何を「保守」するのか

本当に「保守」すべきものを「保守」せよ。
※この記事は、旧ブログの記事何を「保守」するのか(2013年2月16日)を再掲したものです。

TPPや道州制について、どのぐらい人々の関心が高まっているかを知るために、ツイッターでのツイートの数を確認するようにしています。

昨日の「道州制」という言葉を含んだツイートの数は140。さして増えていないのが分かります。

その中で、次のようなツイートを見つけました。

TPPも道州制も「保守」や「革新」という思想の問題ではない。
確かにそうです。

「保守」という言葉を「保守」vs「革新」という冷戦構造的な二元的、二極的な意味で理解すれば、「保守」とは「資本主義体制を堅持する陣営」を意味しますので、TPPや道州制をやろうとしたからといって、自民党が「保守」政権であることには変わらないでしょう。

しかし、冷戦が終わり、既に20年が経過する今、私たち日本人が必要としている「保守」とは、社会主義や共産主義に対して「資本主義を守る」という意味での「保守」なのでしょうか。あるいは「革新」に対するアンチテーゼとしての「保守」が求められているのでしょうか。

そうではない。

今、私たちが心から求めているのは、私たちが縄文から連綿と受け継いできた世界文明の一つである「日本文明を保守する」という意味での「保守」政権のはずです。

他の文明の浸食から「日本文明を保守する」ために、絶対不可欠なのは、文明を守る容器となる堅牢なる国家の枠組みです。具体的には、移民の抑制、国籍取得やビザ発給の厳格な条件、十全な武装力、情報や技術の保全、国内経済・産業の活性化、関税や規制、文化財の保護、地域の活性化、歴史の回復、教育の再生、領土の保全、皇統の維持などなどです。

この意味においては、TPPや道州制を通して、自由貿易を活発化させるために国家の枠組みを希薄化させ溶解させようとする新自由主義は、「日本文明を保守する」どころか、その破壊と消滅に導くものです。

従って、この「日本文明を保守する」という観点においては、TPPや道州制をやろうとする安倍晋三が率いる新自由主義政権は、真の「保守」政権であろうはずがないことは、容易にそして明確に判断することができます。

冷戦が終わって20年も経過するにも関わらず、いまだに脳内に冷戦時代の時代錯誤的なパラダイムを引きずったまま、「ウヨク」や「サヨク」、「保守」や「革新」といった二元的、二極的な枠組みで「保守」という言葉を捉えようとする方たちが、自民党を「保守」政党と錯覚し、盲信的に固着するのではないでしょうか。

私たちが「保守」すべきものは、もはや、共産主義に対して資本主義を「保守」することではない。

民主党に対して、自民党を「保守」することでもない。

サヨクに対して、安倍さんを「保守」することでもない。

「日本文明を保守する」こと。

それこそが私たち日本人に課せられている絶対命題のはずです。

この「日本文明を保守する」という課題は、「ウヨクか、サヨクか」「保守か、革新か」「自民か、民主か」などという「あれか、これか」という二元的、二極的な枠組みを超越した課題です。

片方の立場を善とし、もう片方の立場を悪とする善悪二元論的なものの見方では、実現することのできない課題です。

いつになったら、私たちは、冷戦時代に植え付けられたのであろう「あれか、これか」の二元的な思考から抜け出して、「日本文明を保守する」という歴史が私たちに突き付けている最も根源的な課題に直接に向き合うようになるのでしょうか。

冷戦時代、日米同盟は、資本主義体制を「保守」したかもしれません。

しかし、日米同盟は、「日本文明を保守」してきたでしょうか。

冷戦終結後のこの20年間、日米同盟は「日本文明を保守する」上で、役に立ってきたでしょうか?

むしろ、グローバル化を目指した新自由主義的な発想にもとづく度重なる内政干渉によって「日本文明」を破壊する方向に進んではこなかったでしょうか?

今後、日米同盟によって「日本文明を保守する」ことは可能でしょうか?

TPPや道州制を通して「日本文明を保守する」ことは可能でしょうか?

TPPや道州制を導入しようとする安倍政権は、「日本文明を保守する」という意味での、真の保守政権でしょうか?

同じ方が次のようなこともツイートされています。


このようなツイートをみると、脱力してしまうのですが、安倍氏や麻生氏の道州制も、維新のいう道州制も、連邦制ですから中央政府を完全に廃止しようとするものではありません。これは当たり前なことです。

道州制のもとで、特定の州が直接、海外資本と取引をする。海外の特定の国と直接外交関係をもつ。それによって、特定の州と特定の国家との癒着が生まれる。特定の州の政治家が、特定の国家との結びつきを深めれば、そこで売国的な利益供与の可能性が生じる。日本という国家に反感を持つ国に囲まれた我が国がこのような制度を導入すれば、特定の州が籠絡されていく可能性は極めて高い。沖縄などがその最たるものではないですか。

安倍氏が言っている道州制も、維新の言う道州制もこの点で何の違いもありません。

尖閣や沖縄への中国の侵略の危険が高まっている現在の緊迫した情勢の中で、なぜ、このようなものをやらなくてはならないのか。安倍さんが道州制をやれば、魔法のようにその危険性が消滅するのでしょうか?

道州制は、自由貿易を活発にし「資本主義」を「保守」する上では大変有益かもしれませんが、外国資本によって経済合理性にもとづいて日本の各地方が開発されていくとき、「日本文明を保守する」上では何の役にも立たないどころか、ただでさえ疲弊した日本の地域文化は消滅の危険に晒されます。安倍さんが道州制をやれば、魔法のように、グローバリズムの毒が消え去り、「日本文明を保守する」ことにつながるのでしょうか?

安倍氏を信奉する方たちは、あまりにも、ものごとをあるがままに公平に見ることができなくなってしまってはいませんか。

これでは、カルト信者の思考法と何も変わるところはありません。

このようなカルト的な盲信や洗脳というものは、たいてい「あれか、これか」の善悪二元的な思考の中で起きるものです。

たとえば、宗教の洗脳は「この宗教は善、それ以外の宗教は悪」といった善悪二元論を反復することで行われます。

その結果、ある特定の立場をあまりに強固に善とし、それ以外の立場をあまりに強固に悪と信じ込むようになります。

宗教の洗脳と同じく「自民は善、民主は悪」といった善悪二元論が、これまであまりに執拗に反復されてはこなかったでしょうか。

この二元的な思考が、現在自民党に対する多くの人々の過度の盲信を生んではいないでしょうか。

その結果、日本を守ることよりも、安倍氏や自民党を守ろうとすることに熱心な本末転倒した人々が現れてはいませんか。

この洗脳から脱するためには、「あれか、これか」という善悪二元論を超えた絶対的な、そして根源的な課題に直面することが不可欠です。

この課題とは、私たち日本人にとっては、「日本文明を保守する」という歴史から課せられた課題以外にはありません。



二元論がどうのとごちゃごちゃした理屈がぴんとこなければ、どうか上の動画を何度も何度も繰り返しごらんになって、お国のために命を捧げた英霊たちの思いを肌身に感じていただきたい。

彼らは「あれ」や「これ」、「サヨク」や「ウヨク」、「保守」や「革新」といった特定の立場を守るために命を捨てたのか。

そうではない。

「あれもこれもへったくれもあるか」

日本の国を、故郷を、家族を守るために命を捧げたのではありませんでしたか。

「あれや、これや」などと物事が分岐する以前の、彼らのその最も根源的な思いを私たちが取り戻すならば、特定の立場や政党や政治家を盲信するなどというばかばかしいことは、もはや起きないはずです。

特定の立場やイデオロギーによってではなく、根源的な視点から、あらゆる物事を公平に批判できるようになるはずです。

私は現在、執拗に自民党を批判していますが、「自民党」という特定の立場がだめだから、何か他の立場や政党を掲げて、そちらを信奉しなさいと申し上げているのではない。

「あれか、これか」の二者択一の話をしているのではない。

本当に守るべきものを守るために、

「あれか、これか」という二元的思考を超えたところから、物事を公平にみて、客観的に批判しなさい。

そう皆さんに強く申し上げているのです。

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水道管破裂様

>法の支配がうんたらかんたらと述べていた浅学のアホでございます。

「浅学のアホ」とお話するほど、暇ではないので、これを最後にしてください。

>これについては私が誤解を与えるような発言をいたしました。「幾世代もの時の流れの中で自然に存在」するのは“法”全般であって法の支配のみについて述べたものではありません。また、存在する領域については特定の国や特定のコミュニティー内でのことで全人類に対して普遍的である必要はありません。というわけで法というのはそれぞれの国に独自のものとなります。

どこの国やコミュニティーにも法や決まりごとが存在するのは当たり前の話です。そのような当たり前なことを理解するのに、わざわざバークのようなイギリス人の著作を読まなければならないのでしょうか?

>当然伝統や慣習、道徳のない国に法の支配は存在しません。

伝統や慣習、道徳のない国なんかどこに存在するのでしょうか。まったく意味がわかりません。あなたが本気で、「伝統や慣習、道徳のない国」が存在すると何の疑問も持たずに考えているとしたら、あなたはご自分で自称されたとおり確かに「浅学のアホ」です。

>では何故アメリカに建国当初から法の支配が存在したのかについてはご自身で調べられたらよろしいかと思います。アメリカについてかなり誤解されているようですので。

「法の支配」をもつアメリカのような、「伝統や慣習や道徳」をもつ立派な国は、アメリカ原住民を虐殺したり、日本人の一般市民の上に原爆や爆弾を雨あられと落としたりするわけですか。「法の支配」なるものは、ずいぶん立派なものなのですね。アメリカが世界のあちこちに行って自分たちの価値観を押しつけて歩いているのも、ひょっとしてアメリカが「法の支配」をもつ国だからなのですか。アメリカは自分たちを支配する「法」が、全人類にとって普遍妥当的だと考えているのでしょうか。「法の支配」なるものは、ずいぶんありがた迷惑なものなのですね。

それはそれとして、あなたは「なぜアメリカに建国当初から法の支配が存在したのか」と問いかけられましたが、議論上このような問いかけが可能になるのは、その前提として、「アメリカには建国当初から法の支配が存在するか否か」という問題に関して私とあなたが合意に達した後初めて可能になる問いかけであると思います。そもそも私とあなたとの間に「アメリカには建国当初から法の支配が存在するか否か」について何の確認作業も行われていない段階から、それを自明のこととした上で、「何故アメリカに建国当初から法の支配が存在したのか」という問いかけを唐突に持ち出され、なおかつ、「それに関しては自分で調べろ」などと言われても困ります。

このように、議論の丁寧な手続きをすっ飛ばすような、ずさんな議論の仕方をする「浅学のアホ」とお話するぐらい時間の無駄はありません。

>② 法の支配は「道徳に反する行いはしてはいけない」という我が国に先祖代々伝わる真理を立法においてもきちんとやりましょうというだけの話。昔から当然のように我が国に存在した概念です。

「道徳に反する行いをしてはならない」という程度のことを「法の支配」というのならば、あなたのおっしゃるとおり、そのような当たり前の考えは、「幾世代もの時の流れの中で自然に存在」するものです。

そして、「道徳に反する行いをしてはならない」という程度のことが「法の支配」というならば、そのような当たり前なことを、ことさらバークのようなイギリス人から教わる必要はないと改めて思います。

再度同じ事を言いますが日本人の保守思想は、日本の伝統と慣習の中から直接紡ぎ出されるべきものであり、それこそがバークや「法の支配」という概念が述べていることではないかと私は考えています。

バークの思想を放擲することによって、むしろ、バークのいわんとしたことは、日本において実現されるはずですが、「バーク、バーク」「法の支配、法の支配」とありがたがっているうちは、私たちは「浅学のアホ」の段階を一生抜け出すことはできないでしょう。

WJF様

こんばんは。法の支配がうんたらかんたらと述べていた浅学のアホでございます。まずは名も名乗らず投稿していた無礼を謝罪いたします。大変申し訳ありませんでした。水道管破裂と名乗ることに致しました。

>過去の日本人の思索と実践の中に「法の支配」が、確認できるならば、私はこれを日本の伝統の一部として認めましょう。

嬉しい言葉をいただきました。認めていただけるよう努力いたします。しかし、私の駄文よりも質の高い書籍が既にありますのでそちらを読まれたほうが理解が早く面白いのは事実であります。

>「法の支配」が、「幾世代もの時の流れの中で自然に存在」する、全人類に対して普遍妥当的な概念

これについては私が誤解を与えるような発言をいたしました。「幾世代もの時の流れの中で自然に存在」するのは“法”全般であって法の支配のみについて述べたものではありません。また、存在する領域については特定の国や特定のコミュニティー内でのことで全人類に対して普遍的である必要はありません。というわけで法というのはそれぞれの国に独自のものとなります。当然伝統や慣習、道徳のない国に法の支配は存在しません。では何故アメリカに建国当初から法の支配が存在したのかについてはご自身で調べられたらよろしいかと思います。アメリカについてかなり誤解されているようですので。

で、WJF氏の主張
① 日本国憲法において、ことさら「国民主権」がうたわれるはるか以前から、日本において「国民主権」は実践されていたのです。日本国憲法はそのことを後付で再確認したにすぎません。
私の主張
② 法の支配は「道徳に反する行いはしてはいけない」という我が国に先祖代々伝わる真理を立法においてもきちんとやりましょうというだけの話。昔から当然のように我が国に存在した概念です。

①が成立するのであれば同様に②も成立するはずですが、もう少し説明を付け加えましょう。「道徳に反する行いはしてはいけない」という当たり前の教えが我が国に存在してきたことは明らかですが、これは身分を問わずすべての人々にいかなるときも求められてきたものです。ですから当然、立法者が法律を制定するときも同様に求められます。であるからこそ伝統や慣習、道徳に反する法律は作れないことになります。これは法の支配が効いていることにほかなりません。我が国においてそのことが実践されてきた証明が万世一系の皇室ということになります。自然にできあがってきた皇位継承に関する不文の掟が人為的に作り変えられることなく二千年に渡り相続されてきたことこそが法の支配が守られ存在してきたことの証であります。皇室典範義解現代語訳より引用します。『皇室典範を作るのは、祖宗の遺意を明微(めいび=明らか)にして、子孫のために永遠の銘典を胎す所以である。皇室典範は皇室自ら、その家法を条定するものである。故に公式により臣民に公布するものではない。そして将来止むを得ざる必要により、その条章を更定することがあっても、帝国議会の協賛を経る必要は無い。蓋し、皇室の家法は祖宗より承り、子孫に伝える。既に君主が任意に作るものではなく、また臣民のあえて干渉するところではない。』と法の支配の考え方と同様のものが皇室典範に記されています。

>「国民主権」=「皇室以外の人々が、政治に関与すること」

これについてはとやかく言いませんが、、、
前出した“英米法ですから主権が誰にあるかという議論は意味がありません。”についてはピンときておられないようなので大雑把ですが説明いたします。WJF氏は主権というものが君主か国民かどちらにあるかという視点で物を見ていらっしゃるようですが、これは「君主(右翼)か国民(左翼)か」と同じの考え方の似た者同士が小さな世界でいがみ合っているような状態です。保守思想では君主主権であれ、国民主権であれ、これらを“人の支配”として本質的に同じものと考え、この“人の支配”との対立軸に“法の支配”を置きます。
であるから、
「人の支配{君主(右翼)vs国民(左翼)}」vs「法の支配」
こんな感じに保守主義者は考えています。「右翼と左翼は一卵性双生児。本質的に同じもの。」などとよく言われ、保守思想を知らない人はその時の気分や感情、世の中の雰囲気で右に行ったり、左に行ったり簡単に変わってしまいます。戦前と戦後の日本の変化もこの程度の変化にすぎません。保守主義者が右翼も左翼もまとめて左翼と呼ぶのはそういうわけであります。
 英米法では法の支配でありますから、人の支配である君主主権も国民主権も存在しません。そういう視点をもって英米法を理解してから明治憲法を見てみると新たな発見があり面白いかもしれません。

>中川八洋やバークのような特定の思想家の著作を読まなければ保守思想は理解できない

フランスでルソーによる左翼思想が発明されるまでは、意識されず自然に存在していました。そして、この左翼思想がこれまでに長い年月で培われてきた道徳や慣習を破壊してしまう危険思想であるからこそ、バークはこの伝統を守るために、これまで意識されてこなかった概念を体系的にまとめ上げたのです。私たちは生まれてからこの左翼思想を徹底的に刷り込まれていて、知らず知らずのうちに道徳や慣習を破壊してしまっています。左翼思想が蔓延する現在では意識して保守思想を学ばなければこれを身につけることは出来ません。まずは中川八洋氏が読みやすく分かりやすいです。保守の思想家や政治家もたくさん紹介してくれています。

長文失礼致しました(*´∀`*)

匿名様

>法の支配が無意識であるが正しく理解されていたからこそ万世一系の天皇が存続してきたのです。

あなたの言うように、「法の支配」が、「幾世代もの時の流れの中で自然に存在」する、全人類に対して普遍妥当的な概念であり、日本において万世一系の皇室が続いてきたことが、「法の支配」が普遍的な存在することの現れであるとするならば、世界中に、万世一系の王室が存在しなければおかしいことになります。

実際には、万世一系の皇室は日本にしか存在しません。ならば、「法の支配」は日本にしか存在しないことになり、「幾世代もの時の流れの中で自然に存在」する、全人類に対して普遍妥当的な概念ではないことになります。

「法の支配」が、「幾世代もの時の流れの中で自然に存在」するものであるならば、過去の日本人によって発見され、またこの概念が表現されていなくてはおかしいのですが、日本の過去の諸文献の中に「法の支配」なる概念が、どのように表現されているのか、あなたにお聞きしたのですが、私の質問には答えられませんか?

私の知る限りでは、「法の支配」なる概念を、日本の過去の文献の中に発見することはできません。キリスト教とは異なり、仏教にせよ、神道にせよ、超越的な観念の存在を認めてこなかったからです。

>また、海外の概念がダメだともおっしゃいましたが、人民(国民)主権はフランスで“発明”された左翼思想です。これを水戸黄門の印籠であるかのごとく過去の記事で振りかざしていましたが、どう説明するのでしょうか?

「法の支配」とは異なり、天皇親政が、日本の過去の歴史の中ではめったに行われなかったこと、天皇以外の人々が、政治に携わる時代が圧倒的に長かったこと。これらの事実は、過去の日本史の中に簡単に確認できることです。

「国民主権」=「皇室以外の人々が、政治に関与すること」は、日本の伝統に照らして、何も矛盾がありません。

江戸時代を顧みても、身分差が少なく、武士や農民や町人という階級間に柔軟なモビリティが存在し、武士になる力量があれば、誰も武士になる道が開かれていたとするならば、「国民主権」は、江戸時代に既に採用されていたことになります。

日本国憲法において、ことさら「国民主権」がうたわれるはるか以前から、日本において「国民主権」は実践されていたのです。日本国憲法はそのことを後付けで再確認したにすぎません。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定めた大日本帝国憲法こそが、日本の伝統的な政治的実践に反していたのです。今上天皇が次の様に語られた通りです。

"なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば,日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合,伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。"

(出典: 宮内庁「天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年)」2009年4月8日)

ですから、私は、「法の支配」なる概念は、過去の日本人によって、どのように理解され、表現され、また実戦されていた痕跡があるのかとお聞きしたのです。

過去の日本人の思索と実践の中に「法の支配」が、確認できるならば、私はこれを日本の伝統の一部として認めましょう。そうでなければ、これは外来の「余計なもの」「日本の伝統に逆らうもの」と判断せざるをえません。

そもそも、あなたが、中川八洋やバークのような特定の思想家の著作を読まなければ保守思想は理解できないと言っている時点で、「法の支配」なるものは、「幾世代もの時の流れの中で自然に存在」する普遍的なものなどではないことを雄弁に示してしまっているのですが。

No title

質問を頂いてしまったため早めにお答えします。常識的には翌朝以降の投稿が妥当でしょうが、日付が変わったので良しとします。

法の支配が無意識であるが正しく理解されていたからこそ万世一系の天皇が存続してきたのです。ただし昨今はWJF氏のように伝統を無視して天皇陛下を恣意的に利用しようとする左翼脳が大勢存在しますので法の支配をきちんと意識しなければなりません。

法の支配は「道徳(コモンロー)に反する行い(立法)はしてはいけない。」という我が国に先祖代々伝わる真理を立法においてもきちんとやりましょうというだけの話。昔から当然のように我が国に存在した概念です。道徳に関してはその国に伝わる独自のものを当てはめればいいわけだから、これがどうして日本をイギリスに作り変えることになるのか。どういう思考回路でそうなるのか全く理解できません。もちろん、イギリスにおける慣習や道徳はキリスト教と密接な関係がありますが、日本で運用するにあたりキリスト教は全く関係がありません。

イギリスの不文憲法が望ましいと主張なさっておきながら、それと不可分であるはずの法の支配は受け入れられないとはこれまた理解不能です。一体どうしたいのでしょうか?

また、海外の概念がダメだともおっしゃいましたが、人民(国民)主権はフランスで“発明”された左翼思想です。これを水戸黄門の印籠であるかのごとく過去の記事で振りかざしていましたが、どう説明するのでしょうか?

WJF氏が保守思想を学ばず、設計主義的合理主義の左翼脳のまま自分の頭の中で苦労して“紡ぎ出した”ものは「どんなに危険な概念でも一度無理やり導入されてしまえば、年月をかけていずれ伝統となる。」という内容のおぞましい欠陥品で害悪にしかならないでしょう。「憲法を書く(つくる?)資格があるのは天皇陛下ただ一人。」に至っては絶句してしまいます。天皇主権ならびに皇統断絶を望んでいるのでしょうか。陛下に対して敬意を持つようにください。他の方からも指摘を受けているようですが本当に畏れ多いことです。ちなみにどなたかが明治憲法は英米法に基づいて書かれていると正しい指摘をされていましたが、あなたはよく吟味もせずに否定されていました。そういう癖がお有りになるようです。英米法ですから主権が誰にあるかという議論は意味がありません。後にドイツ法的解釈がなされためおかしなことになりましたが、国民が無知で憲法を解釈できないことと、その憲法に欠陥があるかどうかの話は全く別次元の話ですので混同しないようにしてください。

保守を自称するならば「人間が頭の中で考えだした社会制度は役に立たないばかりか、害悪となる」ということを正しく意識しておかなければなりません。
「右でもない、左でもない、伝統に即した国造りを」と望むなら、保守主義とはどういうものなのか、まずは知ってください。それをしない限りあなたの中に染み付いた西洋で“発明”された左翼的なものの考え方から抜け出すことは出来ません。少し寄り道をしてみるのも悪いことではないと思います。

匿名様

>保守を自称するのであれば原理原則というのは発明するものではなくて、幾世代もの時の流れの中で自然にできあがってきた均衡のなかから”見つけ出す”ものとの意識を持ち、これらを設計主義的合理主義的なものと瞬時に餞別する癖をつけなければなりません。あなたはバークもハイエクも全く理解されていないと思われます。

「法の支配」が、 あなたの言う通り、幾世代もの時の流れの中で自然に存在するものならば、日本人はとっくに過去の時代において発見しているはずですよね。

日本の過去の政治思想の中に「法の支配」 なる発想が記述されているのをあなたは発見できますか?

「法の支配」が、 あなたの言う通り、幾世代もの時の流れの中で自然に存在するものならば、中川八洋だのバークだのを読む必要すらないということになりますが、あなたは自分が矛盾したことをおっしゃっていることに気付きませんか?

「法の支配」という思想の根底には、超越神の存在を信じるキリスト教のような一神教の伝統があります。キリスト教を採用せず、超越神を信じてこなかった日本に「法の支配」なる思想が移入できるはずがない。

なんでそんな基本的なことがわからないのか。

No title

今日はこれで最後にします。

法の支配を”発明”と表現されるのはやはりWJF氏の頭の中は左翼的な考え方で支配されているのだろうと推測されます。
保守を自称するのであれば原理原則というのは発明するものではなくて、幾世代もの時の流れの中で自然にできあがってきた均衡のなかから”見つけ出す”ものとの意識を持ち、これらを設計主義的合理主義的なものと瞬時に餞別する癖をつけなければなりません。あなたはバークもハイエクも全く理解されていないと思われます。

では、では(^_^)v




匿名様

>法の支配というのは伝統や慣習を維持相続していくということであって、意識せずとも我々の先祖は自然に行ってきたものです。

「法の支配」という概念は、「イギリスで」生まれたものであり、「イギリスの」伝統や慣習を維持相続するために、バークらが好んで用いた概念です。

日本をイギリスに作り替えたい人ならともかく、「日本の」伝統や慣習を維持相続することを願う日本人は、イギリス人が発明した「法の支配」なる概念とは異なる思想を必要としています。

No title

法の支配というのは伝統や慣習を維持相続していくということであって、意識せずとも我々の先祖は自然に行ってきたものです。
これがデカルトに由来する設計主義的合理主義が誕生しこれから守るためにイギリスで理論化されたにすぎません。
我々がこれを利用することはなんら我が国の伝統に反するものではないと思います。

現在の日本国憲法をそのまま数百年後に日本の伝統にしてしまおうなどと本来の日本の伝統に合致しない危険な考え方を抑制することが出来ます。

とにかく、まずはご自身でよく理解していただきたいです。その上で必要ないというのであれば申し上げることは何もありません。

匿名よ

>日本の伝統や歴史的文脈を維持していくために、法の支配を活用すればいいのです。
>英米の保守思想を理解していれば、間違っても法の支配と自然法を混同することはありえません。


英米法の基本的原理である「法の支配 (rule of law)」という観念が、日本の伝統思想のどこに由来するのか説明してみてください。

「法の支配 (rule of law)」という観念が、日本の伝統や歴史的文脈に由来するものでないならば、あなたは、それを日本が採用すべき原理として振りかざすことによって、エドマンド・バークが批判した、フランス革命思想という外国思想にかぶれたイギリスの議員たちの轍を踏んでいることになります。

つまり、あなたは、エドマンド・バークと真逆のことをしていることになります。

No title

日本の伝統や歴史的文脈を維持していくために、法の支配を活用すればいいのです。

英米の保守思想を理解していれば、間違っても法の支配と自然法を混同することはありえません。
やはりどう考えも食わず嫌いだろうと誰の目からも明らかです。

考え方の一例です。
「皇室典範は、単なる皇位継承法ではない。それは2000年間も連続した125代に亘る天皇の皇位継承の歴史と伝統に依拠している一般規則である以上、“法の中の法”で、故にいかなる明文憲法も、これに従わなければならない。“法”は憲法の上位にあって、下位の憲法がこの“上位の法”に従うことを“法の支配”という。 」(中川八洋掲示板より) 

「日本独自の政治思想を紡ぎ出す」と簡単におっしゃいますが。。。

匿名様

エドマンド・バークの保守思想の論点程度なら十分承知しております。

バークの革命批判=理性批判は、ハイエクのような自由主義経済学者にも受け継がれています。

ハイエクは、最晩年の著書『致命的な思いあがり』で、共産主義を設計主義的合理主義であるとして手厳しく批判しました。

エドマンド・バークは、フランスという外国から移入された革命思想にかぶれたイギリスの議員たちに対して、イギリスの歴史的文脈や政治的伝統の中から、フランス革命を批判する政治思想を紡ぎ出してみせたのです。

ならば、私たちがエドマンド・バークから学び得ることはただ一つ。

私たちも、エドマンド・バークがしたように、外国の思想にかぶれるのではなく、日本の伝統や歴史的文脈の中から、日本独自の政治思想を紡ぎ出すことです。

コピペしろとは言っていませんし、そもそも英米の保守思想について日本においてはほとんど輸入されてきませんでした。現在もWJF氏のように英米の保守思想について全く見識の無い方ばかりだと思われます。

役に立つかどうかはやはりご自身で十分に理解されたから判断すべきと思われます。

No title

>西洋ではなくて英米の保守思想の根幹をなす法の支配すら知ろうともせず、役に立たないと断罪してしまうのはいささか乱暴すぎるのではと思われます。

英米も西洋の一部です。

どうして、日本の保守思想を、日本の歴史的文脈の中から紡ぎ出そうとせずに、日本と全く異なった歴史をたどってきた英米の保守思想を日本にそのまま移植しようとするのですか?

外国の思想をコピペすれば済んでいた時代はとっくに終わってるんですが?

西洋ではなくて英米の保守思想の根幹をなす法の支配すら知ろうともせず、役に立たないと断罪してしまうのはいささか乱暴すぎるのではと思われます。
役に立つかどうか判断するのはよくご理解なさってからでも遅くないかと。

No title

>保守を語るなら最低限バークやハイエクをきちんと勉強してからにして下さい

安倍や自民党は、果たしてバークを理解しているんですかね?
断言できますが、彼らは一字一句バークなんぞ読んでいないと思いますが

バークと言えば、フランス革命が起こってわずか半年後には

「革命フランス政府と断交して戦争せよ!」

と主張した人物です
この時期、まだ革命政府は「国王殺し」や「王妃殺し」の蛮行すら働いておりませんでした
ロベスピエールやジャコバン党の活躍も、ましてナポレオンの登場をも見る事無く、すでに革命フランス政府の危険性を感じ取ったバークの慧眼は、
確かに日本国民一同が学ぶべき価値があると思います

ですがここで繰り返し指摘しておきますが、
バークは革命フランス政府と「戦争せよ」と主張したのですよ?

アメリカにも中国にも韓国にもロシアにも
全方位的に国を売り続ける自民党政権と安倍は、バークを理解していると言えますかね?

ハイエクも、ソ連を名指しで批判し、その批判の鋭さは死ぬまで衰える事はありませんでした

「一党独裁の全体主義国家とは絶対に妥協してはいけない」

というのがハイエクの主張だったはずですが?
ソ連と同じくほぼ一党独裁の悪の全体主義国家である中国にひたすらおもねっている自民党は、
果たしてハイエクが見たらどう思いますかねぇ?

ついでに言えば、日本の借金をここまで増やしたのも自民党政権のお手柄ですね
(私個人は日本の借金なんて問題視する必要は無いと考えてますが)

ハイエクはケインズ的な財政出動には大反対していたはずで、
「アベノミクス」とか言ってる安倍や自民党のどこが「ハイエク的」なんですかね?

ここでバークやハイエクを持ち出すのは、彼らに対する最大限の冒涜だと思うのですがね

むしろバークやハイエクが生きていれば、間違いなくここの管理人様と同じような事を述べたと思いますよ
日本の伝統・慣習・歴史・文化を守れと声を大にして述べていた事でしょう

非表示のコメントにお答えして

> 保守を語るなら最低限バークやハイエクをきちんと勉強してからにして下さいm(_ _)m
> お願いします。

西洋建築の知識をもって、日本の伝統家屋を建設することはできません。

日本と西洋では、守るべきものの内容が異なるときに、西洋の保守思想を振りかざして何になるんですか?

バカも休み休みに言いましょう。

No title

再度コメントします。

コラッジョ さんのコメントに同感です。

「消去法で言って、自民党以外に選択肢が無いのでやむを得ない」

こう思うのなら何故おかしい方向に進んでいるのに声をあげないのか不思議です。
他に選択肢がないのなら正しい方向に向かうように声をあげるべきだと思う。
この間、安倍政権を応援している人が、デトロイトを見て新自由主義の結果だと言ってたので、このまま今の政権で新自由主義政策が進めば同じようになりますよと言ったら、それじゃ石破さんに変えたら国益を失いますよって怒られました。
別に石破さんに変えろって言ってるわけではないのに、批判することそのものに拒否反応を示されます。
彼ら彼女らの国益とは何なんでしょう?
完璧なものはないからおかしい事にはおかしいと言う。
そうやって良い方向に行くように応援するのが本当の応援ですよね。
それさえも出来ないのが日本なんだなと思わずにいられません。


No title

「消去法で言って、自民党以外に選択肢が無いのでやむを得ない」

最近ではこのような物言いの間接的自民党応援団も現れ出しました

「消去法」「他に選択肢が無いから仕方ない」

これが本当であれば、自民党を批判しても文句はないはずではないですか
自民党が完璧な政党ではない事くらいは「百も承知」ではないのですか?

なのに、彼らは安倍晋三や自民党を批判すると狂ったように騒ぎ立てます

一体彼らはまともな頭が付いているのか疑問です

もし、よろしければ

ブログ主様

いつも拝見しております。また、ブログランキングで投票させていただいております。
私が運営するブログにおいても、安倍政権や新自由主義、TPPを批判しております。

もし、よろしければ、相互に応援とさせていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。

No title

「日本文明を保守する」
一番大事な事だと思います。

でも今のネット上を見ると、自民党VS民主党、または左VS右という感じでの意見ばかりです。
そしてマスコミは韓国の事ばかり取り上げると文句ばかり言っているかと思えば、自分達も同じように韓国の悪口ばかり言っている。
結局は手のひらの上で転がされているだけなのに気づかない。
本当はもうこんなの関係ない。
敵は巨大でこんな内輪もめしている場合じゃないのに、2者択一でしか物事を見ない。
安倍自民党に関しておかしいだろうとツイッターでつぶやくとフォロワーが結構減ります。
私のフォロワーってネトウヨ、ネトサポが多かったのかと思えるぐらいです。
いい加減に自民党=善という構図から目を覚ましてほしいです。
そうでないと子供、孫たちにとってどんな未来が待っているのか。
私は最近では自分が日本人としてどうしたいのかと強く考えるようになりました。
そう考える事が国を守る事に繋がりますよね。
一人でも多くの人達が早く目を覚ませばいいのですが、痛い目にあってからでは何もかも失ってしまう。
もう毎日悶々してしまいます。
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WJFプロジェクトは、日本の主権、伝統、国柄を守る保守的な観点から、安倍政権が推し進めるTPP参加、構造改革、規制緩和、憲法改正、安保法制、移民受入などのグローバル化政策に反対しています。
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野生と文明の相克の物語(3)

日本人が、遅ればせながら、「帝国主義」という名の「文明」の所作を、アメリカ人やイギリス人から学び、まねるようになるはるか以前から、アメリカはその建国のはじまりよりすでに「帝国主義」をその本質として標榜する国家だったのである。
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