幸魂奇魂守給幸給

出雲大社が舞台の映画。
多くの難しい課題を抱えて、睡眠時間を削る忙しい日々を送っていますが、一息休む時間をいただいて、先週、出雲が舞台の映画「縁 The Bride of Izumo」を観てきました。

出雲大社の全面的な協力を得て制作され、出雲大社に正式に奉納された映画なのだそうです。
地元の映画館で、午後9時代に始まるレイトショーで観てきたのですが、地味な作品だからでしょうか、観客は私一人で、映画館を貸し切り状態でした。もっと多くの人たちに鑑賞していただきたい、美しい映像にあふれた、すばらしい作品だと思いました。
映画は、『古事記』や『日本書紀』に記されている、稲佐の浜で、大国主と、大国主の「幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)」が出会う場面を象徴する、幻想的なシーンから始まります。

稲佐の浜は、出雲大社の西側1kmの地点に拡がる砂浜であり、大国主と武甕槌(たけみかづち)の間に交わされた「国譲り」の交渉も、この稲佐の浜で行われています。



ここに、大国主神、愁ひて告りたまひしく、「吾独して何にか能く此の国を作り得らむ。孰の神と吾と、能く此の国を相作らむや」とのりたまひき。この時に海を光らして依り来る神ありき。其の神の言りたまひしく、「よく我が前を治めば、吾能く共与に相作り成さむ。若し然らずは、国成り難けむ」とのりたまひき。ここに大国主神曰ししく、「然らば治め奉る状は奈何にぞ」とまをしたまへば、「吾をば倭の青垣東の山の上に拝き奉れ」と、答え言りたまひき。こは御諸山の上に坐す神なり。

(現代語訳)
(大国主大神と一緒に国造りをなされた少名毘古那神が常世国に渡ってしまわれて、)そこで大国主神は嘆かれて「私独りでどうやってこの国を作ることができるだろうか。どの神と一緒にこの国をよく作っていけるだろうか」と仰せられた。その時海を照らして来られる神があった。その神が言われるには「よく私を祀ったなら、私と共に国を作ろう。もしそうでなければ国造りは難しいだろう。」と仰った。そこで大国主神が言われるには「それでは、どのようにお祀りしたらよいだろうか」と聞かれると「私を大和の周囲を青垣のように巡っている山の東に祀りなさい。」と答えられた。これは御諸山(みもろのやま・奈良県の三輪山のこと)の上にいらっしゃる神である。

(出典: 『古事記』)

時に、神しき光海に照らして、忽然に浮かび来る者有り。曰はく、「如し吾在らずは、汝何ぞ能く此の国を平けましや。吾が在るに由りての故に、汝其の大きさに造る績を建つこと得たり」といふ。是の時に、大己貴神問ひて曰く、「然らば汝は是誰ぞ」とのたまふ。対へて曰く、「吾は是汝が幸魂奇魂なり」といふ。大己貴神の曰はく「唯然なり。廼ち知りぬ、汝は日本国の三諸山に住まむと欲ふ」といふ。故、即ち宮を彼処に営りて、就きて居しまさしむ。此、大三輪の神なり。

(現代語訳)
その時、不思議な光が海を照らし、突然浮かび上がってきたものがあった。そして、「もし私がいなければ、汝はどうやってこの国を平らげることができただろうか。私の存在があったから、汝は国造りの大きな功績をあげることができたのだ。」と言われた。この時に大己貴神は「それでは汝は誰だ。」と聞かれた。それに答えて「私は汝の幸魂奇魂だ。」と言われた。大己貴神は「そうだ。了解した、汝は私の幸魂奇魂だ。今どこに住みたいと思うか。」と聞かれると、「私は大和の三諸山に住みたいと思う。」と言われた。そこに宮を作っていって住まわれた。これが大三輪の神である。

(出典: 『日本書記』)

「幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)」なるものが一体何のか、記紀のテキストそのものからわかることは、大国主による国土開発の働きに関わる、大国主と同体でありながら大国主とは区別される神であり、後に、崇神天皇によって奈良の三輪山(大神神社)に、大物主として祀られた神様とも同体であるということです。

「御肇国天皇」(はつくにしらすすめらみこと)の別名を持ち、実質的な初代天皇とされる崇神天皇が、天孫降臨の際に、アマテラスやタカミムスビが、皇孫のニニギに授けた「五大神勅」の一つ「同床共殿の神勅(宝鏡奉斎の神勅)」を破る形で、皇居内に祀られていた八咫鏡を外に持ち出し、伊勢の地に遷座させるのに先立って、奈良の三輪山に大国主の魂を祀ったことの歴史的意義については、下の記事でも取り上げました。

参考記事:
グローバリズムと神道(26)(2015年2月18日)
グローバリズムと神道(27)(2015年2月25日)

つまり、「はつくにしらすすめらみこと=(初めて国を治めた天皇)」とされる崇神天皇が、「初めて国を治める」ことが可能になったのは、大国主の「幸魂奇魂」を大和の地に祀ることによったのだと記紀は記していました。

すると、大国主と、その「幸魂奇魂」との出会いは、日本の国土開発のみならず、天皇による統治(まつりごと)の基盤ともなった、日本の基部構造に関わる、最重要な出来事の一つであったことがわかります。

記紀を編纂したヤマト王権は、国土開発の功績を先行王朝の王の魂に帰するのと同時に、王権の根拠を、高天原という自らの出自のみならず、先行王朝の王の魂に求めたのです。

この「幸魂奇魂」の物語のみならず、日本の神話は(あるいは神話というもの全般は)、本当に不思議だし、理屈では割り切れない、わけのわからなさが面白いと思います。

わけのわからない領域が、私たちの足下に、歴史の根底に、私たちの心の深層に、拡がっているということなのだと思います。

神話を丁寧に読み解くことは、私たちの国の成り立ちや、私たちは何者なのかを知る上で、欠かせない作業であると思います。

出雲大社の境内には、この不思議な邂逅の場面を形にした銅像が置かれています。



ひょっとすると日本映画史において、この場面を映像化した映画は、「縁 The Bride of Izumo」という作品が初めてかもしれません。

映画そのものは、この場面の意味を説明していないので、神話の知識がない方は、何を描いた場面か分からないかもしれないのですが。

近世になると、記紀の記述は、人間一般の霊にも当てはまるものと解釈が拡大され、神や人の霊には、活動を担う「荒魂」(あらみたま)、調和と安定を担う「和魂」(にぎみたま)、幸福を担う「幸魂」(さきみたま)、知恵や霊感を担う「奇魂」(くしみたま)四つの魂があるのだとする、「一霊四魂」説が整備されていきました。


(画像はwikipediaより)

映画冒頭の稲佐の浜のシーンの後、カメラは、「勢溜り」と呼ばれる出雲大社の木の鳥居(第二鳥居)前の場所を映し、鳥居をくぐって、早朝の人気のない下り坂の参道へと進んでいき、やがて上空へと浮上し、出雲大社の境内の全景を映し出します。



出雲大社に行かれたことがある方なら、約六十年に一度の遷宮がほぼ完成し、新しく美しく蘇った出雲大社の社殿群を上空から見下ろすこのシーンを観て、胸がぞくぞくするのではないかと思います。

映画の登場人物たちが、二礼四拍手一礼の独特の作法で、出雲大社にお参りする場面では、映画館に他に誰もいないことをよいことに、私も一緒に柏手を打って、大国主の御魂に対して拝礼してしまいました。

神社にお参りすることの意味は、神様から御利益を得るというよりも、その場所に蓄積された先人たちの祈りの歴史と一体になって、自らが御利益を世の中にもたらす存在になることではないかと思います。

大国主が、自らの「幸魂奇魂」に拝礼したように、私たちが拝礼する相手は、実は、私たち自身の「幸魂奇魂」であるのかもしれない。

大国主の「幸魂奇魂」が、大国主の国作りを支えたように、私たち自身の「幸魂奇魂」が、社会における私たちの働きを支えるのかもしれない。

そして、私たちの「幸魂奇魂」と、大国主の「幸魂奇魂」は一つに重なり、私たちの社会における働きは、いにしえの大国主による国作りの働きにつながっているのかもしれない。

映画の最期は、出雲大社の「神語」で締めくくられます。

「神語」とは、出雲大社の神事で、神職や参列者によって、音階が順次上がっていく独特の節回しで三回唱えられる次の文言です。

幸魂奇魂守給幸給

さきみたま くしみたま まもりたまひ さきはへたまへ

この映画を観て、約一年前、神在祭の出雲大社を訪れ、神在大祭や神等去祭の神事に参加し、「神語」を唱える「ご縁」を得たときのことを思い出し、新しい一年をしっかり踏み出していこうという勇気をもらいました。

うれしくて、映画のマスコットである「えにしちゃんストラップ」をつい購入してしまいました。



えにしちゃんは、今、私の携帯電話にぶらさがっています。

ぜひ、みなさんも、このすばらしい映画をご覧になってみてください。
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