熊・神・隈・戎

隈に追いやられしものたち。
縄文文明の特質を深くとどめていると言われるアイヌの人々とって、熊は特別な意味をもつ存在です。

アイヌ語で、神(カミ)のことを「カムイ」と言いますが、この言葉は同時に、熊(クマ)そのものをも表します。

単に「カムイ」というだけで熊を意味しますし、「キムン・カムイ」(山の神)や「カムイ・エカシ」(神の爺)のように、他の語を伴った場合でも、熊のことを指すそうです。(参照)

このように、アイヌの人々にとって、神と熊は同体です。

日本語の「神」(カミ)や「熊」(クマ)も、アイヌ語の「カムイ」と同源であると考えられています。

ある国語学者らの研究によれば、古くは「神」(カミ)という日本語は、実際に「カムイ」と発音されていたそうです。(参照)

また、日本語の「神」(カミ)」や「熊」(クマ)は、「隈」(クマ)という言葉とも同源であると言われています。

「隈」とは周辺にある目に見えない隠された場所のことであり、日本語の古語の「くまぐまし」という形容詞は、「隠れてよく見えない」様子を意味します。

確かに、熊も、人界にとっては「隈」に他ならぬ森の中に生息し、冬眠の時期には姿を消して見えなくなってしまいます。

神も同様に、人の目からは隠された存在です。

熊野という地名の語源は、「熊野は隈(くま)にてこもる義にして山川幽深樹木蓊鬱なるを以て名づく」と、『紀伊続風土記』という古い書物に書かれているそうです。

「熊野」とは「隈野」であり、同時に「神野」に他なりません。

このように、熊と隈と神は、互いに深いつながりで結ばれた言葉です。

日本の中央から見ると「隈」(クマ)に暮らし、「熊」(クマ)を「神」(カミ)とあがめたアイヌの人々は、近世以降は「蝦夷」(エゾ)と呼ばれましたが、さらに古い時代には「蝦夷」(エミシ)と呼ばれていました。

古代における「エミシ」と、近世以降の「エゾ」もしくはアイヌが、果たして同一の民族であるか否かについては、意見が分かれるそうですが、何らかの形で縄文文明の痕跡を強くとどめていた人々であることは明らかであるように思われます。

お正月になると、戎(恵比須・エビス)様を祀る各地の神社では、初戎で賑わいますが、商売や漁業の神様である「エビス」は、もともとは「エミシ」から転じた言葉なのだそうです。

「エビス」は、国譲り神話において、父親のオオクニヌシに、高天原から派遣されたタケミカヅチらに突きつけられた国譲りの要求に応えるべきか拒絶すべきかと尋ねられて、「国譲りに応じるべきです」と答えたあと、海中に姿を消した事代主(コトシロヌシ)と同じ神様であるとされています。

他にスクナビコナや、ヒルコという神様と同一視されることもありますが、海という「隈」(辺境や異界)から到来したり、海という「隈」に立ち去った神々である点で、コトシロヌシと共通しています。

「エミシ」も、大和朝廷から見れば「隈」(クマ)と見なされる辺境の異界に暮らした人々でした。

九州南部という「隈」(クマ)に生きていた異民族は、大和の人々によって「熊襲」(クマソ)と呼ばれていました。

さて、「エミシ」がなぜ、「エビス」として、商売や漁業に携わる人々にあがめられるようになったのか。

古代において、農業を中心に構成されていた律令社会から見ると、漁労や山野での狩猟採集工芸や交易(物々交換)に携わる非農業民は、農耕社会の「隈」に生きるアウトサイダーと見なされていた点で、律令社会の「隈」に生きた「エミシ」と共通しています。

律令国家の「隈」に生きた「エミシ」が、農耕社会の「隈」(クマ)に生きた非農業民たちによって、神(カミ)としてあがめられることによって「エビス」となったことには何か深い因縁があるように思われます。

「エミシ」が縄文文明とつながりをもつように、漁労や狩猟採集、工芸や交易などの非農業的な産業活動も、古くは縄文文明にその淵源を持ちます。

これらの非農業的な産業活動は、弥生時代以降の農耕文明と律令制の導入によって、一旦は「隈」(クマ)に追いやられました。

しかし、経済の発展と共に産業が高度化していくというペティークラークの法則の例に漏れず、日本においても、律令国家体制から王朝国家体制への移行、さらには中世の封建社会への移り変わりと共に、非農業的産業の比重が漸次増していきました。

非農業が農業を「隈」(クマ)に追いやるこのプロセスは、明治産業革命や、戦後の高度経済成長を経てさらに加速し、ついにはTPP発効を目前に控えて、日本の農業を完全に根絶やしにしつつあるようにすら見受けられます。

こう考えると、グローバル化とは、新しい「文明」が、古い「神話」を「隈」に追いやろうとするプロセスの進展であると同時に、非農業という縄文的な古い人間の活動が再び力を盛り返し、農業という弥生以降の新しい文明を圧倒するプロセスの延長であるという真逆の解釈をほどこすことも可能です。

つまり、グローバル化や産業の高度化は、新しい時代の進展であると同時に、農業や国家が成立する以前の古い時代への回帰という二重の意味をもっています。

しかし、どんなに時代が進展し産業が高度化しようとも、人類が、太陽エネルギーを究極の根源として自然界に蓄積される化学エネルギーから、生きていくための糧を得なくてはならないという基本的な事実に変わりはありません。

「隈」(クマ)に追いやられた存在を「神」(カミ)とあがめる日本人の深層心理は、これまで、天神的な原理と地祇的な原理のバランス機構として機能してきました。(神祇史観)

出雲という「隈」に追いやられた先行王朝の王を地祇(くにつかみ)として祀ることになった由来を記した国譲り神話も同じ深層心理の表れであり、この心理の故に、日本の文化は、異文化との幾重もの習合を重ねて、ふくよかな重層性を抱えもつようになりました。

異なる原理や権威や権力や意味の二重性や並立を認め、単一の原理や勢力や意味の圧倒を許さないのが、日本人の伝統的な精神です。

掛詞(かけことば)という、同一の語に二重の意味を持たせて、二通りの解釈の余地を意図的に残す日本語の用法も、この日本人の深層心理と関わりを持っています。

この論も、また、グローバリズムをめぐる一種の掛詞であるかもしれません。

反○○を唱えるあまり、右翼であれ、左翼であれ、アメリカであれ、特定アジアであれ、産経新聞であれ、朝日新聞であれ、特定の立場や勢力のみに肩入れするのは、日本人のもともとの所作ではありません。

相対する二つの原理の併存があってこそ、日本は日本として保たれてきました。

この日本人の深層心理=魂は、農業という、現在、すっかり「隈」(クマ)においやられてしまっている産業を、アマテラスや皇室の威光と共に、再び「神」(カミ)として、日本の中心に呼び戻すでしょうか。
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