一瀉千里の奔流となり得る日(13)

グローバル化=文明と野生の分離=朝鮮化。
是を以て、天神地祇共に和享(にこ)みて、風雨時に順ひ、百穀用て成りぬ。家給ぎ人足りて、天下大きに平らかなり。故、称して御肇國天皇(ハツクニシラススメラミコト)と謂す。

(これによって、天神と地祇が共ににこやかになり、風雨も時を得て百穀もよく実り、家々には人や物が充足され、天下は平穏になった。そこで崇神天皇を褒め称えて「御肇國天皇(ハツクニシラススメラミコト)」と言う。)

(出典: 『日本書紀』巻第五崇神天皇十二年)

日本書記によれば、日本は、天神(支配する側に立つ人々の系譜)と地祇(土着のコミュニティや自然の中に生きる人々の系譜)が、対等な崇敬を寄せられ、互いに「にこむ」(にこやかにやわらぎ和む)ことによって誕生した国です。

参考記事
グローバリズムと神道(25)(2015年2月17日)
グローバリズムと神道(26)(2015年2月18日)
グローバリズムと神道(27)(2015年2月25日)


それ以来、天神的な原理と、地祇的な原理の二つは、一方が他方を消尽させることなく、互いを牽制し合いながらも、一つに融和していくという独特の仕方で、日本の歴史をダイナミックに推進させていく内燃機関のような役割を果たしてきました。



日本のこのあり方は、「文明」と「野生」の二つが完全に分離し、原住民が、キリスト教に改宗させられたり、白人が作った植民国家の中に取り込まれて同化させられていった環太平洋地域や、中華文明の側に立つ支配者が、土着の文化や人々を劣ったものとしてひたすら賤しんだ朝鮮のような国々とは大きく異なっています。

ここで、グローバリズムがもたらす社会」(2013年2月23日)という古い記事の中で取り上げた、ハーバード大学の朝鮮史の教授、カーター・J・エッカートの『日本帝国の申し子』の文章を、再度引用しておきたいと思います。

事大主義の遺産

朝鮮の学者は南北を問わず、ナショナリズムという見地から朝鮮の歴史を説明しようとする。しかし朝鮮におけるナショナリズムは歴史が浅く、19世紀後半に帝国主義への反動から生まれ、植民地統治の経験を経て強まったものである。もちろんそれまでにも朝鮮人は民族、言語ともに周囲の国とは異なることを自覚していたし、王や支配王朝に対しても忠誠心を抱いていた。しかし、19世紀後半までは、国家としての「朝鮮」という概念や、同じ半島に住む同胞の「朝鮮人」に対する忠誠心はむしろ希薄だった。それよりはるかに強かったのは、王に対する忠誠心に加えて、村や地域、そして何よりも氏族、家系、肉親、血縁集団への帰属意識だったのである。

とくに支配階級にとっては、ナショナリズムという概念はなじめないどころか、野蛮なものにさえ映ったことだろう。少なくとも7世紀以降、支配階級は文化的にはみずからを朝鮮人というより、中国を中心とする大きな世界文明の一員と考えていた。朝鮮の王位は、かたちの上では中国の皇帝によって与えられる地位であったし、宮廷人や貴族の間では中国語が書き言葉として用いられた。また中国の哲学や文学の古典が、あらゆる教育の基礎となっていた。朝鮮の支配階級にとって、中国文化に触れないことは野蛮人となるに等しかったのである。

李朝の初期、こうした中国文化崇拝は、事大主義と呼ばれる外交政策として具体化する。事大(サデ)とは「偉大なる物につかえること」で、「偉大なるもの」とはすなわち中国に他ならなかった。ある意味で、事大主義は巧妙な外交戦術ともいえ、これによって朝鮮は偉大なる国家(当時の一般的な儒教用語でいうところの「兄」)から恩寵、庇護、そして洗練された文化を手に入れたのである。しかし一方で外国に対するこのような崇拝と服従は、朝鮮の支配階級に存在しえたかもしれない民族意識を多いに弱めることになった。

(中略)

1876年以降、ナショナリズムが成長する一方で、みずからのアイデンティティを異文化の枠組みの中に見いだすという支配階級の伝統的な傾向は、植民地時代にも引き継がれたようだ。彼らは文明の中心を中国から日本に置きかえ、日本を朝鮮の「兄」と見なした。

(出典: カーター・J・エッカート『日本帝国の申し子』)

日本と対照的に、「天神」(文明)と「地祇」(野生)の間に、歴史的に、深い断絶が存在したのが朝鮮という国であり、この断絶は、韓国と北朝鮮という二つの国家への分断を引き起こすほど根の深いものでした。

また、「みずからのアイデンティティを異文化の枠組みの中に見いだすという支配階級の伝統的な傾向」と、エッカート教授が指摘した朝鮮的、事大主義的な特徴が、安倍政権や自民党に代表される、昨今の日本の政治家や、経済人の中に強く見られることに私たちは気付かされます。

幾度も述べてきたことですが、グローバル化とは、日本における「天神」と「地祇」の伝統的な絆をほどき、両者の分離をもたらします。

したがって、「天神」(文明)と「地祇」(野生)の分離とは、日本が朝鮮化していく事態に他なりません。

この分離は、抽象的なことがらではなく、私たちが肌身で感じることのできる、具体的な日常のレベルで実際に起きている問題です。
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