大斎原
近代に押し流された中世の聖地。
熊野本宮大社の社地は、かつて、熊野川の中州に存在していた。

熊野本宮并諸末社圖繒(江戸時代中期〜後期)
「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれたこの中州こそが、平安時代後期以降「蟻の熊野詣」と呼ばれるほどの行列をなして、人々がこぞって熊野を目指した熊野古道の最終目的地であった。
人々は、長く険しい旅路の果てに、精進潔斎をして「大斎原」に詣ると、今度はそこを起点に、新宮(熊野速玉大社)や那智山(熊野那智大社)という隠国(こもりく)の聖地を巡って再び「大斎原」に戻り、その地を蘇りの出発地として、それぞれの岐路についたのである。
熊野坐大神が鎮座した、この「大斎原」(おおゆのはら)は、かつては「大湯原」とも記載され、温泉とのゆかりの深さがその名前からも伺える。
能(猿楽)の代表的な演目である「熊野」は「ゆや」と読むし、「小栗判官」という蘇生を題材とした中世の物語では、主人公は、熊野本宮にほど近い、湯の峰温泉の「つぼ湯」によってその生命を完全に回復する。
江戸時代に作成された、全国各地の温泉の効能をランク付けした「温泉番付」では、「紀伊熊野本宮の湯」は、「津軽大鰐の湯」や「伊豆熱海の湯」と並んで、行司の筆頭の位置に置かれ、全国の様々な温泉の中で、別格の扱いを受けていたことがわかる。

諸国温泉功能鑑:1851年 (嘉永) 4年2月発行
温泉という「地の底から出づる力」を介して、熊野と伊豆は、やはり、一つに結ばれていたのである。
(熊野と伊豆を媒介するこの力が、どのように、中世という新しい時代を日本にもたらしたかについて、「歴史を形作る目に見えない力について」というシリーズで詳細に論じています。)
かつて、大斎原には、五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台が、壮麗な境内を構成していたが、1889年(明治22年)の大洪水で、上4社を除く、その他の社殿類はすべて失われてしまった。
明治維新以降の近代化により、熊野川上流の山林の伐採が急速に行われ、山の保水力が失われた結果、引き起こされた洪水であったという。
近代が中世を押し流した、象徴的な出来事だった。
洪水を避けるため、大斎原からほど近い小高い丘の上に移されたのが、熊野本宮の現社地であるが、2011年の台風第12号で、熊野川流域は、明治22年と同じような大洪水に見舞われ、本宮地域も大きな被害を受けた。
参照記事:
み熊野ねっと: 台風12号による熊野本宮大社周辺の被害状況
現在の大斎原には、孝謙天皇から与えられた「日本第一大霊験所」の称号にふさわしく、日本一巨大な鳥居が建てられており、森の中に残された瑞垣跡の古い石垣が、往事を忍ばせる。


熊野本宮并諸末社圖繒(江戸時代中期〜後期)
「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれたこの中州こそが、平安時代後期以降「蟻の熊野詣」と呼ばれるほどの行列をなして、人々がこぞって熊野を目指した熊野古道の最終目的地であった。
人々は、長く険しい旅路の果てに、精進潔斎をして「大斎原」に詣ると、今度はそこを起点に、新宮(熊野速玉大社)や那智山(熊野那智大社)という隠国(こもりく)の聖地を巡って再び「大斎原」に戻り、その地を蘇りの出発地として、それぞれの岐路についたのである。
熊野坐大神が鎮座した、この「大斎原」(おおゆのはら)は、かつては「大湯原」とも記載され、温泉とのゆかりの深さがその名前からも伺える。
能(猿楽)の代表的な演目である「熊野」は「ゆや」と読むし、「小栗判官」という蘇生を題材とした中世の物語では、主人公は、熊野本宮にほど近い、湯の峰温泉の「つぼ湯」によってその生命を完全に回復する。
江戸時代に作成された、全国各地の温泉の効能をランク付けした「温泉番付」では、「紀伊熊野本宮の湯」は、「津軽大鰐の湯」や「伊豆熱海の湯」と並んで、行司の筆頭の位置に置かれ、全国の様々な温泉の中で、別格の扱いを受けていたことがわかる。

諸国温泉功能鑑:1851年 (嘉永) 4年2月発行
温泉という「地の底から出づる力」を介して、熊野と伊豆は、やはり、一つに結ばれていたのである。
(熊野と伊豆を媒介するこの力が、どのように、中世という新しい時代を日本にもたらしたかについて、「歴史を形作る目に見えない力について」というシリーズで詳細に論じています。)
かつて、大斎原には、五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台が、壮麗な境内を構成していたが、1889年(明治22年)の大洪水で、上4社を除く、その他の社殿類はすべて失われてしまった。
明治維新以降の近代化により、熊野川上流の山林の伐採が急速に行われ、山の保水力が失われた結果、引き起こされた洪水であったという。
近代が中世を押し流した、象徴的な出来事だった。
洪水を避けるため、大斎原からほど近い小高い丘の上に移されたのが、熊野本宮の現社地であるが、2011年の台風第12号で、熊野川流域は、明治22年と同じような大洪水に見舞われ、本宮地域も大きな被害を受けた。
参照記事:
み熊野ねっと: 台風12号による熊野本宮大社周辺の被害状況
現在の大斎原には、孝謙天皇から与えられた「日本第一大霊験所」の称号にふさわしく、日本一巨大な鳥居が建てられており、森の中に残された瑞垣跡の古い石垣が、往事を忍ばせる。

