一瀉千里の奔流となり得る日(10)

カエルとしての日本人。
よく、キリスト教や仏教が、世界的な普遍的宗教であるのに対して、神道は、日本に固有の特殊な民族宗教であるように語られます。

本当にそうでしょうか。

しかし、神道(日本文明)を

1. 地祇的原理(神話の思考)
2. 天神的原理(文明の思考)


の二つの要素に切り分けて考えるならば、実はそうではないことがわかります。

ここでも、示唆に富む、中沢新一氏の『カイエ・ソヴァージュ』という非常に優れた書物から引用したいと思います。

今から十五年以上も前の事になりますが、わたしは中国西南部の雲南地方を旅行していました。 そのあたりはイ族やナシ族やリース族など、たくさんのいわゆる「少数民族」と呼ばれる人々が暮らしている地帯で、どこへいっても色とりどりの特徴ある民族衣装を着た、きれいな娘さんたちが仕事をしたり、集まっておしゃべりをしたり、歌を歌ったりする姿を見ることができます。

この人々は、今では中国の南の端の方の山岳地帯に住んでいますが、もともとはもっと揚子江に近い平原部で生活をしていたらしく、 縄文時代の日本列島に住んでいた人々とは、物質文化においても、神話のような精神的な文化においても、密接な繋がりを持っていました。 実は中国に住んでいるこの少数民族は、ミャンマーの山岳地帯にいる人々とも、チベット族ともかつてはとても近い場所でいっしょに暮らしていたこともあった人々でした。 こうして見ますと、ヒマラヤ山脈のふもとから出発して雲南地方を通りぬけ、揚子江流域をへて日本列島にまでつながっていく、大きな眉月の格好をした少数民族の帯の広がっている様子が想像できます。

これらの「少数民族」には共通点があります。 それは、自分からは「国家」というものを作りださなかった人々だと言うことです。 このあたりで最初に「国家」を作りだしたのは、後に漢民族と呼ばれるようになった人々で、彼らは揚子江と黄河の流域に暮らしていました。 漢民族によってつくられた国家は、つぎつぎと周辺の人々にも影響をおよぼし、征服されて漢民族に同化されてしまう人々もいれば、自分たちの内部から国家というものをつくって、漢民族国家の衛星国となるケースもありました。日本人の場合は、まさに後者のケースになります。

さて、雲南の「少数民族」の世界を旅行しているうちに、わたしは一つのイメージの虜になってしまいました。 それは大きなドーナツ状の環が太平洋を取り巻いて広がっているイメージです。

もっと正確に言うと、その環は南米大陸の南の突端から出発して、北米大陸を北上し、ベーリング海峡を超えて、東北アジアに連なっていきます。 大陸のほうではアムール川流域のあたりで、その環は一旦途切れて見えなくなってしまいますが、そのかわりサハリン島と北海道を抜けて、日本列島に入り込んで、再び中国の南西部に顔を出すのです。

自分から「国家」というものを作りだそうとしなかった人々の環が太平洋を取り巻いているイメージです。 数千年前までは、この環はもっとはっきりとつながっていたのですが、黄河流域に「漢民族」が国家を作りだしてからは、あたりの光景はどんどん変化していきました。 それでも北アメリカのインディアンや南アメリカのアマゾン流域のインディアンたちは別で、ここには「国家」を作りだす運動はほとんど起こることなく、1492年のヨーロッパの到来という事件を迎えることになったのです。

日本列島に生きてきた人々は、目には見えないこの環太平洋をつなぐ大きな環の中にあって、自分達の文化を作り上げてきました。 私たちの精神の土台は、じつは今もこの見えない環に、深くつながれています。 この環の中にあって、日本列島には「縄文」と呼ばれる新石器文化が形作られることになりました。 じつは、その時形成されたものの考え方や感じ方は、形を変えて現代にまで生き続けています。 とくに縄文文化の痕跡を色濃く残したまま、歴史を刻んできた東の日本では、私たちが少しでも心をそのことに向けさえすれば、この「環」の実在を今でもありありと感じとることができます。

自分たちの精神性の土台をつくりあげているものが、遠くアメリカインディアン達の感受性や思考方法などと、深いところでの共鳴を示しているのに気づくことが多いのも、そのためです。 技術・経済大国に発展した日本人の心の深い部分には、姿をやつした「野生の思考」がまだ活動を続けています。 自然感覚や人間関係の作り方などを見てみれば、そのことは直感的にわかります。しかし、その直感を客観的にも確実なものにしてみせる研究は、まだ十分に行われたことがありません。

(出典: 中沢新一『カイエ・ソヴァージュ』第二部「熊から王へ」より)

日本という国は,「神話の思考」に根ざし、国家を作ろうとしなかった、環太平洋の文化圏と、「文明の思考」に根ざし、国家を作り出したユーラシア大陸から発祥した文化圏の、二つの文化圏のせめぎ合いの場で生まれ、はぐくまれてきたというのですが、この指摘は卓見であると思います。



ですから、地祇的原理(神話の思考)と、天神的原理(文明の思考)、それぞれを個別に取り上げるならば、それらは日本にとどまらず、世界の広範な領域を覆っていた思考や原理なわけですから、この意味では、神道は、仏教やキリスト教と同様、普遍性を帯びた宗教であったということができます。

また、この二つの原理が、世界の広範な地域に広がっていた普遍的な原理であるならば、この二つの原理のいずれかに傾斜していくことは、グローバリズムへの傾倒につながっていきます。

神道や日本文明に固有の特殊性があるとするならば、それは、この二つの原理の関わり合い方にあります。

二つの原理の一方が他方を、圧倒したり排除したりすることなく、重なり合い、浸透しあい、融合してきたことに、神道や日本文明の特殊性があります。

この二つの原理の融合のいきさつについては、「グローバリズムと神道」というシリーズ記事の中で、日本神話の「国譲り」のエビソードの解析を等して考察してきました。

「神話の思考」と「文明の思考」の二つをまたがって生きてきた日本人の特質を指して、中沢氏は、日本人は水と陸のふたつの世界に生きるカエル(両生類)であるとも述べています。

さて、中沢新一氏が、「国家をつくろうとしなかった文化圏」と定義した環太平洋地域には、現在、TPPという「国家や国境の存在が有名無実化する経済圏」が誕生しようとしているわけですが、この中に、日本という、神話と文明の二つの思考を兼ね備えた国家が組み込まれていくことの意味は、どのようなものなのか。

さらに考察を深めてみたいと思います。
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