汚い部屋とネット民の甘え
「飯を食ったら茶碗を洗え」
中国の宋代に編纂された禅の著名な公案(禅問答)集に『無門関』(「門のない門」の意)という題名の書物があります。その第七則に次のような公案が書かれています。
近頃、仏教に関する二三のYouTubeの動画を見たとかで、仏教の本質が理解できたと勘違いしたのか、仏教についてとんちんかんな講釈を垂れているカツトシという青年がいます。
WJFの多元論批判及び、二元論批判批判
仏教思想について~善の心で行為をしてはならない理由~
カツトシ君の勘違いとは裏腹に、趙州によれば、仏教の本質を理解するのには、YouTubeの動画を見るよりははるかに迂遠で、なおかつYouTubeの動画を見るよりははるかに近い道筋をたどらなければならないようです。それは、
「飯を食ったら茶碗を洗え」
という当たり前な日常の具体的な所作の中に敷かれた道筋です。
この言葉を、カツトシ君に当てはめるならば、
「部屋が散らかったら片付けろ」
ということになるでしょうか。
ニコニコ動画などでは、とっちらかった部屋から生放送を配信することが一つの定番のスタイルになっているようですが、無粋を恐れずあえて指摘させてもらうならば、ネット民一般に骨の随まで定着している「甘え」と「開き直り」の一端がここには見られます。
「ニコニコだから」
汚い部屋を世の中の人々に見せてもよいという「甘え」と「開き直り」は、
「ネットだから」
間違いだらけのデタラメな知識や情報や言論を無責任に垂れ流してよいという「甘え」や「開き直り」と連続するものです。
このような「甘え」と「開き直り」なしに、どうしてYouTubeの動画を見たぐらいの知識で、仏教についてわかったつもりになって、講釈を垂れたりできるでしょうか。
三橋貴明という2ch出身の言論人が、さんざん「安倍さんは新自由主義者ではない」「安倍さんに新自由主義者のレッテルを貼るのは反日左翼だ」などというデタラメを垂れ流して世論を誤誘導しておきながら、なんの謝罪も訂正も行わないのも、彼の出自であるネット民としての「甘え」や「開き直り」を笠に着ているせいであるとも考えられますし、そのような無責任な言論人を支持するカツトシ君自身が、「WJFは共産党支持者だ」「WJFプロジェクトは年内に閉鎖する」などというデマをネットで垂れ流しておきながら、なんの謝罪も釈明も行わないでいるのも、また、「私自身は、WJFの述べている多元論的認識についてちゃんと説明を読んでいるわけではありません」とわざわざ前置きしながら、WJFの「多元論」に関する主張の内容を知ることも調べることもなく、その主張を批判することが可能だと無責任に考えるのも、同じ、ネット民としての「甘え」と「開き直り」のせいであると考えられます。
カツトシ君が世の中にさらしてはばかるところのないあの「汚い部屋」は、ネットだから知識や根拠もなしにデタラメなことを語ってもよいのだとする彼の「甘え」や「開き直り」と無関係であるはずもなく、
その「甘え」や「開き直り」は、
「飯を食ったら茶碗を洗え」
という、仏教の、というより人間のたどるべき道筋の本質を語る言葉とは、まったく無縁のものなのです。
七. 趙州洗鉢
趙州因僧問 某甲乍入叢林 乞師指示
州云 喫粥了也未
僧云 喫粥了也
州云 洗鉢盂去
其僧有省
七. 趙州洗鉢
趙州に僧が問うた「私は、この寺に入門したばかりです。どうぞご指示をください。」
趙州は言った「飯は食ったのか。」
僧は答えた「食べ終わりました。」
趙州「ならば鉢を洗いなさい。」
僧は洞察を得た。
(出典: 『無門関』第七則)
近頃、仏教に関する二三のYouTubeの動画を見たとかで、仏教の本質が理解できたと勘違いしたのか、仏教についてとんちんかんな講釈を垂れているカツトシという青年がいます。
WJFの多元論批判及び、二元論批判批判
仏教思想について~善の心で行為をしてはならない理由~
カツトシ君の勘違いとは裏腹に、趙州によれば、仏教の本質を理解するのには、YouTubeの動画を見るよりははるかに迂遠で、なおかつYouTubeの動画を見るよりははるかに近い道筋をたどらなければならないようです。それは、
「飯を食ったら茶碗を洗え」
という当たり前な日常の具体的な所作の中に敷かれた道筋です。
この言葉を、カツトシ君に当てはめるならば、
「部屋が散らかったら片付けろ」
ということになるでしょうか。
ニコニコ動画などでは、とっちらかった部屋から生放送を配信することが一つの定番のスタイルになっているようですが、無粋を恐れずあえて指摘させてもらうならば、ネット民一般に骨の随まで定着している「甘え」と「開き直り」の一端がここには見られます。
「ニコニコだから」
汚い部屋を世の中の人々に見せてもよいという「甘え」と「開き直り」は、
「ネットだから」
間違いだらけのデタラメな知識や情報や言論を無責任に垂れ流してよいという「甘え」や「開き直り」と連続するものです。
このような「甘え」と「開き直り」なしに、どうしてYouTubeの動画を見たぐらいの知識で、仏教についてわかったつもりになって、講釈を垂れたりできるでしょうか。
三橋貴明という2ch出身の言論人が、さんざん「安倍さんは新自由主義者ではない」「安倍さんに新自由主義者のレッテルを貼るのは反日左翼だ」などというデタラメを垂れ流して世論を誤誘導しておきながら、なんの謝罪も訂正も行わないのも、彼の出自であるネット民としての「甘え」や「開き直り」を笠に着ているせいであるとも考えられますし、そのような無責任な言論人を支持するカツトシ君自身が、「WJFは共産党支持者だ」「WJFプロジェクトは年内に閉鎖する」などというデマをネットで垂れ流しておきながら、なんの謝罪も釈明も行わないでいるのも、また、「私自身は、WJFの述べている多元論的認識についてちゃんと説明を読んでいるわけではありません」とわざわざ前置きしながら、WJFの「多元論」に関する主張の内容を知ることも調べることもなく、その主張を批判することが可能だと無責任に考えるのも、同じ、ネット民としての「甘え」と「開き直り」のせいであると考えられます。
カツトシ君が世の中にさらしてはばかるところのないあの「汚い部屋」は、ネットだから知識や根拠もなしにデタラメなことを語ってもよいのだとする彼の「甘え」や「開き直り」と無関係であるはずもなく、
その「甘え」や「開き直り」は、
「飯を食ったら茶碗を洗え」
という、仏教の、というより人間のたどるべき道筋の本質を語る言葉とは、まったく無縁のものなのです。
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