別の人物Bが「私に任せれば安心ですよ」と囁く→疑う相手には「じゃあ何故電話をしてきたんです?」とか言って、如何にも後々面倒な事になるかの様な恐怖心や罪悪感を植え付け、脅す。
→騙される側は人物Bに頼るようになる(つまり依存体質の完成)→後は要求通りに動く様に指示を与え、金銭を騙し取る。というサイクルが出来上がり、更に個人情報を名簿屋に売りつけ、他の詐欺師グループにも"騙されやすい人間"という情報が流れ、"騙される人は何度でも同じ手口に騙される"という一種の詐欺システムが出来上がっている訳です。
こうした基本的な詐欺システムを理解すれば、現在の日本が置かれている状況の理由も理解できるかと思います。

例えばこれを歴史に照らし合わせて見るならば、古くはキリスト教伝道師の布教活動がそれでしょう。
宗教に依存させ、それが唯一の「心の拠り所」なのだと洗脳し、少しづつ要求を受け入れさせる、影で取引をする、取引に依存する人間を使って侵略の手引きをさせる。
また、これを幕末に当て嵌めるならば、役者は黒船と武器商人という事になるかと思いますが、そうして今日までの日本の歴史を振り返って見た時、この詐欺システムに組み込まれていたのだと考えれば辻褄が合うというものです。

そして、これを三橋貴明に当て嵌めてみれば、彼の演じている役回りが何なのか、という事が解り、「ああ、一連の詐欺システムなのだな」と理解できるともの思います。
つまり、三橋をオレオレ詐欺に当て嵌めるならば、宥め役のBという事になる訳です。
三橋は一見温和で正論を吐く論者であり、そういうイメージを保守の人々に植え付け定着させる作業を永年かけて行ってきました。
ですから安部信者の人たちは、「三橋さんの語る事は全て正しいのだ」「三橋さんの言う事に従えば間違いないのだ」という固定観念に陥るというか、まんまと嵌められ洗脳されてしまったのです。
三橋の囁く甘い言葉(例えば中韓の悪口や日本はまだまだ大丈夫などの言葉)は一時の安心感を与えるものです。しかしそれは現実の絶望的状況から人々の関心を逸らすものでしかありません。
現実の厳しさから逃避し、三橋の甘い言葉に縋るというのは、知らずの内に依存体質にされてしまったという事に他なりません。
ですから、これまで私などが語ってきた辛口な批判や啓蒙が、安部信者の方々には「気分を壊す邪魔者」と映ったに違いありません。
しかし信者から脱却しつつある現在ならば幾分理解できると思います。
これまで信者の方々が叫んできた「安部さんの他に誰が居る?」「三橋さんしか居ない」というのは、「他に選択肢が無い」と思い込むように仕向けられただけなのであり、、つまり洗脳なのです。

「じゃあ、お前は他に誰が居るというのだ?」という声が聞こえてきそうなので、先にお答えします。安部が居なくても三橋が居なくても、この国は俄かには潰れません。逆に安部や竹中の様な極悪非道の逆賊売国奴、或いは三橋や水島や桜井よし子の様な狡猾な言論人が居座ると、この国は確実に滅びます。
つまり私の選択肢は、先ずは安部を退陣させる事。なぜなら、今の国会議員には真の保守政治家は一人も居ないからです。ならばどうするか?先ずは国が存続し、国民が生き延びられる方を選択すべきです。
超極左の安部よりは、チョイ左の方が国は存続し易く、引きずり降ろし易いですから、先ずは最も極悪で手強い安部を引きずり降ろす為ならば左でも構わない、というのが私の考えです。
そして、他の者が政権を執ったらまた見極めてから引き摺り下ろす。それを繰り返しながら少しづつ修正していく。それでよいと思っています。歴史認識に拘るあまり国を失っては何もなりませんからね。
というより、歴史認識に於いても安部は河野や村山を超える超極左である事が判明した今となっては、安部を超える左は存在しないと言える訳で、その超極左の安部への支持を煽る三橋も又、保守のフリを演じているだけの実は超極左だという事になるでしょう。

最早ここに至っては、何事も一足飛びに事を成就させるのは無理ですし、それは却って失敗の元となります。それ程までにこの国は重病に冒されている状態だと思ってください。
重病の患者を瞬時に救える特効薬はありません。ですから地道に立て直していく以外に方法は無いのです。

さて、色々と厳しい話ばかりしてきましたが、これも此の度信者体質から脱却した人たちには一日も早く、この単純な古典的詐欺手法のカラクリに気づき、依存体質からの脱却も果たしていただきたいと願う気持ちからとご理解ください。
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