日本の孤独
日本の特殊性と、その普遍性。
この記事は、旧ブログの記事「日本の孤独」(2011年8月15日)の一部を再掲したものです。日本の歩みを手放しに肯定するのでも、否定するのでもなく、他国から与えられた視点よりも、「自己認識の物語」としての、「一つの歴史的文脈によって有機的にまとめられた物語」としての歴史の回復が求められています。
戦後66年間、「アジアを蹂躙した残虐で貪欲な侵略国家」と揶揄されながら「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」黙々と歩いてきた日本。まじめにこつこつ生きて来たおかげで、今では、世界の人々から信頼されていますが、近現代史における日本のあゆみは、やはり孤独なものだったと思います。いまだに多くの人々から誤解をされている国、日本。もしかすると日本人自身によっても十分に理解されていないかもしれない国、日本。
日本が理解されにくいのは、日本という国が、諸外国のみならず、中国、朝鮮といった近隣諸国とも、ある意味で隔絶した歴史的文脈を生きて来たことが一つの原因として考えられます。歴史とは本来的には、国家や民族や集団の自己認識を支える「物語」なのですから、他国と異なる独立した文脈を生きて来たのであれば、その軌跡は、外部から押し付けられた文脈ではなくて、それ自身の文脈に即して解釈されなくてはなりません。しかし、日本人が「自己認識のための物語」としての歴史を編もうとすると、その作業を「歴史歪曲」と呼んで、かつて日本を夷狄として蔑んでいた中国や朝鮮(韓国)といった中華体制に組していた国々が異を唱えてきます。彼らは彼ら自身の歴史的文脈に従って、私たち日本人が近現代史を解釈するように求めてきたし、現在の日本の学校における歴史教育でも、中国・朝鮮側からの視点がそのまま歴史の真実であるかのごとくちりばめられています。その結果、現在学校で教えられる歴史は、一つの歴史的文脈によって有機的にまとめられた「物語」という機能を失い、ばらばらに切り刻まれた「無味乾燥な暗記事項の集積物」になってしまっているのではないでしょうか。
日本人が他者から理解を求める以前に、日本人自身が、自分たちの自己認識を取り戻し、一貫して自分たちの文脈に従って編まれた「物語」としての歴史を回復する必要があります。他者との対話とは、私たちが相手の文脈の中に唯々諾々と取り込まれることではなく、相手を自分たちの文脈の中に取り込もうとすることでもなく、それぞれの立ち位置から見えるものをあるがままに披瀝しあう以上のことではないのかもしれません。
戦後66年間、「アジアを蹂躙した残虐で貪欲な侵略国家」と揶揄されながら「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」黙々と歩いてきた日本。まじめにこつこつ生きて来たおかげで、今では、世界の人々から信頼されていますが、近現代史における日本のあゆみは、やはり孤独なものだったと思います。いまだに多くの人々から誤解をされている国、日本。もしかすると日本人自身によっても十分に理解されていないかもしれない国、日本。
日本が理解されにくいのは、日本という国が、諸外国のみならず、中国、朝鮮といった近隣諸国とも、ある意味で隔絶した歴史的文脈を生きて来たことが一つの原因として考えられます。歴史とは本来的には、国家や民族や集団の自己認識を支える「物語」なのですから、他国と異なる独立した文脈を生きて来たのであれば、その軌跡は、外部から押し付けられた文脈ではなくて、それ自身の文脈に即して解釈されなくてはなりません。しかし、日本人が「自己認識のための物語」としての歴史を編もうとすると、その作業を「歴史歪曲」と呼んで、かつて日本を夷狄として蔑んでいた中国や朝鮮(韓国)といった中華体制に組していた国々が異を唱えてきます。彼らは彼ら自身の歴史的文脈に従って、私たち日本人が近現代史を解釈するように求めてきたし、現在の日本の学校における歴史教育でも、中国・朝鮮側からの視点がそのまま歴史の真実であるかのごとくちりばめられています。その結果、現在学校で教えられる歴史は、一つの歴史的文脈によって有機的にまとめられた「物語」という機能を失い、ばらばらに切り刻まれた「無味乾燥な暗記事項の集積物」になってしまっているのではないでしょうか。
日本人が他者から理解を求める以前に、日本人自身が、自分たちの自己認識を取り戻し、一貫して自分たちの文脈に従って編まれた「物語」としての歴史を回復する必要があります。他者との対話とは、私たちが相手の文脈の中に唯々諾々と取り込まれることではなく、相手を自分たちの文脈の中に取り込もうとすることでもなく、それぞれの立ち位置から見えるものをあるがままに披瀝しあう以上のことではないのかもしれません。